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87歳のおばあちゃんの誕生日を祝って考えたこと

「長生きしていると良いことあるね。もういつ死んでも良いなんていわないよ」

おばあちゃんのその一言がとても嬉しかった。

先週末、これからも身体の負担にならない範囲でおでかけも楽しんでほしい、という想いから旅行先でカバンをプレゼントしたときのことだ。

ここ数年、祖母から「いつ死んでも良い」というような言葉を聞くようになり、その度に悲しい気持ちになっていた。思うように身体が動くかなくなったり、ゆっくり眠れなくなったりもして、自分には想像できないくらい生きることが大変なのかもしれない。

お盆・お正月、甥っ子(おばあちゃんから見ればひ孫)のイベント。誕生日には電話をかけていたけれど、実際に会うのは年に数回になっていた。今年はたまたま仕事が休日だったので、一緒に旅行にでかけることにした。

「3年メモ」に幸せな瞬間を書き出していると、幸せな瞬間は家族・パートナー・友人との時間がほとんどだ。おばあちゃんに喜んでもらえた時間、時間を共有できたことが自分にとっても幸せだった。

大切な人と時間を過ごすときに強く意識していることがある。PCやスマホをいじらないで「その場に居ること」だ。

スマホの登場から常にオンラインじゃないと落ち着かない時代になった。無意識にコスパやタイパを求めて、SNSやインターネット検索でサクッと快楽を得る。

しかしそこには大きな代償があると思う。大切な誰かといる時間を犠牲にしてまで、インターネットの世界に身を置くことはどれくらい大事なことだろうか。インターネットの空間に身を置けば、もう他の世界にいってしまっているのと同じだ。体はそこにあっても、心は外国にいるのと変わらない。(もちろん会話の中で調べごとをしたりすることはあるのだけれど、それは同じ世界にいると思う。)

それよりもむしろ、できる限りその場を感じることに集中して、その場・その時間を共有する。無言でも良い。そこにたしかに「居ること」が、一緒の時間を創り上げ、心に深く刻まれる。目に見えない信頼感や愛情が生まれると思う。

SNSやインターネットに晒され続ける現代人にとってそれは簡単なことではなくなってしまったけれど、「その場に居る力」は持ち続けたいし、養い続けたいと思う。ネットを使いこなせないおばあちゃんたちの方が「その場に居る力」は高いような気がする。努力が必要だ。

自分の意見や自分の論理を語ることよりも、話を聴くこと。

仕事の場では、利益の追求を目的として自分の意見や筋の良い論理を語ることを求められるけれど、プライベートの領域ではほとんど意味をなさない。

むしろ、多くのプライベートのコミュニケーションのゴールが関係を深めること・お互いに素晴らしい時間を共有することだとすると、自分の意見や論理を強く自己主張し正当化しようとすることは論理的ではない。

自分自身、反省することもあるけれど、仕事などでストレスがかかっている状態にあると、「自分をわかってほしい」というエゴから自己主張が強くなってしまうことがある。

今振り返れば、子どもの頃・学生の頃・若い頃は自分を認めてほしいという気持ちが強かったのだろう、両親には散々自己主張を撒き散らしたと思う。よく反省する。黙って子どもの話を聴き受け入れる親はやはり偉大だなと思う。

プライベートな関係性で、自己主張を譲らないことは非論理的である、と今はわかる。相手との信頼や愛のある関係性を深めるという目的から外れて、自身を正当化したいというエゴを満たすことが目的になってしまっているからだ。

そんなことを理解し始めてやっと、おばあちゃんの話も親の話も「聴くこと」ができるようになってきている気がする。

だから、まずは十分に聴くこと。相手の理解を深めること。その上で、伝えたいことがあるなら、相手と調和しながら伝えること。お互いにとってより良い時間を創るためには、丁寧なコミュニケーションを取ることが肝要だ。

「おばあちゃんって何年生まれだっけ?」「1937年だね」「日中戦争の年だね」

という会話から、おばあちゃんの人生の回想が始まった。1930年代、1940年代、1950年代と順に聞いていった。話を集中して聴いていると、声のトーンや表情で、強く記憶に残っていることや大切にしていることを感じることができる。

戦時中の話はとても恐ろしい経験であり、だけど、過ぎ去った一つの物語として昇華しているようだった。おじいちゃんが癌で苦しんでいたときの痛みへの共感を語る姿からは、自分のことのように辛い経験だったのだろうと感じた。

おじいちゃんの病室の中にいて、自分たち孫がお見舞いに来た時のこと。

「孫たちがお揃いのブーツを履いて病院の廊下をカタカタと走って部屋に近づく音がした時は、来てくれたなぁとすごく安心したよ」

その言葉から、温かい安堵感がじんわり自分に伝わってきて涙が出そうだった。

あのときの自分はまだ6歳とかだったと思う。でもおじいちゃんの病室、おじいちゃんが亡くなった日の病室の映像はたしかに記憶の中に残っている。涙していた祖母や母、隣にいてまだ小さかった妹の存在もたしかに感じられる。

ちなみに、父方の祖父が亡くなったときの何かを噛み締めてる父の表情、隣にいた弟の表情もよく覚えている。弟が何を考えているのか感じているのか分からず、自分のやるせなさを弟にぶつけてしまったことは今でも後悔している。いつか謝りたいと思ってる。

おばあちゃんの話を聴いていると、小さい頃におばあちゃんの家で過ごした思い出や一緒にお祭りや旅行に行った思い出が蘇ってくる。孫の存在を大切にしてくれていることをたしかに感じられる。

そんなことを考えていると、同時に自分という存在が存在しているだけでおばあちゃんの幸せに貢献できているのだとも感じられる。おばあちゃんの存在が、おばあちゃんとの思い出の記憶が、(普段はもちろん意識しない/できないけれど)「自分は生きているだけで価値がある」と思える自己肯定感を支えてくれているのかもしれない。とても幸せなことだと思う。

一年に一度はおばあちゃんを旅行に連れて行きたい。ゆっくり話を聴いて、おばあちゃんの人生の物語を追いかけてみたいなぁと思う。おばあちゃんが与えてくれてた(くれている)何かを与えられるおじいちゃんに、いつか自分もなれたら良いなと思う。

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