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昭和B型チルドレン 第一話

〇(第三話までの)あらすじ
 アグリは昭和の曲が大好きな平成生まれの男子大学生。ある日、元カノのサナエと4年ぶりに再会したが、彼女は身体が子供になっていた。彼女の頼みでバンドの助っ人をすると、バンドリーダー且つサナエの職場の上司で同じく身体が子供になっているツトムに頼まれ、男子高校生のウツミとともに超高額の中毒性があるグミを売り捌くバイトを始めた。
 ある日、アグリとウツミは、アグリの妹がツトムや怪しい男達とともに車に乗り込むところを目撃し追跡した。辿り着いた場所ではツトム達が子供達の脳を抜き取ってグミにしており、妹もまた殺されかけていた。アグリ達は助けようとしたが、ツトムの超人的な力で返り討ちにされ、妹は結局殺された。

〇補足説明
(1)第四話以降の展開
 ツトム達の前に謎の少年オオグチが現れた。彼はツトムを容易く失神させると、アグリに無理矢理妹の脳を喰わせた。アグリはショックのあまり気絶した。
 目が覚めると、アグリは知らない場所にいた。また、身体が子供のように小さくなっていた。先に目覚めていたウツミの説明によると、ここはオオグチのアジトであり、アグリは彼に命を救われたらしい。アジトにはオオグチの仲間である子供達もいた。彼らの話によると、昭和の曲が好きで血液型がB型の平成生まれは、グミを食べすぎるか身内の子供の脳を食べると、「昭和B型チルドレン(通称Bチル)」と言う超能力が使える子供に変化する。Bチルのほとんどは子供を拉致してその脳を食べたりグミにしたりする「子供狩り協会」と言う組織に所属している。オオグチ達はそんな悪いBチル達を殺してその脳を食べるBチルのグループとのことだ。また、Bチルを拷問して苦しめると脳の味が美味くなるため、ツトムを生け捕りにしていたが、逃げられてしまったらしい。
 アグリとウツミはオオグチ達のグループに加わり、子供狩り協会のBチル達を狩る日々を送った。普通の人間であるウツミは当然だが、BチルとなったアグリもBチルの脳を食べなかった。Bチルになると、性欲がそのまま脳に対する食欲に転換されるらしいが、アグリには元々性欲がなかったからだ。オオグチはそんなアグリの性質を高く評価した。彼曰く、Bチルの本質は「子供から大人になる」等の不可逆的変化を否定し、大人から子供、平成から昭和、そして「無」へと「回帰」することにある。その点、アグリは性欲どころか、肉親を殺された怒りも生きる目標も自分の意思もなく、成り行きに任せて生きる、まさに「無への回帰」を体現する存在であるらしい。
 Bチルを狩り続ける日々の中、さまざまな悲劇が起こった。アグリはBチルになっていた幼馴染を殺してしまった。また、仲間の1人が個人的信条で脳喰いを我慢していた結果、禁断症状により急激に老化して死んでしまった。さらに、別の仲間もBチルの脳だけでは我慢できず、普通の子供を殺してその脳を食べたことでオオグチに粛清されてしまった。アグリは彼らの死を通じてオオグチとの生活に嫌気が差した。そこで、「ツトムを探して妹の仇討ちをしよう」と言うウツミの提案を受け入れ、オオグチ達のグループから離脱した。
 アグリとウツミはサナエと偶然再会し、彼女にツトムの居場所へ案内してもらった。しかし、それは密かに裏切っていたオオグチの仲間ブリジットの罠だった。アグリ達はブリジット、ツトム、サナエ、そして数十人のBチル達に拉致・監禁されてしまった。アグリ達を人質にして、子供狩り協会の最大の脅威であるオオグチを誘き出し、リンチして殺す作戦らしい。ツトムは「人質は2人もいらない」とウツミに致命傷を与えた。
 そこにオオグチが現れた。彼にとって圧倒的不利な状況と思われたが、実はブリジットは裏切っておらず、Bチル達を騙して一箇所に集めて殲滅する作戦だった。Bチル達はオオグチとブリジットに殺戮された。アグリは逃げたツトムを追ったが、返り討ちに遭って死んでしまった。しかし、死を通じて彼は「回帰」の力に目覚め、死ぬ前の状態に「回帰」し、ツトムを殺した。また、既に息絶えたウツミも同様に「回帰」させて甦らせた。敵のうち唯一生き残ったサナエは必死の命乞いでオオグチ達に許され、仲間に加わった。
 その後、アグリはオオグチ達とバンドを組み、各地で昭和の曲をライブ演奏しつつ、Bチルを狩る日々を送った。

