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生きていく事に貪欲であれ。今でしょ?はもう忘れられたのか。

変化に迫られたコロナ初期の中国

2020年1月初旬、3連休を利用して偶々妻と上海へ旅行に出かけた。
その1週間後、上海で初めてのコロナ感染者が確認され、その1ヶ月後の2月初旬に、僕は会社から上海駐在を命じられた。

社会混乱の中での駐在生活は刺激的な出来事の連続だった。
中国では、コロナ拡大以降、今の如く規制が厳しく働き、僕がいた繊維業界も絶大な被害にあった。
製造は停止、物流遮断により原料調達も停止、消費の低迷、そして従業員は職を失い、解雇が続出した。
国レベルの決め事がものの数分で決断され、半日で実行される国だ。
社会全体が未曾有の状況に飲み込まれた。僕が当時担当していた繊維産業も例外ではなかった。

結局、変化するものが強い

結局、変化するものが強い。進化論でも語られている名言だが、正しくは、自ら変化できるものが強いと言おうか。

解雇される従業員、目の前で暴徒化するワーカー達、そして労働組合。
僕の取引先のサプライヤー各社も、従業員を解雇せざるを得ない会社が多くあった。
誰もが本当に辛い時期、辛い選択の繰り返しだったと思う。

苦しい中で見た、逞しさ

苦しい、辛い、裏切りと、たくさんの負の感情が溢れかえっていたと思う。
これは、取引のあった製造業の中国人社長から聞いた話だ。
彼らは年商数十億円の規模でアパレル製造業を経営していた。

彼らも他社同様、苦渋の決断で何名かの従業員を解雇せざるを得なかったそうだ。
その中でひとり、パートの女性は、辞めるのは構わないが、ここにあるB品在庫を全てくれ、と申し出てきたと言う。
謝罪の意を込め、これくらいであれば、と社長は格安で譲ってあげたらしい。

その数日後、当の女性は職を失った悲しみに打たれるどころか、
中国版のメルカリで、当のB品アパレル在庫を販売し、利益を得てコロナ禍を乗り越え、2020年は従来以上の収入を得たという。

限られた状況で、必要に迫られ変化できるものこそ、強い。
ああ、この逞しさには敵わないな、と思った。

その我慢は、誰のためにするものなのか

ここ数年の日本を見ていると、我慢我慢と呪文のように唱え、
誰かが助けてくれるって、悲劇のヒロインの集団みたいだ。
我慢の前に、それは誰のためにする我慢なのか。今一度よく考える必要がある。

いつまでも変わらないものなどない。誰も助けてくれない時がある。そうなるなと願いたいが、誰も助けてくれなくなる時代すら、もうすぐ訪れるかもしれない。

それでも、世界の人たちは逞しく生きている。知らないうちに。

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