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憧れと執着

 「あの人は可愛くて羨ましい」とか、「あの人の環境は恵まれてていいなぁ」とか、そういう思いはどこにでも溢れているものだ。
 時にはその思いが原動力になって、それまでの自分から一皮剥ける人もいるだろう。
 でも本当に人として一皮剥ける時というのは、自分にしかない武器を見つけて、堂々と自分を語って歩ける時ではないだろうか。人に憧れて、その人と同じようになりたい、その人になりたいと願い、努力した先に…憧ている人になりたいというのでは、一体自分自身は何処にあるのか。
 某CMのように、「アンタ、そこに自分はあるんか?」と私は問いたい。
 そういう私も、遡ること小学生時代。非常に周囲と自分を比べる癖を持っていて、自分はここに存在しているけれども、私自身が認めた私じゃない、というジレンマに苦しんでいたことがある。
 「あの子の持っているボールペン可愛いな。筆箱も可愛い。私もああいう筆箱使おう。良いなぁ、あの子は自分の部屋があって。私もコタツじゃなくて自分の勉強机が欲しい。あの子の字は丸っぽくて可愛いな、私も真似しよう。」
 自分が羨ましいと思ったものはなんでも真似をした。
 人を羨ましく思うということは、同時に自分の今を否定していることでもあると私は考えている。
 まぁ、私は結果的にいろんな人の字を真似てきたおかげでとても字が上達した。そういった点では憧れて人の真似をしてみるというのも悪くないのかも。笑

 でも行き過ぎる時がある。それは、羨望が妬みに変わる時だ。自分に対する劣等感が大きい人ほど、憧れていた人へ次第に妬みの感情を持つことがある。
 憧れている人の文句を言ってみたり、粗を探したり、ものを奪ったり、その人の存在を陥れようとしてしまうことがある。自分に自信がない人ほど、他人のことは批判するのに自分を顧みようとしない。それは非常に「自分は中身のない人間だ」と周りにひけらかしているのと同じだ。

 憧れを心のエンジンにして走り出したなら、ゴールに待つのは憧れた人ではなく、憧れて努力したことで進化した自分なのだ。
 どうか自分を大事にすることを忘れないでほしい。私も、忘れない。

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