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5月9日「母、逆子産んでくれてありがとうカレー」の作り方

凄いことを思いついた!・はじめに

母の日ーー5月9日(日)。わたしの25回目の誕生日の1日前だ。

母の日だな、とは2日前くらいから思っていた。
何をしようか、思考を巡らせる。お金で・・・
まず出てくる選択肢は、正直なところ、
「お金がかかる系」か「お金がかからない系」の二択である自分に気づき、自分へのガッカリ感がチラ見えする。
価値観をお金に依拠するわたしが出てくる。

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もうちょっと続く、長い前置きなんだけど。

注意散漫で、エネルギーがうまく流れてなかった近頃だった。母の日の前日、スパイスカレー教室でともに学んだ友人からありがたい呼び声を受けて、オンラインでつないで各々がスパイスカレー作りに取り組む時間を作ろう!となっていたところだった。

たしかに、今は何かに没頭するのがすごく大切だ。しかも料理とは、まさにそういうものだと思う。没頭。

そしてもうひとつ、「自由な表現の象徴」とも言えそうなくらいの、スパイスカレーの不思議な自由さが、今の自分の自己表現欲求をも満たしてくれそうだ、と思った。

教室の中で言われていたような気がする、「食」それ自体、作った者がそこに込めるエネルギーが食べる者と混ざり合い、身体の一部となる点で、究極的なコミュニケーションなのだ、ということも、「なんだかスパイスカレーを作ることが今の自分にとても重要そうだ」という予感を強めた。

教室では、自分の想いを言語化し、具材や工程への工夫を通してオリジナルスパイスカレーを作るというプロセスを学んでいた。ひさしぶりに、自分の中にある想いを、カレーにでも表現してみようか。何を表現しようかしら。

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というところで、思い立った勢いを大切にせねばという気持ちから、声をかけてもらった次の日ーー偶然にも母の日だったーーにカレーを作ることを宣言した少しあと、あらためて表現したい自分の内面世界を観察すると、そこには「母」「誕生日」というワードがあった。考えてみたら、わたしは逆子だったんだ。ほんとに痛かったんだろうなー、産まれる前からかまってちゃんやなー。

ということで、(以下の設計図のように)さらにブレストを膨らませて作った、母の日オリジナルカレーのレシピをここで紹介してみようと思う。

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材料(約4人分)

■はじめのスパイス
スターアニス(八角) 2個
クミンシード 小さじ½

■メインのスパイス
コリアンダー 小さじ2
カイエンペッパー 小さじ1/3
ターメリック 小さじ1
クミンパウダー 小さじ½
カルダモン 小さじ½

■材料
油 大さじ4
にんにく、しょうが 2片ずつ みじん切り
たまねぎ 大2個(本当は1個でいいんだけど・・・モリモリ。) うす切り
塩 少々
トマト缶 0.5~1個
牛すね肉 300~400g
キャベツ 適量(あってもなくてもよさそう) 適当にちぎる
牛乳 100ml
水 300ml

■盛り付け
生クリーム 気持ち程度
アボガド 縦に2分割してから横に1.5センチ幅でスライス
トマト よくある8つ切り

※メインのスパイスと、牛乳と水の分量はうろ覚え

作り方

⓪牛すねのコトコト

牛すねをちょうどいい大きさに切って、強火で沸騰したお湯にドボン(牛さん特有のにおいが気になったけど、特に何もしなかったので、次回からはねぎを一緒にゆでたりするといいらしいね)。灰汁が出てくるだけ出てきて、いい加減にして!と思ったら弱火にし、じっくりコトコトを続ける(1~2時間がちょうどいいのかな?長ければ長いほどいいの?わかんない。教えてほしい)。

①油とスパイスのシュワシュワ

ここから早速カレーの香りを作っていく。火を弱火にして、大さじ4の油をたっぷりとフライパンに入れ、はじめのスパイスを入れる。クミンシードは、最初はなんてことないという表情をしているけど、だんだん・じわじわとまわりからシュワシュワが出てくる。これはいいサインで、同時にカレーっぽい香りが少しずつしてくる。シュワシュワとダンスする彼らが香りを油にしみ込ませ、ちょっと盛り上がってきたところで、しょうがとにんにくのみじん切りを投入する。まだ弱火。スパイスと一緒にシュワシュワする彼らも美しい。ちなみにこのときのフライパンの中の光景は、いつもわたしに曼荼羅を想起させる。目安としてはにんにくが少しこんがりしたら、次のステップーー早速の山場だ。

②たまねぎのジュワジュワ

うす切りしたたまねぎをフライパンに投入して、一気に強火にする。気分もさらに盛り上がっていく。ここから、カレーのベースとなるたまねぎをじっくりと時間をかけてこがね色にしていく。最初は油を全体に馴染ませるためにかき混ぜ、そこからは基本的にあまり動かさない。焦げる前に返し、少しずつ色を濃くしていく。何回かやったら、ここで裏技、水だいたい200mlと塩少々をかけるのだ。そうすることで浸透圧でたまねぎの内側からどんどん水分が出やすくなり、こんがりするのも早くなる。わたしはいつもこれをやるときナメクジを思い出しながらやってる。そうして水がなくなってはもう1回ほど同じように繰り返したら、だいぶん茶色になってると思われる。最終的に、ヘラで「たまねぎロード」と呼ばれる道が作れるほどに水分が抜けたら、OK!

