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[31歳]20代で手にした10のこと

毎年、誕生日の前後に時間をとって振り返り、noteに記録していく取り組みも今年で3回目。31歳になりました。毎年、決意や想いを整理していることが、少しずつ実現していっているような感覚があって、やっぱり言葉にして書き残すことって重要だと感じられる営みです。今年は海が見える大好きな熱海のホテルにこもって書きました。


1年の振り返り

まず、去年のnoteを読み返してみたら、なんだかモヤモヤしている自分を感じられた。「20代の振り返り」とタイトルに書きつつ、10年単位のまとまった期間を振り返るには、まだ準備が整っていなかったような空気を感じられる。そんな空気感を俯瞰できることもまた、自己に対する気づきがあっておもしろく、書き残す意味があるような気がします。

去年は塾を作って2年目。ワクワク感と成長感を感じやすかった1年目を終えて、1年以上関わった子どもたちを送り出すプロセスの中で、自分がやっていることが正しいのか(自信はあったけれど)まだ確信に変わっていなかったのかもしれない。自分でも気付かない不安があったのかもしれないなと思う。それに気づくことができると、案外大したことはないのだけれど。

一方で、今年は去年みていた子たちを無事に送り出し、生み出したかった瞬間にも立ち会うことができ、自塾の存在価値に対する確信を持つことができている。もちろん、現場レベルでの課題は尽きないけれど、出会った人に価値を届ける成功体験をできたから、一般化の方法論、手段レベルの課題に進んでいる。

その成功体験を弾みに、本格的に中長期のことを考えられるようになり、新たなメンバーの採用とMBAの受験にも取り組んだ。事業としても少しずつだけど着実に前に進んでいると思うし、MBAも第一志望だった一橋大学に合格することができた。

この1年は、20代のチャレンジをまとめ、30代へのトランジションに進み始めた期間だったと思う。10月~3月は、20代に追求してきたものを形にする期間、すなわち子どもたちと徹底的に向き合い、追求してきた価値を具現化することに集中した。4月からは新しい体制のもと、自分の役割を模索する期間へと遷移していった。いまは自分を俯瞰する余裕を持ちながら、その1つ1つの挑戦にワクワク感と充足感を感じることができている。

自分の中では、20代の物語が30歳で一区切りつき、31歳から新しい章が始まるような感覚がある。章題をつけるならば、20代の物語は「社会と自分に気づくー動き回って社会を知り、自分を知る」であり、30代の物語は「より良い社会と他者との関係を創るー社会と周囲の人との対話を積み重ねる」にしていきたいなと考えている。

20代に得た10の学び

①具体的に口にしていたら、いつか叶う

どこぞの自己啓発本に書いてありそうなことだけど、いまこの10年を振り返ると、本当にその通りだった。留学も海外で働くことも教員になることも塾を作ることも大学院に行くことも。自分で具体的に口にすると、無意識な行動も含めて、その方向に向かっていくような選択をして動くのだと思う。

もちろん、他にもいろいろ言っていて、達成していない目標もあるし、いつの間にか消えていく目標もある。でも、それは自分が成長や変化をしていく中で、こだわりがなくなったものだと思う。だから、思いついた夢や目標は、引き続き口にしていきたい。

「口に出したことを達成していく(されていく)面白さ」を知れたことは大きな財産。だから、これからの人生、何を口にして何が実現して(されて)いくのか、楽しみで仕方ありません!

②自分の弱さに向き合う

最近、何かに不安や不満を感じているとき、イライラを感じているとき、あ、成長のチャンスだなって思えます。ネガティブな感情に気付いた時、その背後には自分の欲求や弱さが存在している。

何かがうまくいっていないとき、他人や環境のせいにしてしまいたくなるけれど、それは本当に意味がない。最初はちょっと大変なんだけど、自分の満たされていない欲求や弱さを恥ずかしくなるレベルまで言語化する。そして、受け入れる。それだけで、なんでこんなことに拘ってたんだろう、と気づくこともある。その上で、認知の仕方を変えたり、許せないと思っていたことを許してみたりする。簡単ではないけど少しずつ努力する。

