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連載小説:球影#2

 
 午後になって、私はGM室に大島を呼んだ。
 大島は五人いる幹部のひとりで、GM就任の際に私自身の手で引きぬいてきた人材だった。うちにくる前は、財閥系の商社勤めで海外を飛びまわっていた、交渉ごとの専門家だ。遊びの野球経験もなく、人生で一度もバットを握ったことがないといっていた。以前キャッチボールをしたときも酷いものだった。体型も、背が低くて小太りだ。
「座ってくれ」
 まずルーティンの報告を聞いた。すでにオフシーズンに入っていて、人事も編成もあらかた終わっていた。急ぎの事案もなかった。大島は、おもにグラウンドの外で起きる事象を担当していた。
「海野をなんとかしたい」
 報告が終わると、私はいった。
 海野の契約更改は翌週に控えていた。球団の方針は、あくまで来季も契約だった。そして、年俸の大幅な減額だ。ふたつは、相反している。交渉が難航する可能性は高く、折り合いがつかなければ方針の変更も考えなくてはならなくなってくる。現状では、海野がこちらの通知した悪条件を丸呑みしないかぎり、契約は成立しない。 
「すでに海野には、制限を超える減額の通知をしておりますが」
 大島はいった。
「反応は」
 協約で、年俸が一億を超える契約の最大減額率は四十パーセントと定められている。同時に、選手の同意があればそのかぎりではない、とも。つまり、最低保証額を割らず、選手本人が了承すれば、いくらで契約してもルール上問題はないのだ。今回海野には、率で七十パーセント、額で一億二千万以上の減額を通知していた。
「いまのところはなにも。担当からは、初回の交渉で海野のでかたを見る、と聞いています」
「私もいろいろ考えてみた。できることなら手離したくないな。このまま衰えていったとしても、まだ三、四年は使えるだろう。グラウンドのなかでも外でも。ただ、成績やほかの選手と釣り合いがとれていない以上、通知した額をゆずるわけにもいかない」
「あの金額ですんなり同意するとは思えませんが」
「まあ、まともにいっても無理だろうな」
 海野は地元に強い執着があった。入団以来、移籍の気配を見せたことはない。つねづね引退は地元でと公言していて、来季以降もまだまだ現役をつづけたいといっている。FA権は持っているが、今回も行使していない。
「あまり追いつめて、移籍に気持ちが傾いてしまうことはないでしょうか」
「あいつのの地元愛はそうとう強い。こちらが契約の姿勢を見せているうちはないだろう。よほどなにかないかぎりは」
「折り合いはつきますか」
「海野にもプライドがある。そうかんたんに妥協はしないだろうな」
 それからふたりで、今後の海野のでかたを想定した。それに対する策を想定した。初めから、弱みはむこうにあった。やり方さえまちがわなければ、それほど難しいかけ引きになるとは考えていなかった。
「で、わたしの役割は」
 大島はいった。気づいたようだ。私は本件の肝となる大事な部分を説明した。最後にいった。
「この契約更改は特殊事案だ。海野との交渉は全部おまえひとりであたってくれ。報告は、そのつど私に入れるんだ」
 通常の契約更改は専属の担当者がいる。本件は大島に一任するのが最善だと判断した。大島は快諾した。
「では以上だ。よろしく頼む」


 週が明けて月曜日、海野の契約更改がおこなわれた。



        続ー球影#3



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