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にゃ会福祉学 三限目 「働く」

 猫の手も借りたい。師走の由来になった、走り回るお坊さんも、そう思ったかもしれない。忙しい季節だ。

 我が家の猫たちも忙しそうだ。朝、5時ごろ、2歳の雌猫「えん」と1歳の牡猫「ふく」はどちらともなく、いそいそと動き出す。

 寝ている私と妻を呼び、鳴くが、反応がないと、バタバタと部屋中を走り出す。それでも起きないと諦めたのか、静かに眠りにつく。結局、私たちと同じ時間に目を覚ます。まずはご飯。そして、ひなたぼっこをしたり、ウトウトしたり、2匹で走りまわったりしている。私たちの行動がわかっているのか、出勤時間になるとソワソワし出す。

 その後は、どう過ごしているかわからないが、帰ってくると、部屋が荒らされていることが多い。随分とはしゃいだなと、複雑な気持ちになりながら部屋を片付ける。

 夜ご飯を食べ、遊んだり、甘えたり、夜の風景を見たりする。結局ウトウトしているのだが、なぜか、私たちが寝ようとすると活動的になる。夜の大運動会だ。しかし、いつの間にか寝室に来て、私たちのベッドの上で眠りにつく。

 そんな、えんとふくの1日を見ていると、「世の中のしあわせ」である社会福祉において重要な働くことについて学ぶのだ。

 

 なぜ、人は働くのだろう。人が動くと書いて、働くと読む。行動を起こすことが働くことだとすれば、それは何のためなのだろう。

 えんは3カ月ほどの野良生活の間、何度もけんかをしていたようで、その後遺症か、まぶたに違和感があり、ピクピクとけいれんする時がある。ふくは兄弟がいたが、何匹かハクビシンに食べられてしまった。

 2匹とも、失っていたかもしれない命。生きていなかったら、見る、聞く、味わう、感じることもできなかったありとあらゆる事象が世の中にはある。だから、生きることにこだわる。それが幸せにつながると、わかっているから。

 毎日、良く食べ、寝て、遊ぶ。それは、頂戴した命を幸せに活かすための行動だ。2匹にとってはそれが仕事であり、働いていると言える。

 人も幸せに生きるために働いているはずだ。お金を稼ぐため、税金を納めるために働くのではない。しかし、現実は「働くもの食うべからず」と強いる。過労になり、食欲がなくなり、眠れなくなり、遊ぶ余裕もなくなる。心を病み、命を落とす人もいる。

 そんな苦しい状況になってしまった方のため、「きゅう」では、一人一人のペースを守り、自分を見つめ直していけるような、豊かな時間をつくることができるよう心掛けている。得意なこと、好きなことを活かせるような働きかたを一緒に考えている。一人の笑顔が誰かを笑顔にしている。

 人が動くことも「働く」ことだが、向こう三軒両隣、半径数メートルほどの周囲の人、「傍(はた)を楽(らく)にする」ことも「働く」ことだ。自分も相手も楽に過ごす。自分も周りの人も幸せそうに笑っている。働くことで誰もが幸せに生きていける。まさに、社会福祉だ。

 猫の一生は人より短い。時間がもったいない。えんとふくは忙しいのだ。しかし、「にゃ会福祉学」は忘れたりしない。何のために働くかを。

2020.12


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