(2)用語
・昭和B型チルドレン
 通称「Bチル」。昭和の曲が好きで血液型がB型の平成生まれが、子供の脳を食べすぎるか身内の子供の脳を食べることによって、超能力が使える子供に変化する。性欲がそのまま子供の脳に対する食欲に転換される。

・子供狩り協会
 ほとんどのBチルが所属する非合法組織。子供を拉致してその脳を食べたりグミにして販売したりする。

・グミ
 子供の脳から作った麻薬。子供狩り協会の収入源。苦しめば苦しむほど味が美味くなるので、子供を殺す前に極限まで拷問する。

(3)(第三話までの)登場人物
・アグリ
 主人公。昭和の曲が大好きな平成生まれの大学生。アセクシャル。自分の意思があまりなく、成り行きに任せがちな性格。元カノのサナエに再会し、バンドに誘われる。担当はベース。

・サナエ
 アグリの元カノ。子供狩り協会所属のBチル。職場のメンバー達とバンドを組んでいる。担当はボーカル。アグリと再会し、彼をバンドに誘う。

・ツトム
 サナエの上司。子供狩り協会所属のBチル。快活で人当たりがいい性格。バンドリーダーで、担当はキーボード。アグリを気に入り、彼を雇う。

・ショウジ
 サナエの同僚。子供狩り協会所属のBチル。当たりが強い性格。バンドの担当はドラム。

・リョウコ
 サナエの同僚。子供狩り協会所属のBチル。ツトムの恋人。物語冒頭でオオグチに拷問された挙句、捕食される。バンドではベース担当だった。彼女の代わりとしてアグリがバンドに加入した。

・ウツミ
 アグリの同僚。普通の人間で高校生。容姿が整っており、冷静沈着且つ肝が据わった性格。バンドではギター担当。アグリをいたく気に入っている。

・サクラ
 アグリの妹。中学生。アグリとは仲が悪い。グミを日常的に摂取している。

・オオグチ
 怪物じみた容貌のBチル。子供狩り協会のBチルを襲い、その脳を喰らっているため、彼らに恐れられている。

・ブリジット
 オオグチと一緒にいるBチル。髪も服装もピンクで統一した派手な外見だが、顔は地味。

〇本文
(場面1)
街のどこかに 淋しがり屋がひとり
いまにも泣きそうに ギターを奏いている
愛を失くして なにかを求めて
さまよう 似たもの同士なのね
此処へおいでよ 夜はつめたくながい
黙って夜明けまで ギターを奏こうよ

空をごらんよ 淋しがり屋の星が
なみだの尾をひいて どこかへ旅に立つ
愛を失くして なにかを求めて
さまよう 似たもの同士なのね
そっとしときよ みんな孤独でつらい
黙って夜明けまで ギターを奏こうよ

愛を失くして なにかを求めて
さまよう 似たもの同士なのね
そっとしときよ みんな孤独でつらい
黙って夜明けまで ギターを奏こうよ
(作詞:吉岡治、作曲:河村利夫、1969年千賀かほる「真夜中のギター」より引用)

