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行きかう記憶 The Sand Falling To The Sky サブテキスト

これは「行きかう記憶 The Sand Falling To The Sky」として、2023年4月17日~23日に開催したオガワジョージ×Roy Taroコラボ展示企画のパフォーマンスで用いたテキストです。


あらすじ
人がかかわり合いをなくした数年間。それぞれの道を歩んできた2人は、かかわり合いをもとめて経堂の街で出会う。
2022年2月。ライブボディーペインティング「共鳴するもの」を上演。その後も互いに交差しながら、相手と、経堂の街とかかわりを深めていく。
2023年4月。心に広がる原風景のなか、自分と、1年間の記憶を振り返る。


経堂アトリエの白い六畳ほどの空間に入ると、オガワジョージとRoy Taroが過ごしてきた一年間の記憶(記録)が展示されている。
壁には海の映像が流れ、大きいキャンバスが立てかけられている。
床には画材が置かれている。
行きかう波の音がする。


オガワジョージの記憶。
経堂とその周辺の街の写真と、振り返りの言葉。


Taroさんの記憶。
さまざまな場所で制作した作品、ドローイングノートなど。



絵描きが一人、空間にいる。
観客は思い思いの時間を過ごしている。




◇時
現代。昼過ぎ。

 ◇場所
穏やかな海辺。波が行って帰ってくる。絵を描いている人がいる。それを見ている人、海を眺める人、うつむいている人、携帯で撮影をしている人。それぞれが自由に、思い思いの時間を過ごしている。

 ◇登場人物
絵描き      (Roy Taro)
男        (オガワジョージ)
友達
海で過ごす人たち (観客の方々)

◇目指す場所について
・その場所にいる人と人は直接関わらないこと。
・海という場所では自由に過ごして良いこと。
・どれだけ見ても聞いても、見なくても聞かなくても良いこと。
・誰かや何かの行動や言葉が、誰かの記憶を思い出させること。
・進んで、立ち止まって、振り返り、また進む場所であること。
・言葉が交わされなくても、同じ場所にいる人はわずかにつながっていて、やり取りが行われること。
・そのやり取りが「記憶」のやり取りであること。

 

 

 男、やってくる。誰かに電話をかけている。

 

男 もしもし。

友達(もしもし)

男 久しぶり。

友達 (久しぶり。元気?)

男 元気だよ。そっちは?

友達 (元気)

男 良かった。

 男、海辺を見渡す。目が合った人に軽く会釈をする。

男 あ。

友達 (ん?)

男 いや、近くの人と目が合って。

友達 (そう)

男 うんうん。

友達 (え、今どこにいるの?)

男 え、海。

友達 (あ、やっぱり?)

男 あ、音聞こえる?

友達 (ちょっとだけね)

男 あはは。やぁ、気持ち良いね。

友達 (そっかー、良いね)

男 良いねぇ。

 間。

友達 (結構人いるの?)

男 あぁー、うん。そこそこいるね。

友達 (へぇー)

男 うん。なんかね、みんな自由に過ごしてるなぁって感じ。

友達 (そうなんだ)

男 うん。向こうの方でさ、絵描いてる人とかいるよ。

友達 (へぇー良いね)

男 ね。んーとね、あとは、犬と散歩してたり、

友達 (犬?)

男 うん。あと家族連れで遊び来てたり、釣りとか?

友達 (うんうん)

男 ベンチに座って海見たり? そんくらいかな。

友達 (へぇー)

男 うん。

 間。

男 最近は、どう?

友達 (え?)

男 最近。

友達 (えーなんだろ、普通)

男 普通?

友達 (うん)

男 え、あ、特に何もない?

友達 (うん)

男 仕事忙しいとか、映画観たとか、どこか行ったとかも?

友達 (うーん、忙しいは忙しいかな)

男 んー。なんか、自由な時間とかないの?

友達 (えー、本読んだりとか、映画観たりはするよ)

男 おー良いね。どんな映画?