中々受け入れられないこともある。自分以外の何かに問題があることもある。そのときは、無理をせず、でも反抗もせず、ただ、そっとそれを見つめる。距離を置いても良い。

すると、同じようなことが起きた時、一周考え終わっているから、うまく対処できる。

これは自分自身が抱える問題を集めた問題集の解説書を作っているイメージだと思います。解ける問題が増えていくと楽しくなる。数学の問題も、解説をきちんと読み込めば(自分で別解を作りまくれば)、他の似たような問題を解く力がついていく。そんな感じで自分の人生の問題の回答を作り上げていき、乗り越えていくのは楽しい、ってことに気づけたのは大きな財産です。

心からそう思えているのは、学校現場で苦しんだ経験を通じて、弱さと向き合い成長する面白さを知れたから。子どもたちとの関係がうまくいっていないと感じる期間があって、自分の弱さと向き合わざる得なくて、自分を変えざるを得なかった。苦労して自分を少しずつ変えていった先に、信じられないほどの子どもたちとの関係改善があった。この苦労と成功体験が、どれだけいまの自分の人生を豊かにしてくれているかわからない。

この経験をここまで昇華できたのは、マインドフルネスに出会って3年ほど続けているのも大きいと思う。自分の頭の中を観察する力を少しずつつけていくことで、いろんな自分に気づくことができている。

③選んだものを正解にする

運営しているC.schoolでは、「主体的な進路選択」をテーマにしているのですが、自分自身が大学の学部選択を「理系は潰しが効く」程度のアドバイスと偏差値のみを参考に決めて後から後悔した経験に由来しています。大学以降、自分で情報を集めて、自分で軸をつくって、自分で選択をしていく必要があるので、子どもたちには受験を通じてその力を身につけてもらいたいからです。

私も大学の学部選択の反省から留学・転職・起業など、主体的に選択することに拘って行動するようにしてきました。そして、選択を繰り返す中で気付いたことがあります。それは、選択は始まりでしかなく、選択を正解にする行動の方が重要であるということです。

選択をする前のイメージと、選択をした後に出会う現実には常にギャップがあります。選択肢側のギャップに加えて、自分側のギャップ、つまり選択したものに実際に触れたときに湧いてくる感情のギャップです。

例えば、転職を決意したとする。転職前に、たくさん自己分析して、企業研究して、自分に合った環境だと確信して転職したとしても、転職後には少なからずギャップを感じると思います。それは、事前に説明できない企業側の環境(人間関係、事業環境の変化など)のギャップがあることに加え、まだ見ぬ自分(その環境で感じる感情、新しい生活リズムに対する自分の反応など)に出会うからです。

「受験で第一志望に落ちちゃって、第二志望に入ったけど、私の人生にとってはこれが正解でした」と言える人がいます。結局、自分に起きていることを正解にしていく行動や意識が大事。

私自身、様々な選択と行動を通じて、「考え抜いて一度選択をしたら、あとは選択を正解にする行動をとるのみ」と思えていることは大きな財産です。一時期、「取らなかった選択」についても「もしあちらを選んでいたらどうだっただろう」と考えていたときもありました。でも、いまは「あの選択を取らなかったから出会えたいまがある」と心から思えています。

選択したものを正解にする意識を持つと、いまに感謝し、いまを大切にできる。人生から選択の失敗がなくなる。すべてが新しい正解を生み出すためのプロセスでしかありません。

④学べば学ぶほど見えないものが見えてくる

大人になって気付いた勉強する意味なのですが、学べば学ぶほど、同じものを見ても、見えるものが全く違うということ。いま見えてるものの意味も変わるし、未来が見えることもある。

心理学や人間について学んでいれば、目の前のコミュニケーションの裏にある問題が浮かび上がって見えてくるし、宗教について学べば、世界で起きている戦争の意味がわかるし、因数分解がわかれば、同じものごとをみても、共通項が見えてくる。

社会人になって、よりそれに気づく機会が増えたので、本当に学ぶことが楽しくなりました。ほとんど、読書を通じて知のインプットをしてきましたが、大学院に行きたいと思ったのも、学ぶ楽しさを実感しているからです。

