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視覚に頼りすぎている自分に気づいた

パラリンピック競技の中に視覚障害の選手がいます。
その中でメダル候補でもある視覚障害競技のゴールボール男女、柔道に携わらせていただきました。
彼らと接することで、「視覚に頼りすぎているな」と実感するエピソードがあります。
エピソードと合わせて主張していきます。

①「本質を見ているのかもしれない。」
視覚障害の中にも差があります。全盲の選手や色彩障がいの選手など様々です。
全盲とは暗闇の中で生活している状態に近いそうです。関係性ができた全盲の選手に会話の中で、質問をしたことがあります。
「見えないことで困ったことはありますか?」
「そうですね、余計なものを見なくて良いのかもしれません。相手を容姿で判断することはないし、声やトーンや間、気遣いなどに重きを置くことができます。」
このセリフを聞いて、私は伝え方や傾聴などに重きを置くように、より心がけるようになりました。

②「なんでわかるの!?」
2回目のトレーニング指導を終えた次の日、施設に向かうときにゴールボールの選手がいました。
挨拶をしようと後ろから声をかけました。
間を空けず「あ、工藤さん!おはようございます!」私は、「なぜ、すぐに私だとわかったんですか!?」と思わず聞き直してしまいました。
「それぞれの声を認識しているので、分かりますよ〜!」と一言。

これらの経験を通じて、視覚に頼りすぎることがどれだけ自分の視野を狭めていたかを痛感しました。
視覚以外の他の感覚や本質を見る力の重要性を感じました。

そんな彼らが出場権を勝ち取り、パリパランピックで行われます。
私たちは、彼らの勇姿を目に焼き付けながら、応援しましょう!

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