友達 (えっとねー。シング・ストリートって映画観た)

男 シング・ストリート?

友達 (知ってる?)

男 いや、知らない。

友達 (そっかー)

男 面白かった?

友達 (うん、面白かったよ)

男 へぇー、今度観てみようかな。

友達 (うんうん)

男 他にもおすすめあったら教えてね。

友達 (うんうん)

 間。

友達 (そっちは最近どう?)

男 俺?

友達 (うん)

男 俺はねー、えー、なんか、色々ある。

友達 (色々?)

男 うん。あのさ、世田谷区の経堂っていうところ知ってる?

友達 (聞いたことはあるかも)

男 あ、そう? そこでずっと自分で企画やってた。

友達 (あ、そうなんだ)

男 うん。それが去年の四月から十月とか。

友達 (へぇー)

男 うん。で、今年の三月にその企画の冊子作って終わった。

友達 (去年からやってたんだ)

男 そっそっそ。ねー。きっかり一年間ね。頑張った本当に。

友達 (えーお疲れさま)

男 あは。ありがとう。なんか、向き合い続けた一年だった。

友達 (そうだったんだ)

男 うん。

 間。

男 そう。でね? ま、話したいことってそのことでね?

友達 (うん)

男 いやごめんね、やっと話し始めるけど。

友達 (え、全然いいよ)

男 あは。ありがとね。えーと、どこから話せばいいんだろ。


 沈黙。男、考えながら、周囲を眺める。


男 まずは、なんで、この話をあなたにするかってこと、ね。

友達 (うん)

男 そう、他にもめちゃくちゃ理由はあるんだけど、あの、全部ひっくるめて恥ずかしげもなく言うと、愛しいのよ。

友達 (わー)

男 いや、わーってなんだ。わーって。

友達 (え? どういうこと?)

男 つまりね、つまりは人として愛しさを感じてて。恋愛的なことではなくて。

友達 (うん)

男 うーん、なんて言うか。相手がどう思ってるかは分からないけど、俺が勝手に信じられるなって思う人に、この話をしたいなって思って、その一人目、です。

友達 (信じてくれてるってことでいいのかな?)

男 そう。信じてる。

友達 (ありがとう)

男 やーうん。こちらこそ。で、どう受け取られるか分からないけど、この一年間で感じたことを話したら、この関係はどうなるんだろうなっていうか。

友達 (関係がどうなるか?)

男 この関係が続くのか、終わるのか、近づくか、離れるか、分からないけど、関係を進めたくなったんだよね。

友達 (えーなるほど?)

男 うーん、違うか。知ってほしいのかな。うん、俺のこと知ってほしい。知って仲良くなってほしい、から電話した。

友達 (あは、うんうん)

男 何となく伝わった?

友達 (オッケー)

男 あの、分からないなって思ったら聞いて良いからね。

友達 (うん)

男 うん。あと長いなって思ったら聞き流して。

友達 (あは)

男 何となくで。

友達 (うんうん)

男 そう、あと時間ね。時間は大丈夫?

友達 (うん、あと三十五分くらい)

男 ごめんね、次の予定あるのに。

友達 (全然大丈夫だよ)

男 ありがとね。


 間。


男 これから話すのは、俺が「人間賛歌」っていう企画で、「向き合う」ことをテーマにして、一年間人と街と、自分と向き合ってみて、感じて、考えたこと、の話。

で、なんかね、そう。「向き合う」ことについてここ数年ずっと考えててね。うん。で、自分の企画が終わって、やっと立ち止まる時間ができたから、振り返ってみようと思って。今まで自分がしてきたことは、どんなことだったんだろうなって。で、答えが出たの。今のところの仮の答えが出て。振り返ってみて気づいたのは、この話には二つの軸があって、一つは「向き合う」こと。で、もう一つは「愛する」こと、だなって。