進学先の一橋大学大学院の経営分析プログラムの概要に書かれていたことですが、これがまさに、私が学びに見出す楽しさであり、学ぶ意味であると思っています。

雨が降っている様子をどれだけ真剣に見たとしても、雨が降るメカニズムを理解することはできません。
同様に、社会現象に関しても、現実に生じる現象を見聞きするだけでは、その背景を解き明かすことは困難です。
経営分析プログラムでは、経営、会計、ファイナンス、マーケティングを中心とする領域の基本的な考え方やフレームワークを習得した上で、応用的な領域まで踏み込んで学ぶことで、経営を中心とする社会現象の背景を探り、エビデンスに基づいて論理的に分析する能力を身につけます。

学ぶ楽しさに気づけたこと、大きな財産です。生涯学び続けたい。

⑤人に貢献するために、自分の人生を生きる

貢献したい人に対して常に思いやりを持ち、貢献する意識を向けると同時に、対象に依存せず、自分の人生を全力で生きることが重要だと痛感した教員時代。

「あなたのためにやっている」は押し付けがましくて、時に迷惑をかけてしまう。いま振り返ば、私は教員時代、特に初期の頃は、子どもたちに依存してしまっていたと思います。「子どもたちのためにこんなにやっているのに...」と、感謝のような見返りを求めていたのだと思います。

感謝されることを求めずに、感謝されなくても良いから、ただ自分がやりたいから、だれかのために全力で行動する。そういう行動ができた自分を認める。その行動による成長を楽しむ。他者からの評価ではなく、自分の人生を生きる。

逆説的だけれども、それができたとき、人から感謝されることが増えていく。自分は自分の持ち場で、周囲の人への思いやりと貢献意欲を忘れずに、だけど他者からの評価や感謝に依存せず、自分の人生を進めていきたいと思います。

⑥相手の立場になって想像する。でも、相手の立場は100%わからないことを心得て、思いやりを持つ。

学校で習うようなことだけど、やっと自分事で腹落ちしてきました。それでも、いまでも無責任に他人の立場を批評してしまう弱さもあるから、注意しないといけないなと思っています。

これもやはり学校現場での経験が大きく、少しずつ昇華できてきていることでもあります。私は正直、学校現場に対してネガティブな印象で入っていきました。自分が通っていた中学校の環境があまりにひどかったから、学校現場に入る前、学校の先生という職業を好き勝手に批評していました。

でも、教員という職業に自分が就いてみて、はじめてわかったことがたくさんありました。先生たちを100%批判することはできないと思いました。一人ひとりの教員だけでは、どうにもできない社会の構造、行政の構造、公務員の構造、それは実際になってみないとわからないことだらけです。いまでも時々、教員をやったことがないにも関わらず、「日本の公教育はどうしようもない」とか「日本の教員はダメだ」と言う人に出会うと胸が裂ける思いになります。

ものすごく社会的な地位の高い人から、「かざまくん、なんで日本の教師ってこんなにダメになってしまったのかな?日本の公教育にはもう期待できないんだよね」と言われたことは、一生忘れられません。

幸いなことに、私はこの「他人事批判」の的になりやすい教員という職業に就き、社会的地位の高い人も含めた多くの人から、教員を一括りにされたネガティブなコメントを受けたことで、自分が経験していないことや勉強していないことに対しては慎重にコメントしようと思うことができるようになりました。政治家批評から始まり、自分がしていない仕事をしている全ての人に対する批評には想像力と思いやりが大切だと思います。家族で分担する庭の草むしりだって、窓の掃除だって、自分でやってみないと、担当している人の気持ちはわかりません。

だから、何かコメントするときは、できるだけ自分も経験してからコメントしたいし、すべてを経験するのは無理だから100%理解できないことを前提に、自分がわからない、自分には見えない苦労や大変さがあることを前提に、思いやりを持って人とコミュニケーションを取りたい。自分がやってないことをやってくれている人に感謝の気持ちを持つ。そう思えていることもまた大きな財産だと思います。

