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「愛の学校」開校のお知らせ

愛の学校、開校!


愛ってなんだろう?

愛という言葉は、人の歴史の長さだけ語られてきたはずなのに、親や先生は、その本質を教えてはくれない。
大切なものなはずなのに、分からないことの方が多いし、なぜかそれを言葉にすることに恥ずかしさや、躊躇いもある。
むしろ、普通に生きていたら、愛なんてものはそんなに重要でないようにさえ思う。

だけど、私たちは愛に苦しむ。
もっと愛されたい。
自分のことを愛したい。
大切な人のことを愛したい。
でもなぜかうまくいかない。どうしていいか分からない。愛って苦しい。

愛の学校では、大切だけどよく分からない”愛”というものについて、対話し、学び、分かち合い、より深めていきます。
私たちが目指すのは、これが正解だという愛を押し付けたり、愛されるための小手先のテクニックを教えたりすることではありません。

私たちは、愛をテーマに、自分の内側にあるものを探究し、そこにあるものを全て愛して統合すること。
その上で、大切な人の人生を愛すること、そして、この世界の愛を感じていくことを目指します。

今回は、自己愛編。

今回は愛の学校のプロトタイプとして、自己愛にフォーカスしたプログラムです。(いずれ関係性編もやりたいです)

自分を愛することができないものに他人を愛することはできない。という前提の元、全ての土台となる自己愛について深めていきます。
その中で自分の中に生まれるものを共に分かち合い、共に愛することで、自己愛の体感を目指します。

日程

2月20日(土)、21日(日)、24(水)の3日間、
いずれも18:30〜21:30で行います。
○各回のテーマ
1日目:愛とは何か。愛の仮説
2日目:自己愛について
3日目:愛の表現(自由参加)

場所

@ZOOM

お金のこと

愛というものを扱う上で、お金を発生させることに躊躇いがあります。
人の欠乏感や不安を煽り続け、搾取するという構図になることを避けたいからです。
しかし、無料で提供できたらいいなと思う自分もいれば、やっぱりお金がないと生活できないという自分もいます。

そんな葛藤の中で、今回はあえてお金をいただくという決断をしました。金額は6000円です。この数字はくじ引きで決めました。
このプログラムの価値を測り値段を決めることと、自分たちが願う愛を、今の時点では両立させることができないと判断し、それならば流れに身を委ねようと思ったからです。

ただし、売り上げの使い道はみなさんと考えたいと思います。
プログラムの3日目にお金と愛というテーマで、いただいたお金の旅先をみなさんと対話する時間を設けています。

無形商材の多くは、なんでこの金額なんだろう?その行方は?と色々と分からないことが多く、それが違和感としてずっとありました。
だから、どのようにお金が使われることが心地いいか、対話したいです。
ここで生まれたことはその通りに実行いたします。

最後に

私たちは、今私たちが考える愛について、たくさんの人に理解し、認めてもらうことにこだわるつもりはありません。そして、私たちの考えが誰にも伝わらないことにもこだわりません。

どうか、私たちの願いが必要な人に必要なタイミングで届くことを祈っています。

お問い合わせやご相談がございましたら、お気軽にご連絡ください。

▽お申し込みフォームはこちら

https://forms.gle/2393xnLxoyNDYsL46

ファシリテーター紹介

⬜︎枝廣くるみ
こんにちは。枝廣家の末っ子、くるみです。家族が大好きで、友達も、恋人も大好きで、周りにいてくれる大好きな人を大切にしたい想いで生きています。すべての人が自分の”中心”を表現して生きられたらと願い、まずは自分が、ずっと表現できていなかったあんな部分やこんな部分を文章にしたり、ずっと持っていた愛への探究心をこのプログラムに乗せて表現することにしました。今は、自分の家族へのインタビュー記事を通して、親子という関わりや家族の可能性を模索したり、作家になりたい一方で文章がなかなか書けない葛藤をそのまま垂れ流したエッセイなどを書いたりしています。また、愛に境界線を引く恋愛のかたちに違和感を持ち始めたことから、自由な恋愛のかたちを模索することもライフテーマ。さらに自分や人との向き合い方の探求を通して、現在は「すべてのものはあるべくしてそうあっている。なにを変化しなくても美しい」という信念のもと、良い悪いを判断することからの脱却を試みています。

⬜︎常川 衛
正直、プロフィール書くの抵抗あるんですよね。
ただ過去の出来事や今あるラベルを並べるだけでは、商品展示会と大体同じというか、今この瞬間の自分を本当に言い表すことができないからだと思います。
経緯だけお伝えすると、
2020年10月に、割と無計画に会社を辞めました。特に会社に不満もなかったのですが、生きている心地も特になかったからだと思います。
しかし、会社を辞めたものの、なぜか突然何もやる気が起きなくなり、2ヶ月ほど半引きこもり状態になっていました。その中で、
「仕事も実績も特にない今の自分をそのまま受け入れることは、今の自分にしかできないし、これから生きていく上で必要な時間なのではないか?」、
「こうしなければならない、という自分の恐れの声を全て無視したら何が起こるのだろう?」
そんな問いが浮かび、実践した結果こうなりました。
木漏れ日のように、決して目立ちはしないけど、良い悪い、正しい間違い、善悪、
そういった価値判断をせず、ただそこにあるものをそのまま受け入れるあたたかな光になること。
そしてただ空が青くて、ご飯が美味しくて、大切な人といられることが今のがささやかな願いです。

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