見出し画像

嘘つきな君へ 第三話-2

こんばんは、ときめき研究所のKEIKOです。
遅くなりましたが本日の更新。恵芽ちゃんの決意です。さぁ〜どうなることでしょう。お付き合いいただければ幸いです。

嘘つきな君へ 第三話 上野恵芽の決意-2

「私は…」

 意を決して口を開いた。

「正直に言うと…母の残してくれたあの家を大切に守っていくことが、自分の使命だと思ってます。あの家に残ることで、母のことも大切にできるって思ってます。それは、今でも変わりません」

 優香と会っていたとき、確かに私はそう思っていたし、その思いは変わらない。変わらないけれど、お父さんに会った少しの時間で、その気持ちが変化したのかもしれない。

「ただ、さっきお父さんの話を聞いていて、やっぱりお父さんは、私のお父さんかもしれないって、そんな風に思いました」

 恥ずかしくて直視出来なかったけど、私の視界の隅っこで、お父さんがまた涙を拭っているのが見えた。

「だから」

 涙するお父さんの泣き虫がうつって、私まで目の奥が熱くなった。

「だからここで、みなさんと一緒に過ごしたいと…思いました」

 涙がこぼれ落ちないように無理に笑顔を作ったけど、妙に恥ずかしくて、ぎこちない表情になった。

ー残り少ない父の余生を、家族みんなで看取ってあげたくて、ここで一緒に暮らさないか?

 3日前に直人さんに尋ねられたことを思い出す。
 今だからちゃんと、イエスと答えられる。

「恵芽…」
「恵芽ちゃん、本当に?」

 お父さんと直人さんが、驚いたように私の顔を見た。

「はい。私もここで、お父さんの残りの時間をいっしょに過ごしたいと思います」

 涙のせいで、まつ毛が少し濡れた笑顔を、私はお父さんに向けた。
 数秒の間ぽかんと口を開けていたけれど、次の瞬間、今まで堪えていたものが堰を切ったようにお父さんの目から溢れ出した。私が笑顔を向けた先にいるおよそ20年ぶりに会ったこの人は、今、初めて見るくしゃくしゃの笑顔で、涙を流して喜んでいる。

「恵芽…恵芽ーーーーーっ」

 私の名前を呼びながら、お父さんはぎゅっとそのまま抱きしめてくれた。名前を呼ぶ度にお父さんの腕に力が入るのが分かる。知らなかったぬくもりを、私は全身に感じていた。お父さんの、あったかくて、強い愛を感じて、堪えていた涙が優しく流れた。

「お父さん…」

 私がお父さんの背中に腕を回すと、ちょうど背中の向こうにいた理人さんと目が合った。

「ちょっとー親父だけずるいんだけどー。恵芽ちゃーん、こっちもおいでー」

 そう言って、理人さんは長い手を伸ばして、私を受け止める体制を取った。向けられた殺人級の笑顔が、眩しすぎて涙が止まった。

「こら理人、お前な」
「……」

 それを見た直人さんが、すかさず理人さんの頭を拳でコツンとこらしめている。相変わらず勇人さんは黙ったままだ。どちらかというと、心底どうでもいいといった反応に見えた。
 直人さんからくらったゲンコツの痛みを受けながら、妙に感心した表情で理人さんがお父さんを見つめた。

「それにしても、見事なテクニックだったなー親父」
「お、りっちゃん見てたか?」

 私を抱きしめていた腕をほどいて、お父さんは満足げに笑って理人さんの方を振り向いた。

「うん。完全に不利なところから、どうやって親父が恵芽ちゃん口説くのかなって実はドアの向こうで聞いてたんだけど」
「…えっ!」

 口説くという想定外の言葉が聞こえたことにあまりにも驚いて、わざとじゃないけど大きな声が出た。完全不利から…口説く…!?

「あーやって、気持ちに訴えるアプローチしたらいいわけね。勉強になるわー」
「ええっ!!」
「だろ?りっちゃん。父さんまだまだ現役いけるかなー」
「いけるよ、親父。ほらリストにあったマルタ島のクラブに行くってやつ、俺も同行したげる」

 驚いて言葉も出ない私の様子をよそに、理人さんはお父さんの肩にその長い腕を乗せている。ふたりで嬉しそうに、笑顔で顔を見合わせて。

「ほんっとお前な…親父も!悪ふざけがすぎる!」
「えへへ」

 直人さんに怒られても、理人さんはにこにことさらに笑みを増していて、反省の色は微塵も見えない。

「…騙したんですか…?」

 叩きのめされたような気持ちになって私は声が震えた。そんな様子に焦ったのかお父さんは、私の肩に手を乗せて

「ち…違う違うよ!恵芽!本心だから!全部本心なんだよ?ね?」

と一生懸命になだめてくる。

「で、和己くん。恵芽の部屋はもう準備できてるんだよね?」
「…それが…」

 話を変えようとしたのか、お父さんが和己さんに話しかけたものの、当の和己さんは都合が悪そうだ。
 和己さんは申し訳なさそうに目を伏せて答えた。

「申し訳ありません。実は本日恵芽様のお部屋にハウスキーピングの者を手配していたのですが、体調不良で早退したために、部屋の清掃が完了しておりませんで…」
「そうかそうか。それは仕方ないな…。んー、この時間から部屋を清掃するのもなんだし…かと言って家まで送り届けるのも無粋だなぁ…」

