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裸の履歴書vol.2~つくづく…

 中学に入ると、急に校則という規律の世界にまみれる。息苦しさはあるにはあったが、今ほど嫌には感じていなかった。中学に入ってからも、迷うことなく陸上競技を志望。中学の部活だからか、田舎の中学だからか先輩、後輩の仲は緩くて敬語はなし、敬称はかろうじてあった。陸上部だから学校の校庭が練習場所なわけだが、陸上部だけが独占しているわけではない。他に野球部、サッカー部、ソフトボール部が共存している。定期的にサッカー部から、「ただ走ってなに面白いの?」という揶揄の台詞をいただく。私の球技に対する嫌悪というか、敵愾心はこの辺りからきているようだ。返す刀にするならば、「小手先でちょこまかと動いてなにが面白いの?」だ。実際に解放感があるからだろうか、全身で動くことのほうが好ましい。そして、手先が不器用だ。いまでも続く球技との相容れない感情。後に球技に携わることになるとはなんとも皮肉。
 2年の終わり(3年の引退に伴い)に、真面目(※真面目という件は後にも登場する)というだけで部長に任命される。今思うと長に値する資質はやはりマネジメント能力1点だ。当時は中学生らしく、不真面目な部員を感情に任せて注意していただけ。練習に取り組むようにと、あの手この手を駆使するような算段なんて、特に持ち合わせていなかった。陸上競技に対する愛情?のようなものが芽生え、高校に行っても陸上を続けたいと思うようになった。しかし、高校では自転車競技部に入ると決めているのだ!と自分を説得。競輪選手になるために自転車競技部のある高校進学。そういえば、「自転車部のある高校」も父の入れ知恵。洗脳と一緒だ。洗脳されている自覚がありながら、それに乗っかるとは…つくづくたちが悪い。
 中学生といえば、いろんなものに抵抗し始める時期である。ぐれる?不良?反抗期というやつだ。学校の教師や親に反抗したりと。しかし、私には皆無(親には意見はするが、反発するのとはニュアンスが違う)であった。そういう「ぐれる」という行為を「ダサい」と思っていたからだ。ダサいことはしたくない。ぐれている人々の実行していることは、基本的には「やってはいけない」といわれること。(みんなと同じことをしたくない感覚?はこの頃からあったのかもしれない)

 ものわかりがよくて、察して、目立ちたがりで、真面目で、ダサいことが嫌いで、

 つまりは、我思う…「可愛げのない中学生」だった。


続く

1975年7月17日 青森市生まれ

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