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イタリア旅行記🇮🇹厳選10枚の写真と考えたこと

GWにイタリアに旅行に行ってきました。8泊(現地7泊機中1泊)・9日の旅。ローマinで翌日にヴェネチアへ行き、フィレンツェ、ローマと北から下って観光してきました。1週間以上の旅はかれこれ5年ぶり。学生時代にはバックパッカーをして1〜2ヶ月旅をすることも少なくなく20カ国以上回ったけれど、社会人になってからは中々まとまって旅をできていない。たくさん写真を撮った中からあえて10枚に絞って旅の振り返りをしようと思う。

①【ヴェネチア・ゴンドラ】リアルディズニシーを目にして、自分の人生経験をインプットに創造する喜びを想像した

死ぬまでに行きたい場所の一つだった水の都・ヴェネチアのゴンドラから

想像通りの美しさだった… 地球とのつながりを感じられるから海を眺めることが好きなのですが、ヴェネチアは地球と一体化している感じがした。ヴェネチアは気候変動のリスクに晒されていて、いつか沈むと聞いたことがある。その恐怖がゆえにか、美しさは増す。

本当にディズニーシーはこれの再現なのだと思った。ディズニシーも本物には叶わない。だけれども、ディズニシーはたしかにヴェネチアを感じられる場所なのだとも思った。

ディズニシーを作った人に思いを馳せ、五感を通じて吸収した自分の経験や人生を通じて得た感性や想像力を使って表現する仕事って最高だよなって思った。5年前に学習塾を創ったとき感じた起業や事業を創ることは自分だからこそできるアートという感覚。仕事にかかわらずとも、今見ていること、感じていることは、何かを創る時のインプットになっているのだと思う。

改めて、仕事にしても、家を建てるにしても、遊びを企画するにしても、実際にこの目で見たこと・自分の肌で感じたこと・自分の心身で感じたインスピレーションを使って何かを創造していきたいなと思った。いや、むしろ、経験が自身の感性を磨いて、自分が作るものに勝手に滲み出るものなのかもしれないとも思う。

②【ローマ・コロッセオ】2000年後の人類は、競技場を見て何を感じるのだろうか

西暦80年に作られ、剣闘士が死ぬまで戦うこともあったといい、それを見ながら観客は熱狂していたという。そんなことを想像しながら眺めると、とても恐ろしいなと思う一方で、人間の感覚なんてその時代の常識によるんだな、とも思う。

自分が中学生のときは、野球部の先生に殴られた。でも今は許されない。そんなものだ。

としたときに、2000年後の人類はプロレスの競技場を見て「2000年前の人類は血が出ても殴り合ってるのをみて熱狂してたらしいよ」とか、ラグビー場を見て「怪我するまでボール取り合ってたらしいよ」とか言いながら眺めるのだろうか。

いま常識だと思っていることを、2000年時を進めて見つめ直してみるといまを批判的に見直すことができるかもしれない。

③【フィレンツェ・街並み】街並みが素敵という感覚

フィレンツェの街角

街並みが素敵すぎる。歩いてるだけでテンションが上がる。ヴェネチアの街でも感じたことだ。

自分がこんなに「街並みに心が働く人間である」とは思わなかった。約10年前、旅をしたときにはあまり感じないことだった。訪れた場所のせいなのか、自分の変化のせいなのかはわからない。おそらく後者だと思う。

「自分は◯◯な人間である」と決めつけがちだけれども、新しい空気に触れることで新しい自分を発見していくことができる。そしてまた、自分は絶えず変化を続けている。

街を歩くことをただ楽しむこと、これから大切にしたいなと思った。

④【ナポリ・ポンペイ遺跡】わからないことだらけの世の中とコツコツ仕事をすること

ディズニシーのプロメテウス山のモデルでもあり、ポンペイの街を沈ませたヴェスヴィオ火山を背景に。

商業的に栄えていたポンペイの街は西暦78年にヴェスヴィオ火山の噴火によって火山灰が降り積り埋まった。埋もれている古代の品々が見つかるようになり、18世紀中旬になってポンペイの街が埋もれていることを再発見され、現在にわたって発掘が続けられているという。

ポンペイ遺跡を歩き回ると、各場所は「市場」「お風呂」「料理に使っていた台所」と、たしかにわかる形で街がそこにあって驚いた。

発掘する?掘り起こす?ってどんな作業を繰り返してきたのだろう。考古学者たちの好奇心とコツコツと積み上げてきた仕事に感服。

この世の中は、過去も現在も未来も「わからないこと」で溢れている。どこに興味を持っても良いけれど、自分が「知りたいこと」に好奇心を突き動かされて何かを明らかにしていくことはおもしろい。そして、それが人の心を動かすような仕事になったらさらに良いなと思った。

⑤【ピサ・斜塔】軌道修正しても大丈夫。

本当に傾いているんだなと思った。現地で見ると、写真で見るよりもはるかにシュールで笑えた(笑)

最初から斜めに建てたわけではなく、建築途中に地盤沈下して、そのあとなんとか軌道修正しながら建てたという。1173年から199年かけて作られたという大仕事。

仕事や物事がうまくいかないとき、あるいは違和感が残る時、ゼロベースで考え直した方が良いことも少なくない。一方で、ピサの斜塔がある種のアート作品としてそこに「斜めに」聳え立ち、これだけの観光客で賑わい大きな経済効果を産んでいることも考えると、ちょっとした違和感を放置して、そのときそのとき軌道修正して前に進めることがいつかどこかで花開くことがあるのかもしれない、と思った。(当時完成したとき、これでよかったのかは怪しいが)

