見出し画像

嘘つきな君へ 第三話-1

こんばんは、ときめき研究所のKEIKOです。
いよいよ3話なんですが、どうしましょう。4話までしかまだ書いておりません笑。やばい〜追いつかれる笑。
では、続きをどうぞ!

嘘つきな君へ 第三話 上野恵芽の決意-1

 和己さんが運転する車の中で、私は震えていた。
 目を閉じると、店長の豹変した姿が今でも迫ってくる。私だけを見つめる目、力の限り握り締める腕、近づく息遣い…。その全てが生々しく蘇ってくるようで、恐ろしくてたまらなくなった。
 これからもし一人で生きていくとしたら、こうしたことも全て一人で、立ち向かっていかないといけないの?

「恵芽様?」

 和己さんは仕事の出来る執事なんだと思う。私の様子をすごく見てくれている。

「お加減は大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です…」

 和己さんに声をかけられて、さっき彼に抱きしめられたぬくもりを思い出した。すっぽり包まれたときの安心感に、涙が出るほどほっとした。
 六本木の街で優香に交わした決意が揺らぐのを私は感じていた。

 つい3日前のことなのに、あまりにもいろんなことがありすぎて、ずいぶんと時間が経ってしまったような気がする。お屋敷の前に車が着くと、なぜだか少しだけ懐かしい感じがした。
 先日と同様の手順で規則正しく、和己さんがおじさまの部屋へと案内してくれる。私もこないだよりは、少しマシにエスコートしてもらえるようになった。後から気付いたけど、これもきっと和己さんが私に合わせてくれているからに違いない。
 事実を明かしてもらったあの部屋の前まで案内されて、私は扉を開けた。またぎぃっと乾いた音がして、部屋にいるおじさまを見つけた。今日は白いシャツと、折り曲げてくるぶし丈にしているジーンズにコインローファーという、なんともモテ親父風の格好だ。事実、ぴりっとノリの効いたシャツに日に焼けた肌が、素直に素敵だなと思った。
 おじさまは、部屋の扉が開いたことに反応して、ゆっくりと振り返る。

「よく来てくれたね」

 また今日も片手にロックグラスを持って、おじさまは私の顔を見てにこにこしながら話しかけてくれた。

「先日は取り乱してしまって申し訳なかった」

 そう言って、おじさまは深々とお辞儀をした。毅然とした態度は、私が数日前にテレビで観た人のままで、泣きじゃくっていたおじさまの方が別人なのではと思うほどだった。

「私も…こんな遅い時間になってしまって、申し訳ありません。お体に障りませんか?」
「君の顔が少しでも早く見れるなら、これくらいの夜更かしは平気だよ」

 言いながらおじさまは、日に焼けた顔に輝くつぶらな瞳で私にウインクしてみせた。直人さんがウインクするのととてもよく似ていて、やはりDNAのなせる技だと思った。
 ふとその時、目線がおじさまの手に留まった。先日同様、手にしたロックグラスの中に、琥珀色の飲み物が入っている。ウイスキー?ガンなのに?でも中身がお酒なら、饒舌なのもなんだか納得がいく気がした。よっぽど私が訝しげに手元を見ていたからだろうか。おじさまはあっさりその中身をタネ明かししてくれた。

「これはね、麦茶」
「えっ!」

 おじさまはそう言うなり、私の鼻先にグラスの中身を傾けた。香ばしい香りが鼻腔いっぱいに広がる。間違いなく麦茶だ。

「ちょっとでもかっこつけたくてね。和己くんや子供たちは、僕のこういう、男が捨てられない変なプライドも理解して叶えてくれるから、本当に感謝してる」

 おじさまは一口ロックグラスから麦茶を飲むと、満足げにグラスを眺めていた。病気だから、もうおじさまはお酒を飲むことができないのだろうか。私も成人した今、せめて少しだけでも、いっしょにお酒を飲みたかったな、と胸が痛んだ。
 視線を感じて目線を上げると、おじさまはとても優しい表情で私の方を見てくれていた。あたたかい、愛に満ちた眼差しだった。

「聡子に、よく似ているね」

 おじさまの声が少し震えたように聞こえた。不意にお母さんの名前を耳にして、私も鼻につんとしたものを感じる。

「先日りっちゃんが親父に似なくてよかったと言っていたが、全く同感だな」

 言いながらおじさまは、はははと笑った。
 お母さんに似ていると言われることが、私は昔から大好きだった。お父さんがいなかったから、お母さんとのつながりを誰よりも信じていた。似ているということが、お母さんが私の唯一の家族であることを証明しているようで、その言葉を誇らしく思っていたのだ。
 おじさまは私に、そんな母の影を重ねているのか、恋人でも見ているかのようなうっとりした眼差しで私を見つめてくれている。

