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日記時々嘘(9/23)


◼︎内回りと外回り

内回りと外回りってわかんなくなりますよね。
山手線とか、絶妙に迷うとかありませんか??
最近はYahoo!乗り換え案内があるから迷わないけど。
というか、東京という街は交通網や道路がレイヤー状に積み重なりすぎてアプリとモバイルSuicaがないともはや身動きが取れない。

それに私は迷子のプロです。
道がわからないのに堂々と先頭を歩き続けみんなを迷わせます。
だってみんなが歩くのが遅いんだもん〜。堂々としているだけの人を信用しすぎだよ。その度、あれ?もしかして新興宗教とか開いたら成功できるかも?と思ったりもします。
高校の時新興宗教もどきを作って教祖を据えて幹部を名乗り信者集めを遊びでしていました。20〜30人くらい集めました。一部ではガチ宗教だと思われてたらしいです。こわ…。
カトリック高校で本気新興宗教とかやるわけないじゃん。

今日は、AFAFに行きました。
連絡バスが内回り外回りあったのに間違えて逆に乗りました。
マリンメッセで乗り換えたらいいかと思っていたら、なんと先発でそのバスは出ていたようで30分置き去りになりました。

アートフェスとは言っても、マリンメッセに入るには3000円もかかります。
なんだかアートってそんなにありがたがってみる物でしたっけ。
箱っていうフレームがないと人はどんなに変なものがあっても向き合わないのかもしれません。
日記の写真に選んだやつも周りで少年たちが野球をしていて、これでいいよなぁこんなもんこんなもん。
福岡って結構いい彫刻が街中にポンとあります。
誰も見ていません。
博多駅のヘンリームーアも天神のザッキンも可哀想なくらい誰も見ていません。ザッキンに至っては目の前に鉢植えがたくさん置かれています。
しかも、「私がこのお花を植えましたからね!」という主張をするかのような表札付きのお花。
そういえば、アーティゾンが持っているザッキンの絵画すごくいい。

マリンメッセで次のバスが来るまで30分の間これがアートを3000円ポンと払って観にこられる層かぁと眺めていました。

◼︎ガチガチの安全

インスタレーションで使っていた映像に安全についての語りがありました。
製鉄所を題材の一つに選んでいる物です。

安全とは何か
安全のためにヘルメットを渡された。
周りが見えなくなった。
周りが見えなくなることが安全なのか。
安全のために安全靴を渡された。
重くて身動きがとりにくくなった。
動けなくなることが安全なのか。

という趣旨の話もありました。
これは、目的と結果がごちゃ混ぜになっただけにも思えるけど、たまにそう思う時ってあるよなと思ってしまいます。
息苦しさって、別に構造の正しさとかよりも、なんだか与えられた物をそのまま受け取れなくなる状態の時感じてしまう気がします。
あぁ、なんでこれを素直に受け取れないんだろう。どうしてこう感じてしまうんだろう。こんなこと思いたくはないし、これを我慢している人もいるのにどうしてこうなってしまうんだろう。
みたいな孤独感とか、適合していない感じが個人的には一番辛いですね。

アーティストの方々とアジア美術館の方とのトークセッションもたまたま少し聞くことができました。
途中で気がついて入ったので作品について聞けなかったけど、アジア美術館のレジリエンスについて少し聞けました。
アーティスト同士の交流ってやはり欲しい物なんですね。
制作スペースというより生活スペースの部分。

なんだか、制作している時に他の人の作品が目に入ると焦りませんか?
生活が目に入ると安心します。
同じようにご飯を食べ、飲み物を飲み冗談を言うんだ。あなたって面白いのね。みたいな所がその焦りを別なものに変えてくれる気がします。

