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梅本啓介さんのこと

去年の年末、同じバンドでここ3年近くご一緒していた、ドラマー梅本啓介さんが亡くなったと訃報が届いた。
あまりにも急で、驚いた、という感覚さえなくて、
しばらくは、まさか。うそだよね。。だって、つぎのライブも決まってるし。という感じ。。
でも、梅本啓介さんに最初に出会わせてくれた、ピアニスト大前チズルさんのfacebook投稿を目にして
ああ、ちゃんとお別れしないといけないんだな、と
思った。
嫌だったけど。
チズルさんがそう言うなら、本当にそうなんだな、と思って。
でも年が明けて今年に入ってからも、ゆっくり悲しめる感じでもなく、しばらく、ずっと落ち込んでいたと思う。
淡々と仕事に行く日々。ブログ更新なども滞るなど。。
こないだ、梅本さんのお弟子さんがメールをくれて、ライブにも来てくれた。
みんな、悲しみの行き場に困っているのだな、と思った。

1月末、自宅の階段から落ちて肋骨を骨折し、ようやくさいきん治ったところ。


階段から落ちる直前まで、梅本さんのことを考えていた。
同じバンドで、直近は去年の10月末まで一緒に演奏していた梅本さん。
今思い返してもほんとに恐れ多いんだけど、
わたしはライブ活動始めてからわりとすぐに一緒に演奏する機会に恵まれて。

最初、ピアニスト大前チズルさんが紹介してくださった。今から3年くらい前。
ベーシスト瀬戸山和生さんのお店、祇園のベースオントップでのチズルさんとのブッキングライブの日、
おはようございます、てお店に入ったら、なんか芸能人みたいなオーラの人がドラムのとこに座っていて。
チズルさんが、
「今日は梅ちゃんをよんだよ!梅ちゃんのこと知ってる?知らないの?なんで知らないの?!だって、梅ちゃんだよ!」
って、言っていて、
わたし、ほんと、なんにも知らないんだなぁ、と、緊張で固まりつつ、その日一緒に演奏することに。
(見出し写真はこの初対面の日、演奏後みんなで撮った写真。チズルさんは、梅ちゃんジャニーズ系で写ってるね、ってww)

それからすぐ瀬戸山和生さんのバンドでご一緒するようになり、ジャズを歌い始めて2年目のころは、梅本さん主宰のイベントにジャズボーカルとして参加させていただくなど、新人真っ盛りの時期に、ものすごく貴重な機会をいただいていた。
本当に多くの人を魅了していた、スーパードラマー梅本さん。梅本さんはあまりにも突然旅立ってしまった。
(3年間ご一緒した思い出の写真はわたしのHPギャラリーへ↓)


ライブのときに味わう、音の波。
大きい波から小さい波までいろいろ。
その時間の波のうねり加減を、もしミクロ単位まで観察することができるなら、
実は、瞬間瞬間、何が起きているんだろう。
音楽をかじるようになって、
時間、について、よく考えるようになった。
音楽は必ず時間を伴うから。
時間の感じ方ってみんなちがうのに、
グルーヴって、何が起きてるから心地いいのだろう。

ライブ中でなくても、たとえば日常生活。
朝のリズム。夜のリズム。
人生、という、ちょっと大きな時間の波は?
人との出会いと別れ、転機、コーナータイミング。
リズム、グルーヴ、の時間のプロは、一体、普段、時間をどのように感じ、とらえているのだろう、と思って、
梅本さんに聞いたことがあった。

梅本さんは即答で、
「そういうのもアンサンブルと一緒だよねー」って、言っていた。
人生で、どういう波がきているのか読めるし、
どんな風にノればいいのかわかるものなんですって。

わたしが、そういうの、わかるようになりたいなー、と言ったら、
「わかるよーなんでもきいてよー」
なんて、言っていた。

梅本さん、今回の波はこんなにも大きいのに、誰にも読めなかったと思います。
梅本さんは読んでいたのかな。。

梅本さんは、
「僕はそういうの、わかるんだよー」なんて、言いそうな気がする。さらに、
「でも僕も、まだまだ勉強する」って言うんじゃないかな、なんて。
梅本さんはいつもいつも、「僕ももっと勉強する」って言っていた。
さいごに交わしたメールでもそうだった。
去年の10月のライブの直後、「歌、変わったね。いつもとちがったよ!」って、なんども褒めてくれて。
(去年の夏、梅本さんのリズム講座を受けに行って、英語の持つリズム練習を見直した効果が少しは出たのかもしれません。今はなんかスランプ中な気がするけど)
「もっと応援したいし、僕もまだまだ勉強するね」って。
こんなすごい人でも、まだまだ勉強する、っていつも言うんだ。音楽ってたいへんだな。。なんて、思ったものです。


本当に、いつでも音楽のことばかり考えていた方だと思う。
それに、いつも、もっともっと時間が欲しい、って言っていて。
わたしが山登りはじめた、だの、ソロキャンプはじめた、だの、パンつくったー、だの、言っていたら、 
「いいねいいねー!好きなこと、いっぱいやってね!」って。
健康管理も身体づくりも、こだわってされていたと思う。ファスティングを習慣にされていた。
体調管理はほんと念入りにされてたと思う。
たぶん、それはすべて音楽のために。

そして基本的に、
いつでも与える姿勢の方だったと思う。
音楽に関してはとても厳しいけど、
自分のできることを伝えたい、
試行錯誤してようやく知ったこと、
もっと早く知りたかったことは、
わたしたちには最短で伝えたい、
そんな思いがいつもひしひし伝わってきた。

そんなことを思い出して、ひとしきり泣いた後、
階段を踏み外して背中を強打した。
一体、何が起こったのかわからなかった。
ちょっと普段と違う時間感覚だったのかも(※注:酔ってないですよww)
何しろ時間の魔術師の思い出を振り返っていたわけだから。
でもまさか骨折するなんて思わなかった。
まったく読めない波だった。びっくり。

梅本さんに、骨折するなんて読めなかったー、
って言ったら、
「まだまだ勉強しないとねー。僕も勉強するよ」
なんて、言ったりして。
そんなことを考えながら、ここさいきん、過ごしていたのでした。

肋骨もようやく治り、早いもので3月。
昨夜、梅本啓介さんを偲ぶ会、へ行きました。
ベーシスト瀬戸山和生さんにこの企画のことを聴き、みんなで行こう、という話になり。和生さんの奥さんと一緒に車に乗せて頂き大阪へ。バンドメンバーも会場で合流。みんなでお別れしてきました。梅本さんがほんとにありとあらゆるジャンルのすべての音楽を愛し、携わっていたことのわかる素敵な会でした。素敵な写真、ムービー、思い出話もいろいろ。
多くの人が、突然のことに悲しみの行き場をなくしていたと思うから、このような会を企画してくださった主催者の方には本当に感謝です。

梅本さんはTwitterで音楽のことを、ムービーと一緒にたくさんアップしているので、ときどき見返している。
梅本さんが音楽について何を考えていたかがわかると思う。たくさんのヒントは残してくださっている。
いつでもみて学べるように。
わたしのようにまだまだこれから勉強が必要な者のために。

これからも、梅本さんと関わった方たちと出会って、梅本さんのお話ができたら嬉しいです。


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