無機質なコンクリートに囲まれた薄暗い部屋。冷たい床の上に倒れている少女リョウコ(全裸で傷だらけ)。彼女の側で「真夜中のギター」を歌う少年オオグチ(ワイシャツにネクタイ、短パン、運動靴、おかっぱ頭、爬虫類のような目。子供を一呑みにしてしまいそうなほど大きな口)。

ナレーター(以下ナレ):リョウコのすぐ側で少年が楽しそうに歌っている。歌っているのは女性シンガー千賀かほるの「真夜中のギター」。穏やかなギターの音色とともに真夜中の孤独を慰めるように優しく歌い上げる昭和の名曲だ。リョウコはこの歌がお気に入りだった。何故なら、彼女も孤独だったから。けれど、今は聞き入っている余裕はない。歌う余裕もない。と言うか、もう歌えない。何故なら、彼女の舌はもうないから。ナイフで切り取られてしまった。それどころか、歯も全部ない。ペンチで抜かれてしまった。麻酔無しで。腕も足も動かない。ハサミで筋肉をズタボロに引き裂かれたから。右目も見えない。ハンマーで粉砕されたから。左耳も聞こえない。噛み千切られたから。尿も出ない。妙に尖った木の枝で尿道を塞がれたから。大便も出ない。肛門を火で焼かれて塞がれたから。突然だった。池袋の路地裏を歩いていると、急に視界が暗くなった。そして、目が覚めると、この部屋にいた。部屋には少年がいた。背はリョウコより低い。ワイシャツにネクタイ、短パン、運動靴、おかっぱ頭、爬虫類のような目。そして、何より特徴的なのが、子供を一呑みにしてしまいそうなほど大きな口。この異形の少年によって、リョウコは今まで味わった苦痛を全部足しても1%にも満たないほどの苦痛をたった1日で味わわされてしまった。リョウコを拷問する時、少年は常に笑顔だった。冷え冷えした空間の中で、暖かな笑みを浮かべていた。鼻歌混じりにハンマーで彼女の踝を破壊し、彼女の鼻の穴にマイナスドライバーを無理矢理突っ込んで掻き回した。少年はとても無邪気に笑っていた。ここまで邪悪な無邪気さをリョウコは見たことがなかった。心の奥底から恐怖した。リョウコは生まれて初めて死を懇願した。この恐怖と苦痛から解放されるには死ぬしかなかった。

オオグチは歌い終え、リョウコの前に仁王立ちする。

オオグチ:逃がしてやる
リョウコ:え…?

ニタニタ笑うオオグチ。驚きつつも、希望が湧き、涙が出るリョウコ。

ナレ:彼の表情からは嘘かどうかは判別できない。しかし、「逃がしてやる」と言う言葉に嫌が応にも希望を抱いてしまった。さっきまであんなに死を渇望していたのに、生存欲求が沸々と腹の底から湧き上がってくる。まだ解放されていないのに、解放されたかのように安堵の涙がながれてくる。実際彼女は解放された。恐怖と苦痛からは。もっとも、解放される前に、最大級の恐怖と苦痛を味わうことになるが
オオグチ:ウソぴょん
 
