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あのね。ぼく、お母さんのお腹にいたとき

うちには4歳のお兄ちゃん(ぼく)と
1歳半の弟、ぶんちゃんがいます。

「あのね。ぼく、お母さんのお腹にいた時、
ぶんちゃんと遊んでたんだよ」

これは、お兄ちゃんがよくする話。

冒頭書いたように
うちは双子ではなく3つほど歳の離れた兄弟。
お腹にいたときに一緒に遊ぶなんて
あり得ない。ですよね。

でも。
私はこの話が大好きで
本当にそうだったんだろうな、
って思ってます。
それは、お腹の中ではなくて
生まれる前の話として。


子どもは親を選ぶ、と、いわれたりします。

でも私は、ぶんちゃんが生まれた時、
なんとなく
ぶんちゃんはお兄ちゃんを選んで生まれてきたのかな、と思いました。

もちろん根拠はないですが。

不思議と、生まれた時から
ぶんちゃんはお兄ちゃんのことを
すごく信頼している感じがして、
母は陰ながらそう思っていました。

そんな時にお兄ちゃんが言い始めたのが
さっきの話。

「そうかあ〜生まれる前から一緒にいたのか〜」
と、逆に納得さえする気持ちでした。

生まれ変わり、なんていうのは
目に見えない話ですが、
私の中では最近すごく納得感があります。

周りを見渡すと、本当に色々な人がいます。
ネットの向こうにはさらに多種多様な人がいます。

たった数十年の人生で
えらい差が出ます。
たかだか数十年でそんな差が出るのって
不思議じゃないですか?
私は結構昔から不思議で。

袖振り合うも多生の縁

これは仏教の言葉です。

この世の中で袖がちょっと触れ合う相手さえ
生まれ変わり死に変わり
何度も生きる中でご縁があった人

という意味です。

そう考えると、親子、兄弟として生まれる
なんていうのは
ものすごく深い何かがあってのことですよね。 

目に見える世界を超えたところで
自分が生きてきた全ての積み重ねが“今”
なんだと思うと、私は、
誰とも比べないで今の自分を受け止める”
ということがストンとできる感じがします。

たかだか生まれてからの数十年じゃない、
もっと大きなレベルでの積み重ねが
何か大きな差になっている、とすると、
そりゃもう受け入れるしかないなあ、と思えて。

同時に、
今自分が、なにかの善し悪しとか
価値を測ってるモノサシって
何か意味あるのかな?
とも思えてきます。

多生の縁

お兄ちゃんとぶんちゃんは、そして母である私は
前はどんな関係だったんだろうなあ。

親友?兄弟?同僚?
そもそも人間だったのかしら?

何かの奇跡で親子になれた幸せに
改めて感謝ですね。

そして、袖振り合うも….というくらいですから
こうして記事を読んで下さるというのは
いかほどのご縁かと思います。
ありがとうございます!

すべてのご縁に感謝して🙏終わり。

 

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