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かいこ

"もし私が神だったなら、青春を人生の終わりにおいただろう"
とかつてフランスの詩人であり作家でもあったアナトール・フランスは表現した。
では、もしそのような世界があったとしたら?




DAY1


 幾重いくえにもかさねられた糸の隙間すきまから、じんわりとみいるような光がれていた。そこに向かって手を伸ばすと、自分で思っていたよりもすぐ近くでコツンとつめに軽い感触があってそれでようやく、自分がせまい空間に閉じ込められていると気が付いた。

DAY2


 前に目が覚めてからすぐにあのまま眠ってしまったので、結局何もわからずじまいだ。どうしてもあらがえないほどの眠気とこの空間の心地よさがあいまって、二度目の目覚めも不思議とすっきりしている。こんなに眠ったら、いつもひどい頭痛に悩まされるというのに。

 まるであたたかい海をただよっているような心地よさのあるこの空間には、私以外何もない。それに狭くて立つこともできない。痛みもなければ、空腹も感じないので、そこは安心していられるのだけど。ここがどこかもわからないし、できる事と言えば寝転がってゴロゴロするくらいしかない。どうしてこんなところにいるのか思い出そうとして、またひどい眠気に襲われた。


DAY3


 何か夢を見ていたのに、目が覚めるのと同時に忘れてしまった。れたほおを指先でぬぐって、ぼうっと目の前のゆる湾曲わんきょくしたかべを見つめる。相変わらず心地よい暖かさと、自分の呼吸音くらいしか聞こえてこないこの空間で、夢なんて見たのがおかしくて笑ってしまう。そうすると、なんだか気分も良くなってきた。一人で笑っているのは変だとわかっているのだけれど、ここには私一人しかいないし、他にすることもない。ごろごろ転がりながら笑っていると、足がいつものように壁に当たって、パキ、と軽い音を立てて壁が割れた。

 いびつな四角に割れてしまったそこから、あわてて足を引き抜く。壁越しではない光はちょっとまぶしくて、手をかざしながら苦労して体を動かし、そのできたばかりの穴をのぞいた。
外には私ではない人が立っていて、目が合うとちょっとだけ目を見張り、それからふんわりと笑って、手を伸ばしてくれた。
羽化うか、おめでとうございます」
 その言葉でようやく、私は自分が成人せいじんしたことをさとったのだった。

DAY4

 私たちは、六十年を働き人ワーカーとして生きると、まゆになって眠りにつく。そうして、眠りから覚めると一人前の大人、つまり成人して子供を作れる体に変わるのだ。そうなってからはうんと早い。成人してから、一年くらいで寿命が来てしまう。今までの人生の六十分の一しかない。それでもみんな、成人するのを楽しみにしていた。一生に一度の、体力も気力も充実じゅうじつした一年。今までの貯金を使って世界旅行に出かける人や、細々ほそぼそと続けていた趣味の個展を開いたり、大好きな人と家族として過ごしたり。やりたいことは、なんでも国がサポートしてくれる。もちろん、犯罪や危ないことは禁止されているけど。

 羽化うかしたての人っていうのは、記憶がちょっとぼんやりしていることも多くって、それでこの戸籍こせき係のお兄さんのように説明してくれる人がいるんだそうだ。お兄さんは当然まだ成人していない働き人ワーカーだから、年上の私を丁寧ていねいに扱ってくれた。それから必要な手続きをして、私が眠る前に手配していた家の鍵を渡してくれる。

「記憶ははっきりしていらっしゃるようですから問題はないと思いますが、何かお困りのことがございましたらいつでも頼ってくださいね」
 どこまでも丁寧な態度を崩さなかったお兄さんは、私的には高得点だった。役所の人間なんて不愛想な人ばかりだと思っていたけど、成人したのなんて初めてで、ちょっと怖いと思っていたのも確かだったから、すごく頼もしかった。気を付けることをまとめた成人手帳というものをもらって、座っていた椅子から立ち上がる。

 新しく生まれ変わった気分で浮かれたように自動ドアから外の世界に出ると、外は緑の濃い夏の季節だった。アスファルトにけた熱風が、力強く吹き付けてくる。成人前には倒れそうなくらいきつく感じていたそれが、今は海にすずみに行こうかな、という気分にさせてくれる。この中でも動けるほどに、体中に力がみなぎっているのだ。それを感じて、私は思わず叫ばずにはいられなかった。
「成人、さいこう!」


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