口を大きく開けるオオグチ。肉食獣のような尖った歯と爬虫類のような長い舌がリョウコの顔にゆっくりゆっくり近づいていく。涎が彼女の顔に当たる。絶叫するリョウコ。

ナレ:余計な希望を抱かなければ、余計に絶望を感じることもなかった。リョウコは声にならない悲鳴を上げながら、丁寧に丁寧に喰われていった

(場面2)
新宿のレコード店。男子大学生アグリの目の前に立つ少女サナエ。
サナエ:よっ、アグリ、久しぶり
アグリ:え?
ナレ:2015年6月18日(木)夕方。アグリに2つの驚きがもたらされた。第一に4年ぶりに元カノと再会したこと。第二にその元カノが明らかに縮んでいたこと。大学の講義が終わった後、アグリはよく新宿のレコード店を訪れる。昭和の曲が好きなのだ。その日も何か心をときめかす歌がないものかとウロウロしていたら、女性シンガー安西マリアの「涙の太陽」を発見した。真冬のように冷めきった恋人の心を、ギラギラと燃え上がる真夏の太陽と対比させることでより強調した情熱的な歌詞を、パワフルな歌唱力で歌い上げる名曲だ。アグリは前から「涙の太陽」が気になっていた。早速家に帰って、プレーヤーにセットして聞いてみよう。そう思ったところに現れたのが元カノのサナエである。彼女と初めて会ったのはこのレコード屋だが、まさか同じ場所で再会しようとは思いも寄らなかった。しかも、最後に会った時より明らかに背が縮んでいる。元々低身長だったが、今は小学生かと見間違うくらい低い。顔も若干幼くなっている。だから、サナエに声を掛けられた時、彼女とは気づかなかった。彼女の親戚かと思った。

サナエ:サナエだよサナエ。
アグリ:なんかお前…背がちっちゃくなってない?
サナエ:いろいろあったんだよ。
ナレ:どんな「いろいろ」があれば、「背が縮む」などと言う現象に見舞われるのか?この4年間に何があったのか?どうして急にいなくなったのか?
サナエ:久しぶりに会ったんだし、ちょっと話そうよ。

(場面3)
新宿三丁目。誰もいない路地裏。煙草を吸うアグリとサナエ。

ナレ:小学生のような容姿の女がタバコを吸っている。彼女も20歳を超えているから何の問題もないはずだが、アグリは拭いがたい違和感を覚えた。
サナエ:『涙の太陽』…いいよね
アグリ:ああ
サナエ:まあ、安西マリアもいいんだけどさ、青山ミチ版も捨てがたいよね
アグリ:そうだな
サナエ:アンタの妹さ…ええと、名前なんだっけ?
アグリ:サクラ
サナエ:そう、サクラ。サクラちゃんって今中学生だっけ?
アグリ:中2だよ
サナエ:アンタさ、せっかく再会したってのになんか冷たくない?
アグリ:そりゃお前、なんで急にいなくなったんだよ?今まで何してたんだ?お前と連絡取れなくなってから、お前のウチに行ったけど誰もいないし、お前の同級生に聞いたら『失踪した』って言われるし、本当にマジでどうしたんだよ?
サナエ:いろいろあったんだよ
アグリ:だからその『いろいろ』ってなんだよ?
サナエ:いろいろはいろいろ。私のことはどうでもいいでしょ。アンタの話をしてよ。今何やってるの?
アグリ:え?大学生だけど。」
サナエ:楽しい?
アグリ:楽しくはねえよ
ナレ:大学は行った方がいいから行っているだけで、明確な目標や強い学習意欲があるわけではなかった
サナエ:そっか。楽しくないんだ

サナエはポケットからビニール袋を取り出す。その袋には白桃色のグミのようなものが無数に入っている。その内の1つを取り出し、アグリに渡す。

サナエ:コレあげる
アグリ:何コレ?
サナエ:ウチで販売してるグミ。食べてみて。美味しいから
アグリ:『ウチで』って働いてんの、お前?
サナエ:まあね。早く食べてみて

