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家族って、どんなふうに愛し合えばいいんだろう?

いま、バリューブックスで予約を受け付けている、『聴こえない母に訊きにいく』という一冊のエッセイがあります。

【予約】聴こえない母に訊きにいく - 特典 & 支援付き

自社で取り扱っていることもあり、ひと足先に本書を読ませてもらったのですが、すごく、胸に迫る本で。

バリューブックスで取り扱っている、ということは抜きにして、どこの書店からでもいいから、ぜひより多くの方に手に取ってみてほしい。

そんな思いから、少し長くなってしまったのですが、『聴こえない母に訊きにいく』をご紹介できたらと思います。




実家に帰ると、両親が無音のテレビを字幕付きで観ている。「ただいま」の声には反応せず、踏み鳴らした床の振動で、はじめて息子の帰郷に気がつき、振り返って〈おかえり〉と返す。なぜなら、両親は耳が聴こえないのだから━━ 。


本書の書き手である五十嵐大(いがらし・だい)さんは、耳の聴こえない両親を持つ、聴こえる子ども。『聴こえない母に訊きにいく』は、その題のとおり、ろう者の母の半生を辿りながら、家族の歴史を紐といていくエッセイです。

耳が聴こえない家族の物語。おそらく、多くの人にとっては縁遠い、特殊な環境の話に思えてしまうでしょう。しかし、歴史と、社会と、家族、その複雑に絡みあった糸をほぐしていく本書を読み通すと、「自分と同じ世界の話なんだ」と、驚きとともに実感してもらえるはず。

実は自分も、1ヶ月前に、はじめての子どもを授かりました。それもあってか、余計に、本書で丹念に描かれる「家族の話」に、どうしても心が動いてしまったのです。



思春期の頃は、親の耳が聴こえないコンプレックスから、「障害者の親なんて嫌だ」という言葉を母にぶつけしまっていた五十嵐さん。それに対し、母は怒らずに「ごめんね」と返す、決して弱音を吐かない人だったそう。

そうした母のやさしい振る舞いから、「障害を気にしていたのは自分だけで、本人はそんなことにとらわれずに生きてきたのかも知れない」、と思い至るようになります。

しかし、そんな五十嵐さんの想像は、ある日祖母が放った一言から覆ることに。

「あなたのお母さんとお父さん、若い頃に駆け落ちしようとしたの」

母はいったい、どんな人生を歩んだのだろう。
その答えを探るべく、母の、家族の歴史を、五十嵐さんは追いかけていきます。



本書を読み進めていると、何度も「差別」と「生きづらさ」に出くわします。

・通常学級へ進級するも、先生の言っていることが一切わからず、テストで何も答えられない。
・「結婚するなら、耳の聴こえる人にしなさい」という周囲からの言葉。
・母性の健康を保護するため、といった大義のもとで、障害者への不妊手術と人工妊娠中絶を行う法律の存在。

押しつぶされそうな抑圧の中を生きていったその半生に、読み手である自分の胸も、ギュウと締め付けられていきます。

気づかされたのは、五十嵐さんの母は「他者とのコミュニケーション手段」を剥奪されていた、ということ。聴力という機能のみを失っているのではなく、自分と他者の間に、大きく越えがたい壁が立っているのです。

バカにされることもあったけれど、親切にしてくれる友人も多かった小学校時代。卒業の直前、彼女との別れをみんな惜しんでくれたけれど、母は「寂しがってくれた」という印象しか語れない。

なぜなら、友人たちと思いを交わし合う共通の言語を持っていなかったから、です。 



家庭環境においても、何とか「聴こえる人」にしようという祖父母の想いと働きかけによって、むしろ母は十分なコミュニケーションの方法を持てない生活を送ることになってしまいます。

ただ、そうしたある種の「無理解」に強いやるせなさを覚えつつも、その全てを、一方的に断罪するような気持ちにはなれません。

なぜなら、そうした祖父母の行動は、我が子の健やかな人生を願うこと、「愛」の裏返しでもあるからです。

聴こえない耳を何とか治療できないかと、泣きわめく幼い母を病院に通わせる。母の手を自分の口にあて、音の振動から言葉を覚えられるよう、懸命にレッスンを施す祖父。

娘の人生を想い、できることは全て、やる。しかし、その愛ゆえに、母が適切な教育を受けられず、家族や他者とのすれ違いを生んだ、という事実がとても切ない。

娘と、その子である著者のことを想ってつけられた『だ、い』という名前からわかる通り、確かにそこに愛情はあったのです。



障害を持つことが、すなわちその人生を「不幸」と決定づけるわけではない。
と同時に、我が子が障害なく生まれ、育つことを願うのは、愛と差別のどちらなのだろう。

読み終え、改めて実感したのは、上記の自分の疑問に、わかりやすい結論を出すべきではない、ということでした。

本書の最後、五十嵐さんは母にこう問います。

結局、ぼくの耳は聴こえるけれど、本当はどちらが良かった?
聴こえる子どもと聴こえない子ども、どちらを望んでいた?

それに対する母からの回答に、僕は深く頷きました。
そして同時に、無邪気に「そうですよね」とは言えない、とも。

やっぱりこれは、あくまでも五十嵐家という、ちいさな、ひとつの家族の物語なのです。

だからこそ、この本を読んで、僕は僕の家族のことを想う。

五十嵐さんが向けたまなざしのように、僕もこれまでの、そして、これからの家族のことを想う。

知らなかったことと、考えるべきこと。その両方を、たくさん受け取ったエッセイでした。




本書『聴こえない母に訊きにいく』は、バリューブックスにて、下記のページより予約を受け付けています。

バリューブックスからご予約いただくと、「著者の五十嵐大さんによるミニエッセイの特典」のご送付と、1件のご予約ごとに、「バリューブックスが「優生手術被害者とともに歩むみやぎの会」に510円を寄付」いたします。

こちらの寄付に関しては、書店利益分を寄付するため、お客様のご負担はなく、本書も定価でご予約いただけます。詳細は、予約の案内ページに記載しておりますので、ぜひ一度ご覧いただければ幸いです。 


【予約】聴こえない母に訊きにいく - 特典 & 支援付き


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