見出し画像

サイクルを味わう

怠惰な日々がやってきた。
わたしの脳内で、
無価値感、絶望感、を感じさせようとする
ナゾの物質が分泌される時期に入ったようだ。
生産的なことが何一つできない。
音楽の練習も集中できないし
過去の失敗ネタまでフラッシュバック。
こんなんで、生きていて、いいのだろうか。。

いやいや、これで、いいのだ。
(あ、これ、なんだっけ)
いつもの、サイクル。
いまのサイクルは怠惰期であると自覚せねばならない。
怠惰期は、自分を徹底して甘やかすのが仕事。
気をぬくとすぐにクソ真面目さが顔を出し、
生産的な行動ができない自分は
価値がないクズだとジャッジを下すような
無価値感ホルモンの分泌が絶好調の中、
「なんにもしなくていいんだよー」
と、自分で自分に言い聞かせねばならない。

子宮に持病あり

子宮腺筋症。
これとは10年近くつきあっている。
よく勘違いされるけど、
治療して完治するタイプのものや、
手術で患部を切り取り治るタイプのものではない。
病院に行っても、
ずっと、うまく付き合っていきましょう、
と言われるか、もしくは、
どうしても辛い場合の最終手段は
子宮全摘出、だって。
ホルモンのせいなのか、
だいたい月の半分近くは鬱っぽい感じだと思う。
いろいろ対策は試みてみたが
これは、もうどうしようもないなー、という感じ。
以前は毎日薬を飲んでいたが
今は毎日は飲んでいない。
症状がある程度改善してきたあたりから
飲まないことを、あえて選んだ。
ときどきは、通院する。
種類は違えど現代女性には多い病気だ。

これがみつかった当時はだいぶ痛くて
会社員はちゃんと続けたが、
休日は、一日中寝ていた。
歌はたまに歌う程度だったが、それもぜんぶやめた。
当時は20代後半。
結婚出産願望だってあったような。
出産を経験すると症状が改善される例もあるらしく。
まずは治療第一で未来に希望を持ちたかった。
でも、薬を毎日飲む生活と
その副作用はわたしには辛かった。
薬は合わなかったようで
日常生活にすぐに支障をきたした。
出産という未来に期待し価値をおくことで、
日常生活が、日々不快になるというのは
今を犠牲にしてはいないだろうか。
若かったこともあり、何もかも深刻にとらえていた。
結局、出産経験なしのままアラフォーになったけど、
その間、自分で自分のバランスをとり続けて
日常の幸せをみつけるのがいちばん確実と思えたし
当時のような悩み方はしなくなった。
でも、強烈な痛みや、鬱っぽい感覚が、
またやってくるたびに、
どうにかできないものか、
これは一体どこからくるのか、
と、ぐだぐだ考えた後、
出産機能が動いているせいなのだと
気づくまでには、いつも時間がかかるし、
年齢は重ねても、なかなか慣れなくて、
ふと、我にかえり、ハッとしたりする。
わたしがぜんぶコントロールできるわけではない。
神のみぞ知る。
そう、これで、いいのだ。
(思い出した!バカボンのパパ!)

バランスを模索したつもりだったけど

今は、そこそこのバランスは自分でとれる自信がある。
だからこそ、なんらかの強い影響を外側から受け
自分でつくりあげたバランスが崩れる感じは
ちょっと、こわいものもあって。
自分がなくなってしまいそうで。
崩れたことは何回もあるけど
立ち直るのはなかなかしんどいもの。
人前で歌うことを始めたら、生活も考え方も
見直さなければいけないことはたくさんあったし。
恋愛なんてしようものなら
コツコツ積み上げたバランスも
一瞬で崩れてしまうし。
そういう見直しも
さらにもうひとまわり大きなサイクルの流れで
定期的にやってくるものだとは思うんだけど。

でも、まてよ、もはや、今、
世界中のバランスも崩れてしまったではないか、
なんて思ったりもする。
わたしも崩れたって、ぜんぜんおかしくない。
自分が自分と向き合って試行錯誤して
どうにか保ってきたつもりのバランスなんて
ものすごく脆いものなのだな、
なんて思う。
自力でバランスをとっていると思いこんでる時点で
ちがうんだろうな。
わたしと歳は一つしか離れてないのに
3人もの子どもがいる姉は、
「子ども産んだら、自分なんて消えてなくなるよー。
しばらくね。」
なんて言う。
母って、すごいなー。
バランスどころじゃないじゃん。

女性のライフサイクルって…

よく、男性からみて
女性が強いと言われるのは
毎月強制リセットされるからじゃないかな、
なんて思う。
一旦人生をリセットし、
自分が消える覚悟だってあるわけで。
生死の境目に少し近づく。
シュレディンガーのねこ、ではないが
生死やら役割やらを含むあらゆる未来が重なりあって
自分の中に同時に存在しているようなものだ。
そんなときは訳もなく泣けてきて当たり前だと思う。
そしてリセット後は、生き生き蘇るのだ。
強い、とはちがうと思う。
なんだか、プチ輪廻感あり。

さてさて、
プチ再生したら、
怠惰期とは対極のサイクル期に入るだろうから、
パワーにあふれた自分になるつもり。
比叡山に登りたいなーと思っている。
山頂から、京都の街を俯瞰しつつ、
「これでいいのだ。」
なんて、つぶやいてみたい( *`ω´)

数年前から流行って、ちょっとハマった
ドミニック・ローホーさんのシリーズ本。
とても好みの考え方がいっぱい。
京都のエピソードもいろいろで、
京都にくらす者としては、ちょっと嬉しい。
禅の思想もちょこちょこ出てくる。
何かしなくては。
時間があるうちに。
何か身につけなくては。
と、焦る心は、
何もしない自分には、価値を感じられない、
ということではないか。
そういう無価値感は、他人を安易に批判し、
裁く要因にもなりうる。
怠惰な時間は、最高の贅沢。
それに値する人間になりきり、思いきり、味わおう。

画像1



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?