「聡子は、本当に素敵な女性だった。恵芽もよく知ってると思うけれど」
「…はい」

 そう言っておじさまはまた、満足そうににっこりと笑った。直人さんの笑顔に良く似ている。

「そういえば勝手に恵芽と呼んでるけど、いいかな?」
「あ、どうぞ」
「ありがとう。娘にありがとうと言うのも、少し変だけど」

 照れくさそうに笑っているその感じまで自然体で、おじさまはとても魅力的な人だなと思った。数日前テレビでみた印象とは全く違う、優しくてあったかい人なんだろうな…。

「恵芽」

 もう一度、おじさまは嬉しそうに私の名前を呼んだ。ひとつひとつの音を大切に言葉にするように。こんなに丁寧に名前を呼ばれたことは、生まれて初めてだ。

「恵芽は、私がつけた名前なんだよ」

 私の名前に続けて、おじさまが口を開く。

「そうだったんですか…?」
「聡子から聞いてないかい?」
「はい…」

 初めて聞いた話だった。小学校のときの宿題で、自分の名前の由来について親に聞いてくるというものがあったけど、誰がつけたかは聞いていない。
 私からの返答を耳にして、おじさまはまた柔らかい表情で話しはじめた。

「恵芽はね、愛っていう意味なんだよ。フランス語でaimer。愛するっていう意味だ」

 おじさまの口角がまたぐっと上がる。

「恵芽は、パリの街で恋に落ちた私たちの、証みたいな存在だからね。みんなに愛され、いろんなことに実を結ぶ、たくさんの芽がでるようなそんな子でいてほしいと願いを込めたんだよ」

 おじさまから紡がれる優しい言葉に、思わず胸が苦しくなった。
 両親はそんな思いで私をこの世に迎えてくれたんだ。
 幼いときから、自分の胸の片隅でしこりになっていたことが、すこしだけ小さくなっていくのを感じた。

「…恵芽は、僕と聡子の、大切な愛の証なんだ」

 言いながらおじさまは、私の頭を撫でてくれた。おじさまの手は、とてもあたたかくて、大きかった。
 でも、でもどうして…。

「……そんなに大切なのに、なぜ母と私を、手放したんですか?」

 私が目を見てそう問いかけると、ぴくっとおじさまの手が反応した。名残惜しそうにおじさまの手が、私の頭から離れる。私に向き直るとおじさまは、目を少しだけ細めて、語りかけてくれた。

「僕が日本に家族を置いて来ていることは、聡子ももちろん知っていた。日本で何の仕事をしてるかということ以外は、ちゃんと素性を明かしていたからね。自分たちがこんな風になるなんて、初めは思ってもなかったんだ。でも、そうなってしまった。僕は聡子を愛していた」

 ふたりとも、とても苦しい恋だったのかな。おじさまの言葉の端々から、そんな思いが感じられた。この人の言葉は嘘がない。直人さんにそっくりな、まっすぐな眼差しがそう教えてくれている。

「聡子は、人一倍真面目なところがあるだろう?」

 おじさまはくすっと一瞬だけ懐かしそうに笑った。

「お互い日本に帰ることになったとき、僕は聡子に一緒に住まないか?と尋ねたんだ。立場的に公には出来ないけど、それでも僕はいっしょにこれからもいたい、とね。そんなずるい生き方をしたいと思うほど、僕は本当に聡子のことが大切だったんだよ」

 私から視線を外したおじさまの瞳が、少しだけ涙で揺れた。

「でも聡子はそれを良いとは思わなかった」

 ロックグラスの中の氷が麦茶に溶けて、カランと気持ちのいい音を立てた。

「そういう生き方はできないと、きっぱりと言われたよ」

 いかにも、お母さんが言いそうだなと娘ながら思う。
 お母さんは曲がったことが大嫌いだった。他人に嘘をつくこと、誰かの幸せを踏み台にすること、そんな生き方を望むはずがない。そんなお母さんが、好きになっちゃいけない人を好きになってしまって、一緒にならないと決断した…。どんな思いがそこにはあったんだろう。どんな決意がそこにはあったんだろう。考えれば考えるほど、胸が苦しくなった。
 おじさまは氷の溶けだした麦茶を一口、ロックグラスからまた、それっぽく口にした。

