「障害」=「ハンディキャップ」と、「下位秩序の下位に自然と置く日本人たち」と、「合理的配慮」と

私が誤解され易いのは、言語習得時期に難聴になってて聴こえなかった分のハンディキャップは、今もずっと有るという部分です。 これは、たぶん、体験が無い人には、理解できない領域なのだと思います。少年期も、耳が聴こえない時期が長くあったのも、たぶん私のYouTubeを見ても、視聴者は、私がその場で言わなければ、分からない、気付かないと思います。

それと、未だに多いですが、「ハンディキャップがある=劣っている」と捉える人が、障害者にもかなり多いです。「劣っている人だから、世話してあげねば、あれ?こちらの言う通りに、従わないし、聴かないぞ!」となる人は、障害者にもかなり多いです。つまりですね、「ハンディキャップがある」と言明すると、下位秩序の下に自然と置く人は、日本人では意識的に取り組んでいる人以外では、ほとんどすべてがそうなるのですね。

「ハンディキャップがある」と言明するのは、合理的配慮を求めているだけなんですよ。特に何も求めていなく、説明の為に言っているだけの時もあります。オブラートに包んで言うと、かえってややこしい関係になる事が多かったから、その積み重なった経験から、言明する様になっているのですね。だって、私は単身で無支援で自立生活が送れてますからね。私のレベルで地域で自立生活ができている精神障害者は、逆に少ないんですよ。 と言うか、私自身が最近になるまで、多重困難者だとは気付いてませんでした。周りも特に口に出して言わないとまったく気付きません。面白い物ですよね。

「合理的配慮」 コトバンクより


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