⑦酸素のように支えてくれる人たちがいること

友人や周りの人に「メンタル安定しているよね」とか「ポジティブだよね」とか言われることが多くて、言われてみればそうかもしれないということで、なぜそうあれるのか考えてみたのですが、やはりそれは周りの人のおかげ以外の何者でもありません。特に両親の存在が大きかったのは間違いなく、また親友の存在も欠かせない。

自分らしくあれるかどうかは、自分自身のdoingではなく、beingそのものを愛してくれる人がいるかどうかが大きいのではないかと思います。とかく、我々は、doingで人をジャッジしがちです。

doingというのは、その人の発言や振る舞い、あるいは実績などのこと。beingはその人そのものです。ある一時期の発言や振る舞いは、その人のすべてを表しているわけではありません。

私の場合、小さい頃から、自分の取る選択や行動、あるいは成果や実績に関わらず、自分そのものを愛してくれている両親の存在が、他者の評価に依存せず、自分らしく生きられている根本的理由だと思います。それからまた、自分がどんな人生を歩もうが、一緒に温泉に入っていまの感情や自分たちの人生の豊かさについて語れる友人が何人かいる安心感は計り知れません。

自分も自分の大切な人にとって、そんな存在でありたいなと思う。表面的なdoing、一時期に発露しているその人の姿、もちろん、これらにも大切に寄り添いながら、それでもそれだけに捉われずに、その人自身のありのままを受け入れたい。

酸素のように支えてくれる人たちに、改めて感謝したい。

⑧言葉の力と不十分さ

言葉の力を強く感じた10年でした。プライベートから仕事まで、言葉にすることに向き合うことで、解決できた問題の数は計り知れないし、言葉にしなかったら生まれなかった価値や繋がりにたくさん出会った。もっと言えば、言葉によって、出会えた感情や豊かさもあると思う。

何かもやもやしている職場の雰囲気や人間関係を、言葉にしてみる。すると課題や解決策が見えてくる。何か美しいなとか、何か良いなと思った相手の素敵なところを言葉にして伝えてみる。すると相手との人間関係が豊かになっていく。何か嬉しい、何か悲しい、気持ちを言葉にして日記に綴ってみる。すると自分の感情が豊かになっていく。

一方で、言葉と表現したい何かの間には常に差分があって、100%表現できるものではないことも痛感しました。

そもそも、表現したいことを100%表現できることって固有名詞くらいだと思うから、表現したいことに近い言葉を選んでいるんだけど、時に言葉にしてみたら、本当は言いたかったこととひどく乖離していることにあとから気づくことがある。伝えた時点で、あぁたぶん伝えたいこと、伝わってないなと思うことがある。全然違う意図で捉えられてしまったなと思うこともある。言葉の受け取り手の解釈もまた言葉の伝える側の解釈と100%同じではないから、うまく表現できたと思っても、そこには少なからず差分がある。

言葉の力の不十分さを認識していなかったが故に失敗もしてきました。一度その場に出された言葉に対する解釈で "論理的に" ジャッジすることで、時にだれかが言いたいことの本質を理解しきれず、人間関係が悪化してしまったこともありました。

言葉は、相互理解を促す強い力がある。一方で、言葉には、多かれ少なかれ、本当に伝えたいこととの差分がある。だから、一時の言葉でジャッジをせず、時間の余裕が許される関係性の中では、対話を繰り返しながら本当に考えていることを理解していくことが重要だと感じています。

「言っていることが、前と違う」ということによる関係悪化はよく聞く話。でもそれ以前に、「言いたいことを表現しきれていなかった」「言っていることへのお互いの理解が違う」ということも多いのではないかと思います。

というわけで、このnote自体もたぶん、あとで見返して、言いたいことが表現仕切れていないことに気付くかもしれません。明日の自分が表現したいこととのギャップに絶望するかもしれない。

それでも、言葉にすることで伝えられること、見えてくることがあるのも事実です。実際、ここまで書いてみて、見えてきたこと、わかってきたことがある。不思議なことに、自分の言葉で自分が学んでいる。