 お父さんはちらりと左腕につけている大きな時計を見た後、ぐるりとこの部屋にいる全員を見た。そして一瞬考えたような表情をした後に、

「はやちゃん」

と勇人さんを呼んだ。

「…親父、その呼び方やめてくれる?気持ち悪いから」

 お父さんの視線の先にいる勇人さんが、明らかに嫌な顔をしていた。目も合わせずに、そっぽを向いて腕を組んでいる。あくまで相容れない態度は無視して、お父さんが勇人さんに話しかけた。

「お前こないだ恵芽が来てたとき顔も出さなかっただろ」
「……。課題やってたから手が離せなかった。それに、家族が増えるとかあんまりキョーミないし」
「勇人!」

 勇人さんの態度に、すかさず直人さんの怒声が飛ぶ。

「なに。もういいよね顔出したんだから。俺はもう寝る。こんな時間に呼び出して…常識ないやつと一緒に住むことになったってことはよく分かった」

 そう言いながら、腕組みした勇人さんは私に一瞥を向けた。そう言えば、私が返事を延期しようと思って、この時間まで優香と飲み歩いてたんだ。私の酔いもすっかり冷めて、気付いたら時計は2時をとっくに回っていた。突然申し訳ない気分でいっぱいになった。

「…すみませんでした…」
「恵芽ちゃん、ごめんね。あんな言い方しかできない中二病の弟で」
「…理人。ケンカ売ってんの?」

 謝る私に理人さんは笑顔でフォローしてくれるけど、勇人さんは一触即発な様子である。

「まぁまぁまぁ…つんつんしてるお前の態度がいけないんだぞ勇人」

 相変わらず、仲裁に入るのは直人さんの仕事のようだ。

「恵芽」

 そんな3人の様子を横目に、お父さんが私の名前を呼んだ。

「今晩だけ、はやちゃんの部屋で一緒に寝なさい」

 私は、自分の耳を疑った。

「…へっ!?」
「…は?何言ってんの。親父頭までおかしくなった?」

 耳を疑ったのは、私だけじゃなかったらしい。勇人さんも、淡々としていた様子から一変、驚きすぎたのか声が裏返っている。

「はやちゃんと恵芽は同級生だし、こないだ顔を合わせてない分ほら、今日一晩いっしょに過ごして仲良くなりなさい」
「えっ、同級生なんですか?!」

 更に驚くようなことを聞かされて、私は前者のことが吹き飛んだ。私と、勇人さんが、同級生?もしかして、双子?!

「恵芽ちゃん、ごめんね。本当にうちの親父さ、いろんなところで種蒔いてて」

 理人さんの話しぶりからすると、勇人さんの母親は、私のお母さんではないらしい。どこでいつ、どの時期だと同級生になるの…?と私の頭の中にいろんな構想が巡っていた。まったく確かに、いろんなところで種を蒔いてたに違いない。

「理人!」
「ごめんね、かくかくしかじかで、そういうことみたいなんだ」

 茶化した理人さんに一喝するのも直人さんだ。理人さんは説明が面倒くさいのか、全てを語らず簡単にウインクで済ませようとしている。

「お父さん…」

 ショックを隠せずに思わずその名を呼ぶと、お父さんは焦った様子で弁明をし始めた。

「あっほら、ね!たまたま日本に帰ったときに、奥さんとね、あれのそれで」

 あたふたしているお父さんの肩に手を乗せながら、後ろから理人さんが顔をのぞかせる。

「恵芽ちゃん、一途な男じゃなくてごめん。でもね、世の中には素敵な女性が多すぎるんだよ。君みたいに」

 甘い言葉と色んな会社のCMを総なめにしている理人さんの眩しい笑顔に、くらくらした。

「も、もう!からかうのも、いい加減にしてください」
「怒った顔もかーわいい」
「理人!」

 なんだかこの頃になると、直人さんの怒号がもはや心地よくさえなってきていた。ずっと兄弟がいないと思っていたから、こうした賑やかな雰囲気が少しだけ、くすぐったいような嬉しいような、不思議な気持ちになる。
 …って、今の本題は別だ。

