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自身の価値観を認識した話。マザーの言葉は実はとても正しい。

私は大学3年生。大学でやっている事は?と聞かれると自信をもって、自慢げに「体育会でサッカーしています」「先輩はJリーグの○○さんとか、▲▲さんですね」と答えていた夏が恋しい。夏休みは毎日2部連で、あの走り込みしんどかったな。気がつけば色づいた葉はとっくに落ち、おかんが言うには、明日は雪が舞うらしい。

今日11月22日まで、20日の夜から実家に帰省していた。周りのチームメイトはこの3連休、東京で行われている就活セミナーに参加しているらしい。

どんな状況、どんな関係、どれほどの期間でも、別れと言うものは悲しい事だ。しばらく忘れていた愛情というものを、実家へ帰るとどうしてか感じる事ができる。久しぶりに会った家族や我が家、そして友人は、どこか他人の気がしてしまう。どうしても会わなかった期間の存在を感じてしまう。

いつからだろう、何もないという言葉が自分の中にできてしまったのは。少なくとも、幼い頃は何でもあると思っていた。久しぶりに帰省して、久しぶりに会って、久しぶりに会話して、そこにあったのは愛情だった。

中学生のとき、思春期の至りで互いの事を馬鹿にしていたのに、高校生の時、親すらも馬鹿にしていたのに、大人になったら皆が皆に愛を捧げる。愛は余裕を生む。自分が、自分が、自分が。自分の事ばかり考えるとき、人は愛が足りていないのだろう。人を愛しているとき、そして人に愛されるとき、人は人に優しくなれる。

愛されたければ先ず愛しなさい。マザーの言葉は実はとても正しい。

就活だってなんだって、適当に取り組んで良い結果を得られる事なんて、何もない。適度にやって良い事はあっても、適当にやっていい事なんて、本当に何もない気がする。適当は頻度、適度は度合い。今ある機会を大切にする事、今周りにいる人を大切にする事。母の顔が思い浮かぶ。自分ができる事、やれる事は、やるべき事だ。自分のために頑張る事がいずれ、誰かの為に頑張れる事になったらいいな。

小説が好きな理由が、これを書いているうちに思いついて。小説が好きなのは、人の心を描写しているからだと思う。人の事が好きだ、人が考える事が好きだ。人が感じている事が好きだ。人に感動を与えられる感情を生む事が好きだ。そして、自分が感じる事が好きだ。好きだ、好きだ、好きだ、好きだ。好きなもの、好きな事、好きな人で、その中で生きていけたら、どんなに幸せだ?

周りの人、いつもありがとう。好きだ。

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