「その代わり、恵芽は私が幸せにするからってお願いをされてね」

 おじさまの寂しそうな笑顔が、辛い。

「ふたりの思い出の証である恵芽を大切に育てることが、私が出来る唯一のあなたへの愛よ、と言われたら、もうなす術がなくてね」

 瞳に浮かんだ涙を、おじさまはぐいっと親指で拭った。

「強くて、まっすぐな女性で、本当にこの人と出会えて良かったと、心から今でもそう思うよ」

 濡れた瞳で寂しく微笑むおじさまのことが、そのときふと、愛おしく思えた。

「ただせめて…この腕でもう一度抱きしめられたらと、本当にそう思うよ…」
「……」

 おじさまは、固く握りしめた自分の拳に目をやった。どんなに嘆いても、お母さんはもうこの世にいない。でもおじさまの一挙一動から、母への思いを感じられて、私はなんだかほっとした。離れていても、おじさまはお母さんのことを、愛している。その事実だけで救われるような気持ちだった。

「聡子からは、私が死んだと聞かされていたと言っていたね」

 おじさまの愛を改めて噛み締めていた矢先、おじさまは私に尋ねた。

「はい。私が物心つく前に他界した、と聞いていました」
「そうか…」

 おじさまは切なげに瞳を揺らした。なぜだろう。寂しそうな表情のおじさまを見たら、胸がきゅっとなって、励ましたい気持ちになった。

「でも…でも母は」
「うん?」
「えっ、えっと…」
「…どうしたんだい?」
「………何とお呼びしたらいいでしょうか?」

 私の中では「おじさま」呼びだったけど、ここまで話を聞いて、「おじさま」と呼ぶのはなんだか忍びなく思った。かと言って、お父さんと呼ぶのも…。私は考えるのを辞めておじさまに答えを委ねた。

「…お父さん」

 さっきまで寂しそうだったおじさまは、躊躇いがちに答えてくれた。声は小さいけれど、その言葉の意志は強い。

「……お父さん」
「うん…たまらない響きだ…」

 私がそう復唱すると、お父さんは嬉しそうに頬を赤く染めながら、「お父さん」という言葉の響きを味わっているように見えた。こんなにも喜んでもらえるなんて、なんだか私までくすぐったい。
 意識したら呼べなくなりそうなので、勢いで呼んでしまおう。

「えっと、それで…そう、母はお父さんのこと、すごく、その…大好きだったと思います」

 別にこんなこと言わなくても良かったのかもしれない。だけど、事実を伝えることでお父さんを少しでも励ましたい。

「いつでもお父さんの話をするとき、母はとても優しい表情になって、幸せそうでした。私はその母の顔が好きだったので、よくねだってお父さんの話をしてもらっていました」
「…そうか」

 私から視線を外して、お父さんはまた言葉のひとつひとつを噛み締めているようだった。

「うちには毎日バラの花が一輪挿しで飾られていました。最期、病床で息を引き取るときも、ずっとバラの花は欠かさず持って来てって、母から言われてたんです」

 なぜバラの花にこだわるのか、バラを初めて認識した小学生のときにお母さんに尋ねたことがある。母は迷わず、こう教えてくれた。

「バラの花は、お父さんが初めてお母さんにくれた花なのよって、いつも大切に眺めてたんです」

 全て事実だ。お父さんが思い出を大事にしていたのと同様、もちろんお母さんもお父さんのことをずっと思っていた。小さかった私は、家族を感じられるそのエピソードに心があったかくなったのを記憶している。

「だから母も、お父さんのこと、大切に思ってたんだと思います」

 そしてその事実を、私が伝えてあげられたら、とそう思った。私の言葉を耳にしてからしばらく、お父さんは自分の拳を口に当てて噛み締めているようにも、何か考え事をしているようにも見えた。
 不安になるほどの時間沈黙が続いてから、意を決したようにお父さんは私の方を振り向いた。瞳にはまた、大粒の涙をたたえて。

「…もう死んでもいいかなー」
「えっ、ちょっ!だめです!!」
「それくらい今幸せなんだよ」

 お父さんの声や表情から、本当にそう思っていることが十二分に伝わった。

「ありがとう、恵芽」
「いえ、私は何も…」

 謙遜ではなく、本心でそう思っていた。私は何もしていない。ふたりの思い合う気持ちは、離れていても変わらず本物だった。ただ、それを今、私が届けただけ。だけどどうして私まで、こんなに幸せな気持ちになるんだろう。
 お父さんはまたぐいっと涙を指で拭ってから、笑顔で私に向き直った。

「でも、恵芽に会ってしまったら、長生きしなくちゃいけない理由がまたひとつできちゃったな」

 手に持っていたロックグラスを近くのテーブルに置いて、空いた手でまた私の頭を撫でてくれた。大きくてあたかい。それだけで安心できた。

「恵芽の笑顔を見るためだったら、もっと生きたいって思えるから不思議だな」
「…お父さん…」

 ほっとして、私まで涙が出そうになった。家族がいるって、すごい。それだけでこんなに安心で、幸せで、強くもなれる。
 なにより、お父さんとお母さんがそんな風に自分を思ってくれていたということに改めて感謝を感じて、私もこの人を大切にしたいという思いになった。……あれ?