「そういえば、みなさんのお母様はどちらにいらっしゃるんですか?そんな浮気相手の女性の娘といっしょに住むなんて、嫌な気持ちにしてしまわないでしょうか?」

 そう、この家にいるべき人物でまだお会いしていないその人のことを思い浮かべた。お父さんの奥さん、そしてこの美しい三兄弟をこの世に生み出した(それだけでもう感謝だと思う)お母さんのことだ。夫がパリに留学中に、現地で知り合った若い女との間にできた子と一緒に住むなんて、きっと気が気じゃないだろう。

「恵芽ちゃん、本当にいい子だね…」

 私の様子を見て、理人さんは感心しているようだった。直人さんは顎に手を当てて少し考えながら、和己さんに尋ねた。

「和己さん、母はまだニューヨークだよね?」
「はい、奥様は今週いっぱいまでニューヨークです。ご主人様のご病気と今後の件をアメリカ支社に直接説明に向かわれました」
「麻里にはちゃんと話しておいたから、大丈夫だよ」

 ニューヨーク、アメリカ支社…?そう言えばそんなことをワイドショーで言っていたことを思い出した。ものすごく泣き虫で、ものすごく人たらしのこのおじさまは、世界を股にかける有名商社の会長だったのだ。今までのやり取りの中ですっかり忘れてしまっていた。麻里というのは、きっと奥さんのことだろう。

「娘ができるなんて嬉しいわって言ってた」

 にこにこと笑顔になりながらお父さんは、携帯の画面を私に見せてくれた。確かにLINEのメッセージで、そんなやり取りがしてあった。かわいい絵文字とスタンプとともに。私は信じられなくておじさまの顔と携帯とを交互に見た。

「ほ、本当ですか…?」
「まぁ、母はこんな父を許して自由に泳がせている寛大な人だからきっと大丈夫だと思うよ。病気が分かってから他のたくさんの地雷も見つかったけど、それも全部許してるようだから。安心して」

 お父さんの代わりに直人さんが答えてくれた。確かに。子供がまだ小さいときにパリに一人で行ってしまったお父さんを認めて、自由にしてあげられる人。深い絆がないとできないことだと思った。でも、だからこそ、お父さんが余命を宣告されていることを、きっとショックを受けているんじゃないかなとも同時に思った。その時、私の隣にいたお父さんが、急に大きな声をあげた。

「あっ!こら!はやちゃん!どこいくの!」

 見ると、このタイミングにかこつけて、部屋から出ていこうとしている勇人さんがいた。勇人さんはお父さんの大声に、ビクッと大きく身体を揺らした。

「げ…バレた…」
「バレた、じゃない!ちゃんと恵芽を自分の部屋までエスコートなさい!」

 大きな声で勇人さんを怒るお父さんは少し迫力があって、そこでやっと私がテレビで見ていた人物と一致した。

「あ、あの…私、ほんとどこでも眠れるので…ここの、ソファとかでも!」
「だめだ。女の子がそんなところで寝たら風邪引いちゃうからね。はやちゃんのベッドは広いから、半分こして寝なさい」
「俺は絶対嫌だ。理人の部屋行けばよくない?」

 そんなお父さんの様子にも屈せず、勇人さんは断固拒否する態度を変えない。
 ていうか正直に言うと、イケメン3兄弟とイケメン執事といっしょに暮らすことについて、そういうことがよぎってないわけではない。この3日間悩んでいたときに、もしそういう急接近があったら、を考えたけど、その都度、いや待て、相手は兄弟じゃんと自分を制してきた。でも、初日からこんなことになるなんて思ってもなかった。

「俺は恵芽ちゃんなら大歓迎だけどねー。後ろから抱っこして寝てあげる」
「えっ…!」

 いつの間にか理人さんが私の後ろに回って、肩に手を乗せていた。理人さんはなんだかいい匂いがするし、下から見上げていてもかっこいい。この数日で分かったこととしては、この人は恐らくスキンシップがとても多いということと、息をするように女の子がどきどきするようなことを言うということだ。心臓が持たない。

「ふふふ、嘘だよ。かわいい妹にそんなことしないよ」
「本当に理人、恵芽ちゃん困ってるから止めなさい…!」

 直人さんがまたやっぱり守ってくれた。片桐家の真のお父さんみたいな役割。自由なお父さん、理人さん、勇人さんをちゃんと束ねているのは、実は直人さんなのかもしれないと感じた。

「はやちゃんのためを思って言ってるんだよ?父さんの言うことも聞けないなら、もうピアノ取り上げるよ?留学費用も出さないよ?いいの?」

 …ピアノ?留学?初めて聞く言葉に驚いた私をよそに、今までお父さんの顔も見てなかった勇人さんがすごい勢いでお父さんの方を振り返った。

「…!そんなの引き合いに出すの、せこい」

 勇人さんの目は真剣だ。今まで“我関せず”だった態度が一変した。勇人さんにとって、そんなにピアノと留学は大事なことなんだろうということだけ分かった。

「兄妹仲良くすることは当たり前だからね。ちゃんと親睦を深めなさい」
「…って、最初から一緒に寝るとか…」
「いいのいいの。はやちゃんにはこれくらいの荒治療のが効くから。でも、変な気を起こしたら承知しないからね」