③トマト缶のゴトゴト

中火にして、トマト缶をドサーッと加える。(ホール缶だったら、より強い気持ちで)つぶしながら再度水分を飛ばして、ふたたび「たまねぎロード」が現れたら、次へ。ちなみに、トマト缶の中に残ってるトマトエキスをフル活用するために、だいたいは空いた缶に水を入れておいて、あとで水の登場シーンにそれを使う。でも今回は、牛すねさんの煮汁を使ってみたかったので、それを入れておく。

④スパイスのワクワク

とうとう、メインのスパイスの登場だ。弱火にするやいなや、次から次にスパイスを放り込む。カレー作り中に発見するアートはたくさんあるけど、このときが一番派手なアートで、芸術も堪能できるよね。ところで、カイエンペッパーはきれいな赤だからっていれまくったら後悔するよ。でも、刺激(繁樹)を求めてるお母さんのために3分の1は入れた。

⑤具材のグツグツ


煮込んだ牛すねとキャベツを投入、中火にする。ある程度のところで見切りをつけて、水やら牛乳を入れてくのだ。分量適当。いい塩梅になるまで加える。なんかわたしが作ったとき異常に濃かったから最終的に合わせて700mlくらい入れてた気がするわ。そうすると、シャバシャバになっちゃったから、塩を入れすぎてたのかな。今度から最初は少な目に入れるようにしよう。味を見ながら20分弱煮込んで、本体完成~!

盛り付け

出来上がり!

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こちらが、母への感謝を表現した「母、逆子産んでくれてありがとうカレー」だーー。

もうおわかりの通り、このカレーは別にお母さんに食べてもらったわけではない。現地スタッフがおいしくいただいた。

もしかしたら、説明するのは野暮なのかもしれないーーしかし、スタッフ・Kの様子からは、それぞれの盛り付けが何を意味しているものなのかほとんどわからないようだったため、この期に及んでシラけることも恐れずに、説明を入れてみたい。

おわかりだろうかーー。お腹の中の神秘的な情景が再現された一品。真ん中に位置する、小さいお皿と小さめの茶碗を使って配置したごはんで表現されるのは、逆子(くるみ)だ。三角座りの足は、アボガドのアチャール(*)。周囲に漂う生クリームが、神秘的な雰囲気を表現する。

(* https://internetofspice.com/1009999/ を参照されたい)

ちなみに、トマトはハートっぽく置き、ベタなラブコメ好きで定評のある母の世界観を演出した。奥のアボガドは、地元島根・浜田の山(実家はマジで山のふもとなのだ)をイメージ。もうひとつ、母の人生においてキーパーソンであり、「産んでくれてありがとうカレー」の登場に特にふさわしいもうひとりともいえる父(繁樹・シゲキ)を表現するための立役者・スターアニスは、ここで盛り付け忘れていた。

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ということで、2日目のお昼に食べたカレー(真ん中に鎮座するのがスターアニス=刺激物っぽい見た目)。ちなみにこのとき、普通の盛り付けの方がおいしそうに見えるな、と思っちゃった。

最近観た映画「きっと、うまくいく」でも、ちょうど出産の大変さが描かれていたり、インディアンのピアッシングなどと呼ばれる儀式で行われる壮絶な苦行が女性の出産の痛みを味わうためのものだと言われているとかいう話からも、「産んでくれた」という(少なくともその)事実に対する感謝というか・なんとも言い切れない気持ちを感じていたところだったのだ。

毎年、母の日はだいたいわたしの誕生日の少し前で、今年は母の日の次の日がわたしの25回目の誕生日だった。

「誕生日」の意味はいまだしっくりきておらず(斜に構えたわたしは、これまで特に「母の日」さえも商業目的としか感じられず、乗り気ではなかった)、これから生きていく中でさらに自分なりの意味とか扱い方を考えていきたいけど、今年は少しだけ、見えてくるものがあった。

わたしが(誕生を経て)今・生きているということに感謝する機会なのかーー。腑に落ちてみると当たり前にも感じられてくるけど、なんだか自分はこれまでどうしても形式とか目に見える価値(=お金)をメインテーマに置いてるという認識でいたし、だからこそ誕生日に意味を感じていなかったのだと思う。「いかにちょうどよく価値を手渡すか」ということが、する側としてもされる側としても重荷に感じることがあった。でも、たしかに、お金ファーストから抜け出して、純粋に感謝とかリスペクトの想いを再確認して、伝えられる機会になったらいいな。そんなイベントにしようと思えた。

「誕生日とは」についてこんなに毎年考える人はなかなかいなそうだけど、少なくともわたしは、「誕生日」への姿勢の変化から自分自身の成長を観察できるのかもしれない。まさに1年前に誕生日について書いた文章があるから読み返してみようと思う。

ところで、この話題に出てきている母は、「与えることで、必ずおまけ付きで幸福がどこかから返ってくるもの」だと、下心を潔く認め断言している。わたしも似たものをこれまでの人生の中で実感してきた。それは、何かに感謝できている状態というのはめちゃくちゃ気持ちの良い状態であるということだ。そうすると、「感謝できている今この状況にも感謝~~~」と永遠に感謝のループがつながっていく。毎年、身の回りのあらゆるものや状況から愛を受け取り・感謝ができるように、その始まりに自分の誕生日に感謝できたらいいよなと思った。

さいごに

母の日にスパイスカレーを作り、食べた、というお話でした。もちろん、また帰るとき、改良したものを作らせてね。

「○○だからありがとう」以上に、もっとまるごと感謝したい、という感はあるんだけど・そうはいってもやっぱりありがとうを言いたいことがたくさんあるな。

心身ともに元気でいてくれてありがとう。
楽しそうに学び続け、遊び、生きる背中を見せてくれてありがとう。
離れて暮らすみんなをかまって家族の輪を楽しくつながらせてくれてありがとう。
わたしの生き方を理解しようとしてくれてありがとう。
悩んだとき耳を傾けて寄り添ってくれてありがとう。
最後に、
こんなにいい子に育ててくれてありがとう!あっぱれよ・・。

じゃあ、またね~。

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