「ご主人様」
「あ、来たか。いいぞ、入って」

 その時、どこからともなく和己さんが現れた。そしてドアの向こうから賑やかな足音が聞こえて、直人さんと理人さんが入ってきた。

「恵芽ちゃん、こんばんは」
「なんか、お酒飲んでた?今度俺も混ぜてよ」

 3日ぶりに会うけど、このふたりを目にしたらやっぱり心臓が落ち着かなくなる。特に、理人さんは近い。パーソナルスペースが究極に人より狭いのか、気付いたら私の背後にもう忍び寄っていた。そして、よっぽど私がお酒臭いのか、一発でお酒を飲んでいたことを言い当てられた。
 ふたりとも時間が時間なだけに、すっかりリラックスした服装で、その姿も新鮮で、余計にどきどきした。

「あ、そういえばまだ紹介してなかったよね。おい、勇人ー」

 そういって、直人さんがドアの向こうの人影に声をかけた。影の主は、のそのそとドアの前に姿を現し、その姿に私は驚いた。恐らく向こうも驚いたのか、まんまるの瞳を更に大きく見開いたまま黙った。

「……」

 ドアから現れたのは他でもない、こないだ塩対応を私と優香にお見舞いした、あの子犬君だったのだ。
 子犬君は驚いたのもつかの間、また塩対応のときと同様の仏頂面に戻った。今日の格好は、白い大きめのTシャツにグレーのスウェット。あのときもゆるい格好だったけど、家着はもっとゆるい。でも、なぜだか様になっていて、ずるい。くるくるの茶髪をまたくしゃくしゃしながら、不機嫌そうにぼーっとしていた。

「お前な、黙ってないで、初対面なんだからちゃんと挨拶しなさい」

 そんな様子の子犬君に、直人さんが注意をしている。直人さんはまさにお兄さんという感じだ。
 直人さんの言葉を受けて、子犬君は私の方をちらっと見ると、すぐに視線を外してこう言った。

「…片桐勇人。よろしく」

 子犬君はまるで吐き捨てるかのようにそう言った。よろしくという言葉の意味を、分かって使っているのだろうか?あまりに子犬らしからぬ態度に私は今後、子犬君というネーミングを撤回しようと決めた。

「勇人さー、もうちょっと愛嬌良くした方が人生得だよ〜?」

 私の気持ちを代弁するかのごとく、理人さんが勇人さんの後ろに周り、勇人さんに肩を組んだ。隣に並ぶとよく分かるけど、確かにふたりはどこか似ている。

「うるさいな。触るなよ」

 そんな理人さんをよそに、肩を組まれて露骨に嫌な顔をした勇人さんは、うっとうしそうに理人さんの顔に裏拳を繰り出した。まともにくらってしまう、すんでのところで理人さんは華麗に身を引いてかわした。

「あっ、もー顔はやめてよー。商品なんだからー」
「はいはい、そこまでだふたりとも。で、親父が僕達をここに呼んだってことは」

 ふたりに警告する直人さんはますますお兄さんっぽい。いや、というよりもお父さんみたいだ。
 兄弟がいるって、こんな感じなのかな。小さいころから、姉妹や兄弟のいる友達の話がうらやましかったのを思い出す。でも実は、私にも兄弟がいた。嬉しいような、少し複雑な気持ちになる。
 三人がはじめて揃っているのをまじまじ見ると、やはりところどころよく似ていた。私も並ぶと似ているところがあるのかな。
 直人さんがお父さんに向き直って、呼び出された真意を尋ねたとき、お父さんはまた真剣な眼差しで私を見た。

「恵芽」

 お父さんは今までにないくらい落ち着いたトーンで、私の名前を呼んだ。

「返事を聞かせてくれるかな」
「……」

 その一言と共に、その場に居合わせた全ての瞳が私の方を向いた。
 緊張する。
 大事な決断だってことはもちろんだけれど、こんなにイケメンばかりに見つめられるなんてことは、今までの人生になかったからだ。お父さんも、直人さんも、理人さんも勇人さんも、和己さんまでも、私が話し出すのを、固唾を呑んで見守ってくれている。

「私は…」

 意を決して口を開いた。

続きます!!