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連載小説:球影#1

 
 一昨年の夏の終わり、ある球団からゼネラルマネージャーの就任要請を受けた。
 その球団で初めてのGM制度で、旧態化した球団組織を一から立て直してほしいという依頼だった。
 話をもらって了承するまでの交渉のなかで、こちらからもいくつか条件をだした。結果、名目だけではなく、決められた予算内で球団運営の全権を担う、という契約内容にいたった。
 契約書をかわす際、こちらは弁護士を同席させ、球団側にはオーナーの立ち会いを求めた。日本のプロ野球界は、いまだに親会社の無用な横やりが球団実務を混乱させる。条件面の最終確認を、書面上の文言だけではなく、最高責任者の言質でとっておきたかった。
 シーズンが終わって正式に就任すると、まず出向で就いていた球団幹部を全員親会社に返した。かわりに、球団内外から集めた五人を、GM直属の部下として幹部に就けた。幹部のすぐ下には、ふたりずつの人員の配置だった。その十五人とは個別の話し合いを持ち、意思の疎通をはかった。直属の五人は以前からなにかしらのつながりがあり、性格も能力も欠点も把握していた。その下の十人は、五人がそれぞれの裁量でつれてきた人材だった。
 上層部の人事が落ちつくと、つぎは球団事務所の移転に手をつけた。親会社の社屋から、本拠地球場とは目と鼻のさきにあるオフィスビルへ。歩いていききができる。選手とフロントの風通しをよくするのが目的だった。物理的にも親会社から離れたかった。球団職員に、もっと球場へ足を運ばせる狙いもあった。
 就任一年目は、選手の人事に大きなメスを入れなかった。動きだしが十月で、本格的なてこ入れをする準備期間が不足していた。それ以上に、自軍の戦力がそれほど整っていないとは思っていなかった。
 ひとりだけ、うしろで投げる外国人投手を引っ張ってきた。それから、選手の起用法、チームとしての戦略、シーズンを通しての戦い方を詳細に現場に落としこんだ。
 開幕当初こそ、多少の混乱と戸惑いが見られた。
 それが、理解と浸透が進むにつれて徐々に試合内容が安定し、最終的にペナントレース三位でクライマックスシリーズに進出することができた。残念ながら日本シリーズまでは進めなかったが、年間を通して一定の評価のできるシーズンだった、というのが一年目の総括だった。
 二年目の構想は、夏場をすぎたあたりから練りはじめた。直属の幹部五人を集め、何度も協議を重ねた。いまの戦力を軸にすこしずつ概要を固めていった。最後まで名前のあがらない選手が数名いた。その選手の入団以降残した全成績をデータ化し、ひとりずつ入念に精査した。全員が戦力外、でわれわれ六人の意見は一致した。
 なかにはまだ他球団でなら使えそうな選手がいた。その選手はトレード要員にした。あとは、すべて首だった。
 一年目のシーズンの全日程が終了すると、一軍の監督を解任した。その子飼いのコーチたちも同様だった。私がGMに就く前からの人材で、みなまだ契約を一年残していた。契約条項に触れない文言を選び、私の口から直接解任を伝えた。
 監督は、昨シーズンの五位から三位に順位をあげたのになぜ首なのだといった。三位どころか、もっと上にいってもおかしくない戦力だった。それをいっている時点で、このチームの指揮をとる資格はない、と私は思った。
 ドラフトで指名した選手の入団が決まると、あらためて自軍の戦力を整理した。一対一のトレードをふた組成立させた。海外から、いきのいい野手をひとり引っ張ってきた。それで、おおよそ来季の戦力は整った。
 契約更改はこれからで、そちらのほうは、事前通知と下交渉でほぼめどは立っている。
 海野という、生えぬきのベテラン外野手をひとりのぞいては。
 海野は東京六大学野球出身で、一年目から打率三割を超える活躍で新人王をとった有望選手だった。来季十四年目を迎える。順調に成長すれば球界を代表する外野手にもなり得る存在だったが、二年目以降チームの主力にすらなりきれなかった。理由はかんたんだった。調子の波が大きく、安定していい成績を残すことができなかったからだ。ここ一、二年は試合にもでたりでなかったりで、今季の成績も準レギュラー級だった。すでにアスリートとしてのピークはすぎていて、そろそろ引き際を考えてもおかしくない年齢にさしかかっている。来季の構想でも、代打と外野の四番手という位置づけだ。
 引っかかっているのは年俸だった。
 いまでも、二億近い。入団二年目に盗塁王、六年目に首位打者のタイトルをとったからだ。なおかつ、球団本拠地が地元で人気と知名度があった。自身の球団グッズの売りあげも毎年高い位置で安定している。端正な顔立ちをしていて、数年前に結婚した相手は地元テレビ局の看板アナウンサーだった。
 つまり、年俸の査定のなかにプレイ以外の付加価値も入っているのだ。
 はっきりと打撃に陰りが見えはじめたのは、いまから三年前だった。そこから、成績は下降の一途をたどっている。
 空間認識能力の低下、とわれわれは考えていた。打ち損じ方に、その特徴が顕著にあらわれている。加齢や飲酒などの生活習慣からくる視神経の衰えで、今後プレイパフォーマンスが急激に向上、回復するとは考えにくい、というのが専門医の見解だった。プレイ以外の付加価値を考慮しても、現状では六、七千万の単年契約が相応の選手だろう。



 午後になって、私はGM室に大島を呼んだ。


        続ー球影#2



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