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言語と身体的実感

仮に私たちがオリジナルに言葉を用いることが出来るのであれば、そうした言葉には身体的実感というものが伴っており、それこそが言語活動にオリジナリティを付与しているように思われる。 私たちが言葉を連ねるとき、それが一つの表現として成立するためには、単に言葉が持つ意味だけではなく、声のトーンやリズム、表情、あるいは文脈など、それとは異なる諸要素が補助的な役割を果たしている。つまり、それらによって言葉は特定の表現へと導かれ、また、要素の組み合わせに応じて、幾つものコンテンツを言葉の中

    • 哲学の言語について #2

      前回のテキストにおいて、意味的な連関や意味体系という表現で私が意図していたことは、社会的な意味や目的です。したがって、言葉そのものが持つ意味とか、言語の配列や組み合わせの操作によって生まれる意味などでもありません。社会的に意味づけられたもの、あるいは社会的な目的に適うもの。それらの集合体や連なり。これが私が意図する意味の体系です。したがって、それに結び付いている状態を、意味があるとか有意味性と呼んでいます。  意味の体系と言語活動がどのように関係しているのかということですが

      • 哲学の言語について

        確かに、彼らが哲学的であると私たちが判断するその基準は、彼らが用いる特異な言語以外にないかもしれない。それは哲学という営みが、つまり、思索が言語の上に成り立っているからである。仮に、彼らの振る舞いや生活様式が風変わりな装いを呈しているとしても、その動機に関しては、やはり彼らが連ねる言語に頼らなければならない。言語こそが彼らにとっての可能性であり、また、その他の人たちにとっての限界なのである。  しかしながら、後者、つまり、哲学にあまり馴染みのない人たちにとって、彼らの言語が

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