で、まずは、一つ目の方の「向き合う」について話そうと思う、んだけど。俺、子どもが好きで。はは。子どもが好きで、大学が教育学部だったんだけど。たぶん、子どもと関わっていくなかで「向き合う」ことが大切なことになって。最終的に、子どもも大人も、一人の人なんだよなって思ったの。体格が違うだけで。で、子どもは「最後まで話を聞いてくれる人」に心を開いてくれるんだなって感じたの。俺ができるだけ「最後まで話を聞く」のを意識してて、実感として、なんか開いてくれる感じがしたってだけなんだけど。「最後まで話を聞く」のは、その子のことをきちんと理解して、ちゃんと言葉をかけてあげたいから。「最後まで話聞かない人」いやなのよ。うん。みたいなことでもっといくと、大人も子どもも、誰でも楽しいときはちゃんと楽しいし、悲しいときはちゃんと悲しいし、言いたいこと言えたり、言えなかったりする。その瞬間に、できるだけそばにいて、その気持ちを丁寧に、誠実に、素直に、その人と一緒に分かち合いたいなって。そうしたらきっと良いと思って生活してきたの。

だから、自分の企画も人と街に「向き合う」ことをテーマにして。もっと人や街のことを理解して、そこで起きている色んなことを俺も感じられたら、それが分かち合うことになる、と思ったから。

そう、どうして経堂で企画をやるのか、をまだ話してなかったわ。経堂はね、初めて行ったのが二〇二一年の十一月とかで、肌寒い日で。駅前から、すずらん通りっていう商店街を、散歩みたいな感じで進みながらね。最初はただ気持ち良い街だなぁとしか感じてなかったんだけど、何回も来るうちに、ここの人や街は、心が開いてる感じがして。

誰でも来て良いよみたいな。それが良いなって思って。

そんな街で、色んな人と「向き合えたら」きっと素敵な瞬間と出会うんじゃないかと思って、経堂にしたの。他にもまぁ、理由はあるけど、ざっくりとそんな感じで。

ここからあの「人間賛歌」の一年間の話になるんだけど。
「向き合って」、人や街との関係性を深める過程を、四つに分けてみたの。最初は出会いだから、自己紹介をする。次は、どんなところが好きで、嫌いで、関心がないのか、心の距離を測ってみる。そのあと、この人やこの街、はどうしてこういう人になったのかな、街になったのかなって、一人で想いを馳せてみる。最後に、それまでの時間で感じたことや考えた想いを伝えてみる。そうすると、関係性が深められるんじゃないか。本当だったら、誰かと仲良くなるためにこんなこと考えないと思うんだけどね。うん。


 間。

 

で、最初の「自己紹介」が二〇二二年の四月。

「人間賛歌」は展示とパフォーマンスをセットにした企画で、期間は一週間だけ。ずっと使ってた演劇ノートとか、手帳とか、映画とか本読んで好きな言葉をメモったものとか。今まで自分がしてきたことを紹介する展示にして。

期間中は経堂に滞在して、今まで昼の景色だけしか見てなかったから、朝と夜の景色を感じたりとかね。めちゃくちゃ良い。一番良いのは緑道ね、色んな人が木漏れ日の下を歩いたり、ベンチに座って話してたりね。夕方くらいになると子ども達が公園で遊び始めるのも、あ、経堂の景色なんだなって思った。なんか、そうやって街を眺めたり、展示に使ったノートをまじまじと見られて、面白いねって言ってもらえたりすると、あぁ、受け入れてもらえて良かったなって思え、た。はは。

 

 間。

 

