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私の心はいつも春だ

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あんな話、こんな話。さりげない日常の記。
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2020年6月の記事一覧

紙面飾った自分で書くより的確な記事

佐々木七恵さん(09年6月29日) 女子マラソンの先駆者・永田七恵(旧姓佐々木)さんが27日、…

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子どもが東大に入ったら…夢の夢だな

まあ夢の夢(09年4月12日)東大の入学式が4月11日、日本武道館で行われた。式には新入生約32…

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妻と話題の「60歳のラブレター」鑑賞

60歳のラブレターに?(09年5月19日)たまには映画でも…夫婦50割で映画を…。どちらかが50歳…

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マジか家族で鮨屋に行ったの1回だけ

たまには「鮨屋で…」(09年11月5日)国民の祝日は年に15回。その中の一つ、文化の日は私の結…

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自慢の肖像画いずれは処分される運命

肖像画と、美少女… (07年8月1日)知人に描いていただいた肖像画を14年間、ピアノの上に立…

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日本で初の心臓移植 社会事件に発展

あれから40年…(11年2月16日)約40年も前、世間を騒がせた2人が亡くなった。2月5日、連合…

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母親の戒名は「鶴壽…」/遠野雑記帳

七夕の日(09 年7月10日) 母の戒名は「鶴壽妙観禅大姉」。5日午前5時45分永眠、98歳だった。入院3日目。看護師が午前4時に巡回した時、異常はなかったという。(うろ覚えです) 母は4年前の3月、余命2週間と宣告された。奇跡的に助かり、元気になった。長生きした分、苦労も多かったはずだが、米寿の記念写真の遺影は黙して語らない。 「おばあちゃん、聞こえますか…」。お別れのあいさつは24歳のひ孫。「私もやる時はやるでしょう?」と、彼女が胸を張ったとおり、慈愛に満ちた別れの言

「こんな風に過ぎて行くのなら」に参列

浅川マキさんに献花!(10年3月10日) 浅川マキさんの「ちっちゃな時から」「裏窓」「少年」…

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