「斜め」になってしまっている仕事や人生の過程があるときには、見方を変えてみると良い。

⑥【フィレンツェ・ドォーモ】414段の先に見える今と昔の景色

一番上に上がるまで414段の石段を登る。エレベーターは、ない。

街中を歩いていると、突如として聳え立つドォーモ。思い出は、「登るのきつかった」(笑)きつかった分、景色は目に焼き付いている。

1296年から140年以上かけて建設されたという。産業化していない社会の中で、建物を立てている現場はどういう景色だったのだろう。想像すると、階層の低い人々が奴隷として作業をさせられて、命を落としながら完成させていったのではないか。ちょっと恐ろしい。

一方、大成建設グループのCMで「地図に残る仕事をしよう」というメッセージがあった。建物を建てるということは、何かその時代の大事なものを形として残すことでもある。

⑦【イタリア・ジェラート】アイスには思い出が詰まっている

イタリアといえばジェラート!ということで各都市で食べた。私は、アイスや甘いものが大好きだ。

お酒もたばこも吸わず、野菜や魚・肉中心の食生活、運動も睡眠も欠かさず健康第一を標榜して生活をしている。

それでも、時たまのスイーツはやめられない。ご褒美のような、特別なシーンで甘いものを食べると、とても幸せな気分になる。

甘いものを食べられる幸せもあるけれど、そこには自分の経験から湧き上がる温かい感情も同時に芽生えているような気がしていた。

考えてみると、子どもの頃、自分と同じく酒を飲まない父は、金曜日に仕事帰りに袋をしゃかしゃか言わせて帰ってきた。その中身は、アイスだったり、ケーキだったりする。それがとても嬉しかった。

今感じられる幸福は過去の幸福とも結びついているのかもしれない。ということは同時に、未来の幸福を増やすためには、いまこの瞬間から心温まる瞬間を増やすこと。そのバリエーションが増えれば増えるほど、おじいちゃんになったとき、あらゆる行動から過去の温かい経験と結びつき、幸せを感じられる時間が増えるかもしれない、なんて考えた。

⑧【ヴァチカン市国・サンピエトロ大聖堂】大行列を並ぶ人々は変化しているのだろうか

カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂は朝から大行列。

ニーチェは「神は死んだ」と言った。科学の進歩も伴い、人間の態度が変容する中で、神の存在や宗教の存在の位置付けは大きく変容している。

私たちはいまも個人的には神を信仰することができますが、社会的にはもはや神のうちで一体になることはできません。

「資本主義に徳はあるのか」p.39 著者:アンドレ・コント=スポンヴィル

資本主義社会が加速する中で、私たちの社会は強烈に「個の尊重」を推し進めてきた。その中で、国も学校も宗教も会社も、総理大臣も先生も経営者も上司も、もはや何か特定の価値観や行動を個人に押し付けることはできない。共同体は崩壊している。一方で、個は拠り所を求める。

そんな社会的な歴史の流れの背景を頭にいれてこの景色を眺めると、今も昔も行列があることは変わらずとも、個人の心の内や並んでいる人々の関係性は大きく変わっているのだろうな、とも思う。

組織開発の現場で年配の方のお話を聞くと(聞かずともではあるが)、昔よりも組織を束ねるのが難しくなっている。それはきっと、企業だけではない。今の若い人がうんぬんの話でもない。もっともっと大きな社会の変化の流れを汲んでいる。

ところで、中学生のときに習った「世界で一番小さな国」に来ることができて嬉しかった。

⑨【ローマのホテル】年齢に抗うか、受け入れ味わうか

とても綺麗で朝食も美味しく素敵なホテルだった

学生時代、東南アジア、南米、アメリカを旅をした。バックパッカー向けのゲストハウスに泊まった。東南アジアや南米では一泊数百円、米国でも一泊1000~2000円程度だったと思う。当然、シャワーもボロボロだったり、寝室も一部屋に二段ベットが3つおいてあり、清潔感も心許ない。貴重品は身につけて寝た。それでも、世界中から集まる同じような旅人と友達になり、たしかに生きている感覚があって充実していた。

ヴェネチアで宿泊したホテルが想定よりも汚くて、そんな当時のことを思い出していた。ローマで泊まったホテルはとても快適だった。

学生時代は、金はないが体力や時間はあった。不快に耐える余裕もあったのだろう。もはや旅が仕事みたいな冒険で、そのためにお金を貯めるためのアルバイトは友達に会える癒しでもあった。今はその逆だ。仕事は日々が冒険で、旅には癒しの要素を求めている自分がいる。

あの頃の旅の形や刺激が懐かしい。でもおそらくあのときの自分には戻れない。いまはいま、未来は未来で、そのときらしい旅のコンセプトがあるのだろう。

⑩【旅の終わり・ITA AIR WAYS】非日常の価値

ローマからの唯一の直行便。軽食はセルフサーブで後部にあり、そこではプチ立ち飲み会が行われていた。日系エアラインとはまったく違う景色が広がっていた。

改めて、旅に出て非日常に身を置くことはとても良いことだなと思った。

食べるものが変わる 聞こえてくる(発する)言語が変わる 触れる空気が変わる 見える景色が変わる 匂いが変わる

時間の使い方が変わる 体調の変化を感じる 頭の中に浮かんでくる発想が変わる

一緒に行く人との過ごし方が変わる 過ごし方が変われてば関係性が変わる 対話の中身が変わる

日常では見えないことが見える
日常では考えないことが思いつく
日常では感じられない感情が生まれる
日常にはないつながりが見える

とても楽しく、とても充実した旅だった。自分のノートに振り返って、その一部をnoteに振り返ってみて、思ったよりもいろんなことを感じて、いろんなことを考えられた旅だったのだなぁと思いました。

旅って楽しいなぁ。


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