次の「心の距離を測る」のが六月で、あのときはね、自分で自分を追い込んだりしてて、ちょっとキツかったな。

自分のやりたいことなのに、やるのがいやになってきてたっていうか、気づいたら歯を食いしばってたのよね。

原因はまぁ色々とあって、私生活のこととか、演劇界のこととか。単純に休めてなかったのもあるけど。しんどくなってきて、展示期間中一日だけお休みしたの。その日は、コインランドリーに行って洗濯物して、経堂の隣の豪徳寺っていうところに行って参拝して、もう完全なオフ。で、企画に協力してくれてた長谷川さんっていう人と話してて気づいたのは、経堂に「向き合い」すぎて、しばられてたんだなってことで。背負いすぎてたというか、違うところに行ったら、一気に視界が開けた、みたいになったんだよね。うん。あと、企画の準備期間を含めると一月から企画書書いたりとか色々してたんだけど、関係性を深めるには「時間」が必要だなって気づいた。早く進めるのは、自分にも、相手にも丁寧じゃないよなって。ここで一度、立ち止まれたのが良かったなって思う。

 

 間。

 

その次の「想いを馳せる」が八月。ここが「人間賛歌」の企画で一番初めにやりたかったところで、一人ひとつずつ「大切なもの」を持って、それについて話していく。話す内容を否定はしないで、ただ聞いて、気になるところは質問して、また話してもらう。みたいな。

なんか、最終的に八人くらいいたんだけど、みんながみんなそれぞれの「大切なもの」だったり、その人の「大切な記憶」を大事に扱ってる感じがして、とても温かくて、深い時間だった。
「大切な記憶」は話すことが難しくて、勇気が必要なときもあると思ってて。危険、というか、大事な部分を見せるのは、信じられる誰かじゃないとたぶん無理で。だから「向き合う」はとても危ないことでもあるし、勇気がいることでもあるし、受け入れようとする温かいものでもあるんだよなって、感じたのよね。

 

 間。

 

最後だね。十月は「想いを伝える」なんだけど、この企画やって良かったなって思えた。はは。うん。四月から十月まで人と街と「向き合って」きて、関係性を始めて、距離を測って、想いを馳せてきて、どう思ったかっていうところで。

関係性って、終わりがないものなんだよなって。ゴールがない。連絡をしなくなった、会わなくなったら終わりなのか、連絡をしていたら続いているのか。きっと「その人のことを想い続けていたら」関係性も続いていると言っていいのかなって思った。ゴールがあるとしたら、関わり続けるがゴール。「向き合う」ことは関わり続けるために必要なことの一つなのかもな、とも思えた。きっと、人も街も変わり続けるし、変わらないところはとことん変わらないけど、その時々で関わり方を変えていけたら、良いよなって思った。

 間。

終わり! はは。長いね。まぁ、うまくまとまってるか分からないし、伝わってるか分からないけど、俺の「向き合う」っていう言葉には、色んな意味が込められてるんだなって思って。うん。でね、人と街と向き合っているときに、たいていは「自分」とも向き合ってたの。むしろ、自分と向き合ってる時間の方が長いんじゃないかなってくらい、自分と向き合ってた。自分のことを知っていったって言い方の方が分かりやすいかもね。うん。自分がどんな人間で、どんなときに感動して、怒って、悲しんで、身体や心の性質みたいなのがある程度分かった。


 間。


ここで、もう一つの軸の「愛する」が出てくるんだけど。

俺、「好き」とか「愛する」って感覚が実感として分からなくて、それでものすごい悩んでたの。二〇二一年くらいまで。さかのぼると、中学時代の思春期のトラウマが原因で、人のこと全然信用しなくて、ずっと心閉じてるみたいな。

「気になる」女の子と目が合うと、なんか嬉しいなってなってね。で、ちらちら見てたの。想いを伝えたいなって思ってたんだけど、なかなか勇気がでなくて。で、そうこうしているうちに、最初は会話もできてたんだけど、途中からいじめられるようになって。それで女の子が怖くなって心を閉ざしたのよね。いじめ自体は小学生の頃から受けてて、その男子グループもいじめにまざったりして。なんか、自分で自分のことめちゃくちゃ嫌いになって、ずっと頭の中で何回も自分を責めて、そう、言葉を殺して生きてたの。
でまぁ、中学二年の後半くらいに、いじめを受け入れたっていうか、男子のいじめっ子が笑ってたから、俺も自虐的に笑ったら、いじめが少しずつなくなっていったんだけど。