画塾にいた時に、絵が嫌いになったのは他人の作品が見えて焦りすぎたせいかも知れないなとなんだか思い出しました。
想定デッサンや、空間構成課題は他の人と似たものが出来てしまった時に己の創造は未熟で私は凡庸であると何度も思ったし、静物デッサンは自分の上位互換がゴロゴロいて悔しすぎた思い出です。今思い出しても悔しい。泊まっていたホテルの部屋で悔しくて泣きながら明日のために鉛筆を削っていました。
絵は嫌いになるけど、上達スピードが上がるのはわかります。
憎しみは発展につながります。
「自分より上手い奴を殺してやると思いながら描け」と冗談混じりに画塾の先生には言われましたが、傲慢になるばかりで私には向いていなかったみたい。
大学の時はその経験を思い出して製図室に篭れないタイプでした。
その代わり絶対にいいもんを作ってやるとか、もっと上手くなりたいよっていう気持ちが弱くなりすぎました。
焦燥感と引き換えに将来を手放したのはきっとその時かもしれないです。
自分より上手い人を殺さないし、殺せないし、1人作られたものを消化し続け、自分が作ったものは奥にしまってしまうそんな生活は自分に嘘をついているみたいでしんどいです。

◼︎入水

水が張ってあるインスタレーションがありました。
廃校舎の体育館を使った大きな作品です。
水には実は入れるよ!と案内員の方が教えてくれました。
誰も入っていません。

静謐な空間というのはぶち壊したくなりませんか。
みんながインスタレーションの写真を撮るばっかり、カメラのシャッター音が響く体育館に嫌気がさしました。こんなに心躍る美しいものが目の前にあり、間近に見ることができるなんてこの上ない贅沢、至福チャンスにも関わらず入らないのは勿体無い気持ちになりました。

入ってやる!!入水だ!入水だ!!!入水願いをするぞ!
そう思って学芸員さんに声をかけて入ってみました。

1人でふらっとやってきたロングスカートの全身黒い女がスカートを捲し上げバシャバシャと歩いていく様はどう映っていたんでしょうか。

バシャバシャバシャバシャ……

なんだか空気が変わりました。
周りから、え笑 入る人いるの?みたいな声が少ししました。
シャッター音がたまに響く中ずっと私のバシャバシャバシャバシャが響きます。
愉快。

それに、やはり入った方が作品は美しく見えました。
水面に作品の影と作品の色が反射していて、私が作った水の動きに反射も揺らぐ感じや、近くで見上げる作品の美しさ、中に入れる作品から眺める他の鑑賞者…
とても楽しくてそこそこ長めに水の中を歩いていました。

だんだん他の人も入ってきました。

バシャバシャ…バシャバシャ…
バシャバシャバシャバシャ…

ほら!本当は入りたかったんでしょう!
入ったら綺麗だしもっと楽しいよね!!!
楽しかったー!

◼︎遅刻

バイトがあることを失念していました。
NKKのアナウンサー体験コーナーで受付のお姉さんに勧められてるし、別に1人だしなんか今日はおちゃらけてもいい気がして拙いアナウンスを動画で残してもらい記念撮影なんかもしてもらっちゃいました。
楽しくてしょうがない1日の締めくくりは野見山暁治を見ながらコーヒーでも。
なんて思っていたところにかかってきた電話。
あれ?おかしいなぁ。こんな時間に今日?
と思っていたら出発確認の電話でした。

一度家に帰り、バイト先まで行って大遅刻をかましました。
社員さんが代打で先に駆けつけてくれていました。
気づいたら一番長い間所属しているバイトだったらしく、その数年間で初めての遅刻だったのでとても優しかったです。ごめんなさい。

詫びにと思って美味しいコーヒーがある店や喫茶店をお勧めしてきました。付箋に書いて渡したのでお休みの時に美味しいコーヒーとか紅茶を飲んでいたらいいなぁ。
ズームでの画面の盛り方もお勧めしてきました。
私が勤めている店舗だけ私が設定をいじっているのでオンライン終礼のときめちゃくちゃ盛れているはずです。

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