 あくまで嫌がる態度の勇人さんにお父さんが釘を刺した。

「馬鹿にしてる?こんな女相手にしないから。余計なお世話」

 吐き捨てるように言った勇人さんの言葉が、ぐさりと私の胸に刺さる。
 てか、そもそも兄妹っていう時点で変な気もなにもない。なのに、言われた言葉は、女性として傷ついた。
 ピアノと留学を引き合いにした半ば強引な交渉に、勇人さんが合意したかしてないか分からないようなところで、お父さんはパン!と手を叩いた。

「はい!じゃあ今日はこれにて解散!和己くん、明日でいいからさっそく恵芽の引っ越しの手配してね」
「仰せの通りに、ご主人様」

 和己さんが深々とお辞儀する。

「なおちゃんもりっちゃんもありがとう。ふたりも恵芽を守ってあげるんだよ」
「もちろん」

 お父さんは直人さんと理人さん双方の方をぽんと叩いた。

「はやちゃん」

 そのまま、お父さんは勇人さんの方をもう一度振り向いた。

「仲良くしなさいね。言っておくけど恵芽の方がはやちゃんよりお姉さんだからね、ちょっとだけ」
「……」

 相変わらず、勇人さんは何も言わない。そして部屋のドアの前まで行くと、お父さんはくるりと振り返り、満面の笑みを私達に向けた。

「じゃあみんな、おやすみ。今日は本当にありがとう」
「おやすみ…なさい」

 とても余命を宣告されている病気の人とは思えない、幸せそうで、満ち足りた表情でお父さんは部屋から出ていった。その日私は初めて、自分のお父さんにおやすみなさい、と言った。
 お父さんが部屋から出ていくのを見送って、ふぁーという大きなあくびとともに、直人さんや理人さんも動き出した。

「俺ももう寝るー。そいえば明日撮影だった。マネージャーに怒られる〜」
「俺も部屋に戻るから。あとは勇人頼むな」
「おやすみー」
「…おやすみ、なさい」

 お兄さんたちにおやすみなさいを言うのも初めてだった。
 本当にこの人たちと、今日からいっしょに住むのか…。
 淡い期待を抱いていた自分が愚かだった。血がつながっているとは言え、こんなにキラキラした人たちと一緒に住む日常って…。未来が想像できなくて、少し不安になった。でも、楽しそうでもある。

「恵芽様」
「はい!」

 和己さんの、耳馴染みの良い低い声で突然呼ばれた。和己さんの方を振り返ると、いつの間にか足元にぴかぴかのスーツケースを引いていた。

「こちら、一応ひととおりの宿泊に必要な衣類と化粧品類をご用意しました。全て新品でございます。選んだのは私ではなく、女性のお手伝いですのでご安心を」

 こちらの心配を見越して今の発言になったとしたら、和己さんはやっぱりすごく出来る執事なんだろうなと思う。

「…ありがとうございます」
「では、ごゆっくりお休みくださいませ」

 そう言って私の側にスーツケースを進めると、和己さんはまた深々と美しいお辞儀をして、足音も立てずに静かに部屋を出ていった。

「……」

 というわけで、私は勇人さんと部屋に残されてしまった。
 気まずい。
 この時間で、なんとなくお父さんや直人さん、理人さんについて分かった気がするけど、勇人さんについては今だによくわからない。何か交渉するときには、ピアノと留学を引き合いに出せばいいこと以外は。
 なんて話しかけようか頭の中にセリフがぐるぐるした。安心したのか、急な眠気が襲ってきて思考が上手く回らない。

「あ」

 気付いたら、勇人さんが私の側にあったスーツケースを、ひょいと持ち上げていた。あまりにも自然で突然だったので、思わず声が出た。力なくその背中をぼーっと見つめていたら、勇人さんはそのまま一度も振り向きもせずドアから出ていった。
 ……。
 部屋にひとり取り残され、どうしようもなくなって視線を足元に落とした瞬間、

「なにしてんの」

とドアの方から声がした。
 顔を上げると、さっきドアから出ていった勇人さんが、向こう側から顔だけひょこっと出した状態で、こちらを見ていた。子犬みたいなきらきらの瞳が、こちらを向いてはいるけど表情はすごく煙たい。

「置いてかれたいの?」

 勇人さんは眉間に皺を軽く寄せた表情で私ににらみをきかせて、そのままドアの向こうに消えた。

「い、いやです!」

 そう言うなり私はばたばたと、勇人さんの後ろを追いかけた。

続きます!