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2022 わかりあえなくても

今までの好きなものや好きなことに対して興味がなくなってしまった(一時停止感)→これがめちゃくちゃ悲しかった

そうなってることを毎日感じていたし、どうにかなおしたかったけど、根性論じゃどうしようもできなかった。その日しのぎがいっぱいいっぱいだった。

準備できる事はとても多くあったのに、やる気も起きなかった。

総じて自分にとって苦手なことへの向き合い方を学んだ一年。2022年。かなり苦しかったし、友達には「武士みたいな生き方だね」と言われてその通りだと思った。

性格のマイナス面が強くでた。仕事では「真面目すぎる そんなんじゃ潰れるよ」と評価を受けた。

「計画的すぎる。うまくいかなくなると立ち直りが遅いね」「あなたのためにみんながいるんじゃない。みんなのためにあなたがいる」「硬すぎる、もっと気楽にして良い」「失敗して良いから行動量を増やせ」どれもその通りだと思ったから素直に受け止めた。

外圧を強く感じた。自分の中から「もっと上手くやりたい」という向上心が生まれなくてどうしようもなかった。

人間関係について強くストレスを感じたとき、苦手な人には「分かり合える人」「分かり合えない人」がいることに気づいた。そもそも人間は個々で価値観が違うから分かり合えないのが前提だけど、分かり合えなさに「寄り添ってくれる人」と「押し付ける人」がいる。感情の起伏が激しい人はその2つを行ったり来たりする事があるから、グラデーションであると思うけど。

人は分かり合えないから、分かり合えなさを解ってもらうため、自分の性格を把握してもらうため、意見をひとまず耳に入れてもらうために、絶えずコミュニケーション(対話)が大事だと思った。そのための第一歩が挨拶だし、目を見て話すことや相手の名前を呼んで微笑むことが必要で、そこから小さなお願いがしやすくなってくるんだと思う。その後、継続的に相手を思いやること、心がすれ違わないように意見を擦り合わせていくこと、関係においてどちらかが優位にならず対等に話すために意見を擦り合わせていく工程。コミュニケーションは肯定と対話の連続だと理解した。

私は「人は人、自分は自分で分かり合えないもの。だけど自分も他人も全肯定でいきたい。」という姿勢で学生時代過ごしてきた。その中で自分を受け入れてくれる人には心を開いてきたし、苦手な人には必要最低限しか関わらないようにしていた。それは学生時代の私にとって正であったけど、そのまま社会人となり、その考え方が仕事においては良いものでないとわかった。分かり合えなくても絶えず対話していくことが必要。それは頭で分かっていても、実践すると相応にストレスを感じるし、自分にとって都合の悪いことにも向き合っていかないといけない。けど、私が私で生きるために、必要な過程だと理解したし、だからこそ2022は必要な苦しさを経験できたと思う。

社会人一年目、一年生。すぐに被害者に回れる立場だから、できるだけ「~された」という視点を持たないように心がけた。

一年中苦しくて、気分が晴れなかったし、苦しさから逃げてもよかった気がするし、必ずしも正しい成長をしたとは思えない。けど悪いことばかりじゃなかった。弱さは隠すものだと思ってたけど、さらけ出したら許された。ポンコツさは隙や愛嬌のようなものになった。2022を経験した私は本当の意味で強くなったと思うから2023は少しのびのび生きたいと思う。

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