言葉の力を信じ、言葉にすることを妥協せず、言葉を活用しながらも、言葉に過信せず、言外にも注意を払いながら、人と関わることを大切にしていきたい。

⑨マインドフルに生きる

20代では、英語学習、ビジネススクールの単科授業、プログラミングスクール、MBAの予備校、MBTI認定ファシリテーター等々、色々と学びへの投資をしてきましたが、最もやってよかったなと思っているのは、マインドフルネスの講習会に参加したこと。Googleが開発したSearch Inside Yourselfの日本版の研修に参加しました。

それ以来、約3年、毎朝20分マインドフルネス瞑想を続けています。マインドフルネスを続けて1年後くらいに「プレゼンうまくなったね」とか「落ち着いたね」とか言われるようになったのですが、間違いなくマインドフルネスの成果です。

ただ、このような表面的な変化ももちろんですが、一番は内面的な変化。

マインドフルネス瞑想を通じて、頭の中に浮かんでくる感情や言葉を、ただ観察して受け流す練習を繰り返しています。自分の中に湧き出る感情に、反抗することもなければ、課題と捉えて解決することも特にはしません。様々な感情が湧き出る自分を観察して、見つめてただ受け流し、自分の心をゼロ地点に戻す練習を繰り返します。

このトレーニングを重ねると、少しずつ日々の出来事に動じなくなってくる。焦ること、苛立つこと、不安になること、悲しいこと、落ち込むこと、いろいろあるけれど、一旦リセットしてゼロ地点に戻してみる。そうすると少し心に余裕が出る。いまもいまでいいじゃないか、と思えるようになる。

まだまだトレーニングの途中で道半ばですが、3年続けて少しずつ自分の内面的な変化を感じることができています。自分の人生を前向きに捉える力がより強くなってきている実感がある。マインドフルネスはきっと豊かに生きる武器になると思います。

⑩ チャレンジすること

マインドフルネスについて書いたから「自分らしく生きる」ということと相反するように思える内容かもしれないけれど、逆説的に「自分らしく生きる」質を高めてくれるのがチャレンジすることだと感じています。

何かにチャレンジすると、必ず大変なことに出会う。理想と現実のギャップに苦しむ。

そのときに、マインドフルに「いまここ」を大切にして自分の心の声に耳を傾けると同時に、学び続けて困難な課題に取り組んでいく。

その結果、「自分らしさのキャパシティ」すなわち「自分らしくあれる範囲」が広がっていく。より困難な状況や苦しい状況でも「自分らしく」いられる心の成長が得られる。

スポーツをやっていた人はわかると思うのですが、弱い相手と戦ってると「自分らしく」プレーすることができる。一方で、強い相手になると、全く自分らしくプレーできなくなってしまう。120kmのボールに対しては自分らしく打ち返せてたのに140kmになると全く自分のスイングができなくなる。

でも毎日140kmを打ち続け、自分のスイングを見直し改善していくと、いずれ自分のスイングができるようになる。そうなるとできることや戦える相手が増えて楽しくなる。

より困難なものに対して「自分らしく」力を発揮するトレーニングを重ねることで、成長していける。

はじめから「1回戦勝てれば良い」であれば、そのレベルの自分にしかなれない。狭い範囲でしか「自分らしく」あれない。本気で甲子園を目指すからこそ、より「自分らしく」プレーできる場所が増える。

一方で、結果は拘りすぎる必要もないとも思っています。結果はアンコントローラブルな要素も多いし、所詮、相対評価でしかない。

目に見える結果にめちゃくちゃ拘りながら、目に見えない成長を大切にする。

31歳の決意

最後に次の1年の決意を書いておこうと思います。

Doingのテーマとしては、仕組み化を進め、メンバーの後方支援に徹する。Beingのテーマとして二項対立を乗り越える。AかBかになりがちな議論に、実はグラデーションがあり曖昧さが残る部分を見つめ、Cという第3の解を探る。そしてなにより、いまここ、いま目の前にあること、いま目の前にいる人を大切にする。

中々ハードな一年になりそうですが、心穏やかに、かつ、情熱的に、事業も個人の人生も前に進める一年にしたい。

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