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連載小説:球影#12

 
 オールスターを翌週に控え、未解決の案件を三つ抱えていた。
 ひとつはそれほど重要度も高くなく、もらい事故のような事案だった。うちの主力選手のひとりが、反社会的勢力の男と一緒の写真に写ってしまった、というものだ。それが、メディアを通して世にでまわった。
 本人からの聞きとりと独自の調査で、偶然写りこんだだけだということがほどなく判明した。写真は高校時代の同級生の結婚披露宴で写した集合写真だった。同級生はごく一般の会社員だ。反社の男はその遠縁にあたる。おたがい二百名以上出席した参列者のひとりだった。写真の前もあともふたりは赤の他人で、いくら踏みこんで調べてもつながりは見られなかった。
 もともとどの媒体もあつかいは遠まわしだった。なにかを断定するようなものいいはしていない。その写真の状況を解説するていどだ。
 その週の幹部ミーティングで、一応とりあげた。
 議題にあげてみたものの、あまり議論に熱は入らなかった。じっさいのところ、なにも起きてはいないのだ。
 日ごろから、身のまわりはきれいな選手だった。放っておけば世間はすぐに静かになる。最初に写真を載せた出版社にもとくに抗議はしなかった。選出されていたオールスターも、辞退を考えなければならない理由がないため、そのまま出場させることにした。
 過剰に反応しない。
 あとは、静観だった。
 ふたつ目の案件は、うちのショートを守る森下という選手に関する不満だった。本人への不満ではない。われわれ球団やメディアをふくめ、球界全体で森下を過小評価していることへの不満だった。
 森下は、八年前に社会人野球からドラフト二位で入団していた。高校、社会人を通じて、これといって目立った成績は残していない。守備の能力に秀でた選手で、プロ入り前からプロ以上に基礎ができていた。その上で、動きに応用力があった。身体能力も球界トップクラスだが、けっしてそれだけに頼っていなかった。判断能力はプロに入ってさらに磨きがかかった。送球ミスはほぼ皆無といってよく、グラブさばきなどいわずもがなだ。
 もともと打撃の能力は高くなく、ほとんど守備力だけでプロの飯を食っている。今季の年俸は九千八百万。私の主観では現在球界最高のショートストップで、年俸はもっと高くていいと思っていた。査定を指標の数字のみですると九千八百万で、森下からもとくにそれ以上の要求はなかった。
 ゴールデングラブ賞は、毎年受賞している。それだけ、だった。一部の球界関係者や、一部の目の肥えたファン以外には、プレイの本質を認知されていないのが現状なのだ。
 守備力を示すデータに、UZRとDRSという指標がある。自軍の主力だけではなく、他球団の主力と比べても、森下はそのどちらの数字も突出していた。
 それだけでも充分に球界を代表する野手だった。森下には、さらに上があった。試合の流れのなかで、勝敗を決定づけるここぞという局面を迎えたときだ。打者と投手のデータを踏まえ、捕手の配球とその配球を読む打者の心理を読み、一球一球のバットスイングに神経を研ぎ澄ませ、とても常識では考えられない動きで勝利を引きよせる。
 それが、年々凄みを増している森下の守備の真髄だった。
 今季もすでに森下の守備で勝った試合がいくつかあった。そのたび、ひとつのファインプレイとしてはとりあげられる。だが記録にはアウトとしか残らず、いつもそれにふさわしい評価はされなかった。 
 現在チームはペナントレースで首位を走っている。野手にも投手にもMVP球の功労者はいた。みなわかりやすい活躍で、それぞれ球団内外から正当な評価を受けている。
 前半戦首位の陰の立役者。私は今季の森下をそう評価していた。ほかの中心選手同様、けっしてチームになくてはならない存在だ、とも。
 そんな森下を、いつまでも不遇のままでいさせるわけにはいかない。
 だから今回、球団であらたに設けたGM賞という賞で表彰することにしたのだ。
「きょうは自分だけではなく、家族まで招いていただいてありがとうございます。土尾GM」
「こちらこそ森下君、日々のハードワークでお疲れのところよくきてくれた」
 きのうオールスターの初戦があった。今年も当然のように森下は選ばれていない。森下をふくめ、オールスターに出場しない選手は、その期間休日になる。その休みに合わせて、球団系列のホテルの宴会場をひとつ押さえていた。表彰式兼、食事会だった。
 森下には、家族全員での出席を打診していた。妻と四歳になる双子の娘の四人家族だった。球団側からは、選手、コーチ、裏方、事務方と、総勢百名以上が出席していた。メディア関係者も呼んでいた。森下のためにも、できるだけこの式の注目度を高めたかった。
 森下は、プロ野球選手としてはそれほど体の大きいほうではなかった。その体のうしろに、妻と娘の姿があった。
