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ぴーぴーらっこ

先日、夫が職場の飲み会に出かけた。

大人数だと、途端に何を話したら良いか混乱してしまう私は【職場の飲み会】と聞いただけで“大変そうだな”と感じてしまうのだけれど。夫は、人数や誰と行くかに関わらず割と毎回楽しそうに出かけて行く。

今回も「大先輩から素敵な話が聞けた」と、帰ってくるなり上機嫌でニコニコ話してくれた。いくつになっても、夫のそういう所が、私は素敵だと思う。

いつもより少し大きな声で、楽しかった飲み会での話を早口に喋る夫。アルコールと少しの興奮で顔が赤い。“よほど嬉しかったんだろうな。”私もつられて笑顔になりながら飲み会での先輩の話に耳を傾けた。

人生においてのアドバイスをくれたという、その大先輩は70代。役職もかなり上のかただそうだ。私は、職場の飲み会なので、てっきり、その【素敵な話】も仕事の内容かと思ったけれど、全然仕事の話ではなかった。

先輩は優しい顔で目を細めながら、夫に、こう話してくれたそうだ。

「70代になって、むかし撮影したホームビデオを見返すと、懐かしさに思わず涙が出てくるんだよ。だけど、どの映像を見てもグッと感情が込み上げてくる訳ではなくて……。心が動くのは、家族でご飯を食べる風景だったり、子どもが遊ぶ様子だったり、兄弟ゲンカしているような何気ない、ごく普通の映像でね。」

「若いうちは色々と本当に忙しいと思うけれど、何でもない日常を目と心に焼き付けて。あと、歳をとってからの楽しみのために、何でもない日を意識してビデオに撮りためると良いよ。」

なるほどな。そう思いながら、同時にホッとした。職場は、ときに擦り減りながら長い時間を過ごさなくてはいけない。そんな場所に、心温かい眼差しで夫を見守ってくれる大先輩がいる。それにとても安心したのだ。

翌日。夫が話してくれた、先輩の言葉を思い出し、過去に撮りためたビデオを久しぶりに見てみることにした。

昨夜、夫の話を聞きながら一旦は「なるほど」と思ったけれど、既に我が家は、日々たくさんの動画を撮っている。子供の写真や動画で数カ月に1回スマホの容量がパンパンになるので「日常だって山のように撮ってあるはず」と、私は内心たかをくくっていた。

ところが。

たくさん動画は撮ってあるにも関わらず、日常を写したものの少なさに気付く。家族旅行、運動会、誕生日、〇〇記念日、公園へ行った日……。これらは次々と見つかるのに。

365日繰り返されているはずの、お風呂・食卓風景・歯磨き・室内遊び・何気ない会話の動画はほとんどないのだ。とるにたらない映像だと、カメラを構える発想もなかったのかもしれない。


日常の動画って案外少ないものだなと振り返りながら、一つの映像に目がとまった。

娘が1歳半ぐらい頃。アパート横の植え込みで石を数える動画だ。何も特別なことは起こらない。娘が小石を並べて、数を数えるだけ。ただそれだけの映像だった。

ぽってりした短い指で、つまんだ小さな石を等間隔に並べる。覚えたばかりの数字を一生懸命、口にする。
「いーち、にー、さーん。」
「いーち、にー、さーん。」

3以上は数えられなくて、また言葉は1に戻って指で石を追う。

そんな娘を見ながら「石いっぱいだね。“さん”がいっぱいだね。」と言う私の声。今よりだいぶ優しい。

あぁ、泣きそう。つい数年前のことなのに。70に全然なってないのに。もう既に涙が出そうだよ私。

そこでふと思い出した。
“ぴーぴー”のこと。


娘は3歳になるまで、なぜか夫のことを“ぴーぴー”と呼んでいた。我が家は「父ちゃん」「母ちゃん」呼びで、上の子(娘の3歳上の長男)も、私達をそのように読んでいる。「パパ」「ママ」と呼んでいたなら、パパに発音が近い「ぴーぴー」も分からなくはないのだけれど……。

とにかく娘は、家族で誰も、そう呼んでいないのに1歳頃から夫のことを「ぴーぴー」と呼んだ。

“赤ちゃん言葉は良くない”という論調の記事を見かけたり、英語で“ぴーぴー”は【おしっこ】の意味があると知って、この呼び方を直した方が良いのでは?と考えた時期もあったけれど。夫の「今だけだから」という意見を聞いて、それもそうかと納得した。

まだ舌足らずな言葉で「ぴーぴー、らっこ(お父さん抱っこして)」と手を伸ばす姿は、たまらなく可愛かった。夫も愛おしそうに小さな娘を見つめ、ヒョイっと抱きしめた。

あの頃はそれが日常だった。「いつかは変わってしまう」そう分かっていたはずなのに。

いくら探しても撮りためた動画に娘の「ぴーぴー」と呼ぶ姿は見つからなかった。だんだん大きくなっていく娘は、いつからか動画の中で夫を「パパ」と呼ぶようになっていた。それがいつからだったのか、境目は思い出せない。

いつでも撮れる。そんなふうに思ってあたのかもしれない。あの頃は、当たり前だったから。動画に残ることもなく、「ぴーぴー」と呼んでいた頃の娘とはもう会えなくなってしまった。

そのうちに、「パパ」と呼ぶのが当たり前になって、“昔なんて呼んでいたんだっけ?”と、“ぴーぴー”というワードすら、すぐには思い出せなかった。


今思えば。数年しかないあの頃は毎日が特別だったのだと思う。

生まれたばかりの頃の泣き声、オムツ姿のむちむちの足でハイハイする姿、いっぱいこぼしながら手で無心に食べる様子……。もっと撮っておけば良かったな。

撮っておけば良かったけれど。なんで、それらが少ないかは自分が一番よく分かっている。

余裕も無かったから。

今、残っている動画もスマホの裏側で撮影している私は、ボサボサの髪の毛でパジャマ姿が多かったと思う。

育児、これで合ってるの?
なんで泣き止まないの?
全然寝れないけど。

余裕が無さ過ぎて、泣き続ける我が子に、つい「うるさい」と感情的に怒鳴ってしまったこともある。あの時、私の声にビックリした子どもの表情を私は忘れられない。

今、あの頃に戻れたら。“優しく抱きしめてあげられるのに”と思うと心がギュッと掴まれたように切なくなる。


どんなに戻りたくても、もうあの日には戻れない。だからこそ今この瞬間に会える子どもの日常を目に、心に動画に焼き付けておかなくてはと思う。

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