「愛する」の話に戻ると、大学生くらいで、世間話程度には女性と話せるようになって、でもまっとうな恋愛をしてないから、その感覚がないままきちゃって。

 

二〇二〇年に、「気になる」人ができて。三人くらい。

一人は大学の頃からの付き合いで、職場の同僚。もう二人は大学のときに友達と河原でバーベキューをしたんだけど、そこで出会った人たち。気になりすぎじゃない? って思うけど、振り返るとそのときは「愛されたかった」のかもなって思う。でも「好きです」「付き合ってください」なんて言ったこともないし、言ったら絶対嫌われると思ってたから、言わないでいたの。そもそも「気になる」くらいだから、「好き」なのかも分からないし。そうやって想いを伝えずにいたら、職場の同僚に彼氏ができたみたいで。話を聞くと、自分とは正反対の人に思えて、すごく後悔した。同僚の、高校の同級生で、二人はテニス部で一緒に練習とかもしてたから、久々に会ってテニスをしたんだって。そしたら終わり際に告白されたらしくて。うわってなって。

で、なんかすごい、むなしくなって、仕事終わって帰るかってなったくらいで、同僚の人に、今度電話で相談したいことあるんだけどって話して。

このタイミングで、中学の頃からのトラウマを克服しないと、今後の人生が本当につらいと思ったのよね。はは。でまぁ、数日後電話して「気になってた」けどトラウマがあって想いを伝えられないでいたら、彼氏ができたって聞いて、めちゃくちゃ落ち込んだって経緯を伝えて、それをうんうんって受け入れてくれて。あぁ嬉しいなって思いつつ、トラウマを克服するには、たぶん「自分の意中の女性に、想いを伝える」しかないなって、もうぐるぐると悩んで解決方法を見つけて。でも、その同僚の人には彼氏がいるから、「告白するから、振ってください」ってお願いして。

うん。で、まぁね、「大学生の頃から云々かんぬん、好きです、付き合ってください」「ごめんなさい」って。

ほんの少し、ほんの少しだけど、何か変われた気がして、もうその友達には感謝しかない。今でもたまに連絡とったりするんだけど。うんうん。

 間。

で、そのまるまるを「気になる」人の一人に話して、あなたのことも気になってると。お酒の席だったけど。対面で、直接言えたのが良かった。そのあとも二人で何回か映画観たり、舞台観たりして。夕方から夜まで散歩して、浅い川にかかった小さい橋の上で、座って、肩くっつけて、足ぶつけたりしてじゃれて、川の音とか虫の鳴き声とか聞きながら、話して。で、まぁ、そう。俺、頭の中で自分を責めて殺す人間だったから、何かあるとすぐ落ち込んでたの。

そういう、中学のこととか、心のこととかを全部その人に話したらその人が「不器用だね」って言ってくれて。あ、俺、不器用だったんだなってめちゃくちゃ腑に落ちて、嬉しくて。その人のことがますます、気になるようになって。

でも、その人は俺と「友達」の関係でいたいって伝えてくれてて、ちょっとして別の人と付き合い始めたの。

当時の自分からしたら、あの時間がとても大切で、自分のことを理解してくれる人がいなくなって、とても寂しくて。

勝手に、裏切られた、みたいな。うん。何回も寂しくて電話して、泣いて、「冷たい人だね」って突き放したりもして、ぐちゃぐちゃだった。はは。この気持ちをどうにかできないかと思って手紙書いたりもした。うん。今も家にあるんだけど。そう、その人のことを「愛したかった」んじゃなくて「愛されたかった」んだなって、あとで気づいて。

