『食べる』という言葉、何気なく使っているが、最悪かもしれない。
食事をすること、ご飯を食すこと。
これを「食べる」と表現するのは、とてもメジャーですね。
「食う」だと、なんだかちょっと乱暴じゃない?
「食べる」が普通でしょ!
今まで、そこに何の疑問も持ちませんでした。
最近、言霊を研究していて、この「食べる」という言葉の恐ろしさに氣付きました。
言霊というものは、ものすごくシステマチックで合理的で、宇宙原則のようなもので、漢字熟語や外国語はあまり当てはまりませんが、普段日本人が何気なく使っている日本語は全てこの言霊法則で成り立っています。
特に、「キラキラ」「ゆらゆら」などのオノマトペは100%言霊スープです。
まず「た」について。
「た」は、「分ける」「分割」という思念です。
〜〜した → 過去の現象として分割する
断つ → 対象物を断って分ける
立つ・縦 → 空間に介入し、分ける
足す → こちら側から何かを分けてすすめる
うた → 浮かぶ(生まれる)ものを分けると歌になる
などなどです。
食事というのは、命を分けてもらうという事なので、ここまでは大丈夫です。
「べ」は「う〇こ」のこと
「へ」は、そのまま「屁」であり、外に放り出すものです。
へん → 対象を外に出して、調和していませんね。
へらへら → 外野感のあるオノマトペです
減る → 放り出した結果、少なくなっていますね
そして、屁に濁点がつくことで、凝縮して濁り、「べ」になると、そはもう「う〇こ」そのものです、、、
「便(べん)」なのです。
食事は、肉体・精神を形作る基となる、とても重要なものなのに、現代人は、ただただ「う〇こ」するために食事をしてしまっているのです。
う〇こが出るなら、何でもいいから食事してるって、恐ろしい、、、
当然、誰一人そんな事を思いながら食事をしていないと思います。
でも、現にそうなっちゃっています。
安さや手軽さ、偽の健康訴求に目を眩ませ、食品添加物にまみれ、偽の健康情報にも騙され、自ら病になることを受け入れてしまっています。
スーパーに売っている味噌や醤油、塩ですら偽物ばかりです。
そして、ほとんどの人が、気にもとめていません。
日本人の食事は崩壊しています。
「たべる」という言葉を無理やり定着させられ、結果的に崩壊したのか、それとも崩壊した結果、日本人の集合意識がその言葉を選び取ったのか、はたまた同時なのかは分かりません。
昔の人は「たぶ」「とうぶ」「たまわる」とか表現していたようですね。
「食う」でも、全然マシです。
他にも、送り仮名が「べる」のものを調べました。
「比べる」「並べる」「調べる」「述べる」「統べる」など
どれも物質資本主義的で、人間の驕りを感じられる言葉です。
「比ぶ」「調ぶ」「述ぶ」「統ぶ」が本来の表現のようですね。
う〇こみたいな情報にまみれ、比べて並べて述べて調べて偉くなった気になって、う〇こするためだけに他の命を賜って、そうして生きているのが、現代日本人です。
完全にスベっちゃっていますよ。
目覚めよ、日本人!!!!!