「本日はお忙しいなか奥様までお呼び立てして、たいへん申しわけございませんでした」
 私はいった。森下の妻は、とんでもありません、子供たちまで呼んでいただいてこちらこそありがとうございます、と頭を下げた。色白の細面で、森下と同じように控えめな印象があった。たしか森下の三歳ほど下で、森下とは社会人時代の同僚だったはずだ。
「お嬢ちゃんたちもよくきてくれました」
 双子の娘は、二重まぶたの大きな目で、まっすぐこちらを見あげていた。にこにこと屈託なく笑っている。名前を訊いた。
「もりしたくみです」
「もりしたみくです」
 ふたりとも同じように元気だった。顔も髪型も服装も同じで、初対面の私にはまったく見わけがつかなかった。なぜかそれぞれが自分の体ほどもあるバッグを抱えていた。私はふたりに、荷物を預かろうか、と声をかけた。
「にもつじゃないもん」
 双子が声をそろえていった。それからバッグを下ろすと、慣れない手つきでごそごそとチャックを開けた。なかから一匹ずつ子猫が顔をだした。同時に、みゃーと鳴いた。双子同様、子猫も二匹そっくりだった。
「かぞくぜーいんていうから、つれてきた」
 双子のひとりがいった。
「チーとニーもかぞくだもん」
 もうひとりがいった。
「こら、おまえたち。猫はださないって約束だろ」
 森下が割って入ってきた。
「すみません、GM。何度もだめだといったんですけど、聞かなくて」
 私は、自分の口もとがほころぶのを感じた。まわりにいる球団関係者も白い歯を見せていた。
「いや、かまわない。家族全員といったのはわれわれのほうだ」
 きょうの仕切り役を任せている部下を呼んだ。このあとの会食に猫用のメニューを追加するよう指示した。
 予定通り、さきに表彰式をはじめた。
 まず私が壇上にあがった。表彰といっても、とくに球歴に残るような公式のものではない。今季前半戦の球団GM賞。かたくるしい挨拶も、はじめから考えてはいない。
 功労を称える言葉をいくつか口にし、登壇した森下に書状を手渡した。
「今季も開幕からたいへんすばらしい仕事をしてくれました。賞賛、のひと言につきます。引きつづき後半戦もよろしくお願いします」
 それから盾と記念品を贈呈した。森下にはそこまでだった。褒賞金は森下ではなく、つづいて登壇した森下の妻に渡した。金額の入った明細書を、祝儀用の華美な封筒に入れていた。日々森下を支えているねぎらいの言葉をかけ、金額を伝えた。
「正式な賞与の形をとっています。課税の対象となるので、適切な会計処理をお願いします」
 森下の妻は金額の大きさに動揺していた。礼もしどろもどろだった。報奨金をだすことは事前に知らせていなかった。金額も、三日前に、私の一存で丸をひとつ足していた。
 最後に、うちの女性職員に手を引かれて壇上にあがった双子に、来年発売する予定の最新の球団オフィシャルグッズを贈った。
「おじさんのみんなたくさんくれてありがとう」
 ふたりは山のようにグッズを抱えたまま、口をそろえていった。ふたりとも球団マスコットが好きなようだ。そのぬいぐるみを渡したときがいちばん目を輝かせていた。
 食事会はさらに砕けた雰囲気になった。
 会場には大きい丸テーブルがいくつも並んでいた。上座下座はない。席次も決めず、私は森下家と同じテーブルについた。
 料理は和洋中の折衷だった。双子には子供用のプレートセットを用意させていた。猫には専用のフードを盛りつけた一枚ずつの皿。
 大人のグラスにアルコールが注がれていった。アルコールはそれで終わりだった。球団の規定で、公の場でのアルコールはグラスに一杯までと定めていた。
 食事がはじまれば、あとはなにがあるわけでもなかった。なごやかな雰囲気での雑談だ。話の中心はむろん主賓の森下であり、森下のプレイだった。こうやって焦点をあて、日ごろの労をねぎらう狙いも、きょうの式にはあった。
 だがその目論見は序盤であっさりとくつがえされた。ここでも森下は主役になりきれなかった。乾杯が終わると、話題は早々に双子の娘のほうに移っていった。野球の話から幼稚園の話へ。森下の名前から二匹の子猫の名前へ。そしてそのうち話の中心は完全に双子になり、森下の話題はすっかりなくなってしまった。
 途中からは会話にすら参加していなかったが、森下はそういった状況をまったく嫌がっていなかった。むしろ、娘たちが無邪気に楽しんでいることを、心底自分の喜びと感じているように見えた。球場ではけっして見せない優しい目で、終始ふたりを見守っていた。
 私は、森下が日々野球にひたむきになれる理由が、なんとなくわかったような気がした。

 

 その翌日だった。


      
      続ー球影#13




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