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映画「THE FIRST SLAM DUNK」のここがすごいと思った話


正直予告動画を見て「二次元風CGアニメーション」が苦手だったのですが、
いやあ2時間泣き続けましたちょろかった。

不安だったアニメーションも観たあとは「これもうスポーツアニメーションの金字塔だろがこのやろー!」という都合の良い興奮に変わりました不安がってごめんなさい。
超迫力の映像はもちろん、アリーナに響くドリブルの「ダムダム(ドンドン)」、バッシュの「キュッキュ」というバスケ環境音、映画を観ている人がコート内に放り出されたと思えば、アリーナの観客席で一緒に応援しているような音響も「スラムダンク愛」ひいては「バスケットボール愛」を感じました。

ここからはあくまで素人目ながらに思った「スラムダンクのここがすごいぞ!」です。長くなってしまいました。

まず、これから観たいと思っている方や、リピートしたい!の方に、僕がオススメしたい「見て欲しい場所」があります。
それは「スクリーンの外側」です。
んだそりゃ!と思われるかもしれませんが、視聴中はどうしてもボールがあるところ、ボールを持っている人を追っかけてしまいますので、時折画面端やその向こうに思いを馳せて観て欲しいということです。

そして一体この映画のどこがすごいぞ!?と言われると、
僕は「ターン制の排除から生まれる奔放な動き」と考えました。よくわからんので順に説明していきます。

手描きのアニメーションは、どうしても基本的には「フォーカスを当てた同じリズムのもの」を描いていると考えます。違うリズムの展開やキャラクターを同時に描くのはなかなか難しく、あくまでも今のリズムが終わってから始まる「ターン制」なんじゃないかと。
たとえるなら、大勢が同時に四拍子でハンドクラップをしているシーンがあったとして、その画面の中でひとり三拍子を叩くキャラクターを描くのはとてもとても複雑ーなわけで、次のシーンに三拍子のキャラクターを入れざるを得ない、みたいな。
そこには利点もあって、シーンをしっかり見せるいわゆる「決めゴマ」が生まれやすい(かっこいい)し、見やすくついていきやすいのかも。

僕、「ブルーロック」というサッカーアニメにどハマりしているのですが、こちらも決めゴマのかっこよさ、至近距離のキャラクターの動きの迫力が際立ちます。
その代わり、ボールを追っかけている選手達は同じリズムで走ったり、フィールドを俯瞰する時に映るキャラクターたちは一瞬CGになりながら「同じリズムでも大丈夫な瞬間」を切り取って見せています。

アップにすることや抽象的なバックにすることでその周りを映さなかったり、キャラクターのちょっとした癖やビジュアルで違いを作っていたりと、細かな工夫をしていかにかっこよく見せるかを追究してくれることが、僕ら視聴者に「アニメ漫画的興奮」をもたらしてくれるんだなと。

「THE FIRST SLAM DUNK」にはその「アニメ漫画的興奮」と同時に、「人間的興奮」のようなものを感じました。そして「人間的興奮」を得られる要因のひとつが先程の「ターン制の排除から生まれた奔放な動き」にあるんじゃないかと考えています。

「奔放」と書くと少し乱暴なイメージがありますが、ここはあえて「奔放」と表現します。
これは「カメラや、演出、演技に対しての奔放」です。

上記で書いた通り、従来のアニメは実は同じリズムの瞬間だけを切り取っていて、違うリズムのものはその画面に入れることが難しく、その次のカットに回る「ターン制」でかっこいい画作りをすることが多いです。

それに対して本作は、そんな違うリズムの人物を同時に何人もひとつの画面の中に納めているように感じました。違うリズムで作ることをより意識して突き詰めて作っているように僕には見えたんです。
先ほどの例えで言えば、四拍子の人もいれば三拍子の人もいて、なんならもっと変拍子な人をごっちゃにしてひとつの画面で動かしているということです。

これによってカメラを意識した演技演出ではなく、キャラクター達ひとりひとりが違った動きや、思惑、哲学をもっているように見え、映画を見ている側のイメージが飛躍し、結果的にキャラクター達が生きている一場面をたまたまカメラが捉えているように膨らんでいきます。それがこの映画への没入感に直結している要因だと思いました。

更に画面の中の選手たちはあらゆる方法でカメラを気にしません。
彼らはカメラのために動くのではなく、マッチアップした相手や戦況のために動きがあるからです。
コート上の10人があらゆる方向へ(我がままに)目線や身体を向け、相手が動けば画面から簡単に見切れ、顔や体の部位がチラチラ出たり入ったり、試合の中で己のタイミングで喜び、己のタイミングでうなだれます。

各キャラクターひとりひとりが同じ画面内で違うリズムで存在してる姿は、「役者」ではなく「ひとりの人間」としてスクリーンで生きていることに説得力を与えて、知らず知らず観客に刷り込ませていくんだと思います。(そしてこれは手描きではなくCGだからできる技術なんだなあー!と思い知らされました…!)

さらにさらにこの奔放さは「アニメ漫画的興奮」要素にも大きな相乗効果をもたらしていまして、
反対に同じリズムの瞬間!これがまたすごくすごく心地いいのです。
バラバラな動きにパキッと統一感が出る瞬間ひとつひとつに僕はグッときたわけです。

スポーツ漫画史上最強と(勝手に)うたわれるあの大クライマックスのラストワンプレーは、完全に「漫画のコマ」を意識してカットインのように作られてました気がします。
同じリズムの一コマ一コマの「決ゴマ」(ターン制)の中で、エンドラインからパスを出そうとする赤木を阻止する河田弟の必死な手の動きは、思わず「あの伝説のプレーが動き出した!!!」と鳥肌ガン立ち涙でまくりになります(なったよね?)

原作ファンならもちろんこの流れから期待するひとつ、試合終了直後の桜木と流川がもたらすあの「同じリズム」が待っています。
違うリズムで生きるキャラクターが、最後に同じリズム決めゴマどかーん!で終着していく姿は脳汁10リットルくらい出ました。

アニメでは難しい奔放さで人間的興奮を
実写では難しいゲキアツ決めゴマでアニメ漫画的興奮を
「THE FIRST SLAM DUNK」は同時に満たしてくれているんだなー!

という話でした長い!!!!!!!!

余談ですが「ジョジョの奇妙な冒険」のアニメの何年か前のインタビューで「7部のアニメ化するにはまだ時代に技術が追いついてない」のようなことをおっしゃっていたような。
何百頭もの競走馬が走る姿と違うリズムでキャラクターが闘う…この技術が必要になってくるとするならその時代がきたのかもしれないなーとワクワクした僕の妄想です。

本当は「THE SECOND SLAM DUNK」はないと思う、という話も書きたかったけど長くなってしまったのでまたいつか。



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