どうしたら人のことを愛せるのかなって色々悩んでたら、「レディ・バード」って映画と出会ったの。自分のことをレディ・バードって呼ぶ高校生の話で。本名はクリスティンって名前なんだけど。その映画の最後の方で、自分の呼び方を本名に変えた瞬間があって、そのときに、あ、名前って、自分で、名前を大切にしたら、自分のことを大切にできるんじゃないかって気づいて、一気に、下の名前で他の人から呼んでもらえたときの光景がぶわって広がって、ちょう号泣した。ははは。下の名前、大好きな感覚があったのよ。呼ばれるとやっぱり嬉しくて、その人に認めてもらえてる気がして。自分の名前って入口から、どんどん自分の手とか、足とか、伸びたらくるくるの髪の毛とか、茶色の眼とか、色々自分のことを好きになり始めたの。

二〇二一年の年末くらいには、嫌いなところとか、受け入れられないところもあったけど、前よりは自分のことを愛せるようになってた。その二人目の友達のことは、もう親友だと思えて、今でも頼りにしてて、自分のことを愛せるようになったよってことも話せた。こういう人が周りにいるのが、まじで幸せだなぁって。うん。

 間。

あともう少しだけ。「向き合う」ことと「愛する」ことの話を話せたから、やっと自分の話したいこと話せる。あは。長いよね~。人生、長いわ。うん。はい。

戻ると、えっと「向き合う」ことについてここ数年ずっと考えてて、今まで自分がしてきたことは、どんなことだったんだろうなって話。

まぁ、何かっていうと、どうしてそんなに「向き合いたい」のかなってふと思ったときに、自分にとって「向き合う」ことが「愛する」ことなんじゃないかなって答えが出たの。

「愛し方」が分からなかったこれまでで、気になる人たちと、経堂の人と街と向き合ってみて、自分と向き合うようになって、出た、仮の答え。

で、きっと、人それぞれに「愛し方」「愛され方」があって、めちゃくちゃ距離感が近い方が良い人もいる。遠い方が良い人もいる。依存していた方が幸せな人もいる。言葉が少なくても、態度で示す人もいる。自分なりの「好きな愛し方、愛され方」がかみ合ったら、きっと幸せになれる。

そのなかでも、俺は「向き合う」って「愛し方」「愛され方」が好き。受け入れて、受け入れてくれて、相手を信じ抜いて。一緒に色んな瞬間を分かち合う。のが好き。

俺、心の感性が子どもだし、素直で、すぐ顔とか身体に出るし、寂しがりやだし、甘えたがりだから、面倒くさいやつだと思うけど。はははは。自分でも思うけど。

 間。

だから、なんというか、これからももし良かったらよろしくお願いします。はははは。終わり!!

 

 間。

 

友達 (おつかれ~)

男 ありがとうね。話聞いてくれて。

友達 (うんん、これからもよろしくね)

男 うん。よろしく。

友達 (うん)

男 これからどこ行くの?

友達 (実家に帰るんだ)

男 あ、そうなんだね。どのくらい?

友達 (決めてない)

男 そっか。ゴールデンウィークとかかと思って。

友達 (あーそっか。確かに)

男 楽しんでね。また会いましょ。

友達 (うんうん。そっちは帰らないの?)

男 あ、新潟に?

友達 (うん)

男 えー帰りたいけどって感じ。

友達 (そっかぁ)

男 まぁ、夏かな。うん。

友達 (うんうん)

男 また話そ。

友達 (うん、またね)

男 またね。ばいばい。

友達 (ばいばい)

 

 男。電話を切る。

 しばらく海を眺めたあと、立ち去る。






オガワジョージ/Roy Taro



パフォーマンス撮影:Christian Brauneck (iru.yo) -2023.4.17
展示撮影:田 野
主催:一般社団法人哲学のテーブル
会場:経堂アトリエ


いただいたものはすべて創作活動にあて、全国各地を回って作品をつくったり、地域に向けた演劇活動の資金にします。「たった一人でもいいから、人生を動かす」活動をより大きく、豊かに頑張ります。恩返しはいつになるか分かりませんが、必ず、させてください。よろしくお願いします。