アグリはグミを口の中に放り込む。

サナエ:どう?
アグリ:うーん、味がしねえな。不味くはないが、美味くもない
ナレ:彼はお世辞を言わない男だ。だから、率直な意見を述べた。味もなければ、歯応えもない。こんなに美味しくないグミを食べるのは生まれて初めてだ。「空気味のグミ」。そんな言葉がアグリの脳裏に浮かんだ
サナエ:マジで?みんな「人生で一番美味い!」って言ってるのに
アグリ:はあ?これが?
サナエ:そう言えば、アンタさ、ベース弾けるよね?
アグリ:え?まあそれなりに
サナエ:実は私、職場の人達とバンド組んでるんだよ。昭和の曲だけやるコピバン。今日ライブやるんだけど、ベースの人が急にいなくなっちゃったのよ。助っ人してくれない?
ナレ:かなりの無茶ぶりだ。確かにアグリはベースを持っているが、素人に毛が生えた程度の腕前で、バンドに参加したことなんて一度もない。無謀にも程がある
アグリ:いやいや、無理だよ。オレ下手だし
サナエ:大丈夫だって。適当に合わせるだけでいいから
アグリ:でもオレ今ベース持ってない
サナエ:貸す。プレビジョンベースがある。アンタのもプレベでしょ?大丈夫だよ
アグリ:大丈夫じゃねえよ
サナエ:いけるいける。安心しろって
ナレ:アグリは押しに弱い男だった

(場面4)
夜。渋谷の小さなライブハウス。サナエとともに楽屋に入るアグリ。楽屋には若い青年ウツミ、茶髪の少年ツトム、丸刈りの少年ショウジがいる。ツトムはアグリに感謝しているが、ウツミとショウジは不満げだ。

ツトム:助かった!ありがとう!君は命の恩人だよ!
ナレ:しかし、アグリは感謝されても嬉しくなかった。初対面の年下にいきなりタメ口で話されて許せるほど彼は寛容でなかった
アグリ:お前さ、年はいくつ?敬語を使えよ
 
キョトンとするツトム。アグリを睨みつけるショウジ。

ショウジ:何言ってんだ?お前、大学生だろ?だったら、ツトムさんの方が年上だぜ?ちなみにオレも年上な。敬語を使うのはお前だお前
アグリ:え?ああ、スンマセン
ナレ:どうやらツトムもショウジもサナエと同じく「見た目は子供、中身は大人」のようだ。味がしないグミを売る仕事と子供みたいな見た目に何らかの関連があるのだろうか?
ツトム:とにかく助かったよ。本当にありがとう
ウツミ:まあ別にベースがいなくてもバンドは成り立つんですけどね
サナエ:ちょっとウツミ君。そんな言い方ないでしょ。せっかく来てくれたのに
アグリ:(ムッとして)いらないなら帰るけど
ウツミ:(冷笑して)それがいい。恥を掻かずに済むからね

その直後、ウツミの顔のすぐ側を何かが飛び、壁に突き刺さった。アグリが投げたナイフだ。

アグリ:(2本目のナイフを取り出しながら)舐めんなよテメエ
ナレ:アグリは気が小さい男だった。そのため、ナイフを常に数本常備していた。相手に馬鹿にされても、ナイフでビビらせることができると言う安心感があった

全然萎縮しないウツミ。ツトムとショウジもニヤニヤしている。

サナエ:(怒鳴る)アグリ!

アグリはナイフをウツミ目がけて突く。だが、ウツミは余裕綽々で避け、ナイフを叩き落とす。そのままアグリに急接近し、あっという間に組み伏せる。

ウツミ:いいねえアンタ。気に入った。
ツトム:オレも気に入った。君みたいなアグレッシブな人間は大好きだ
ショウジ:(感心したように頷く)

アグリを解放するウツミ。アグリはすぐ立ち上がって身構えるが、ウツミはアグリに向かって深々と頭を下げる。呆然とするアグリ。

ウツミ:ただいまの無礼を詫びます。オレ達のバンドを助けてください。お願いします
ナレ:真摯な懇願だ。先ほどの無礼な態度と打って変わって、まるで召使のようにへりくだっている。アグリはなんだか拍子抜けしてしまった

(場面5)
舞台の上に立つアグリ達。会場は満員。バンドの構成は、ボーカルがサナエ、ギターがウツミ、キーボードがツトム、ドラムがショウジ、ベースがアグリ。

ナレ:ライブハウスとしては小規模な方だろうが、それでもアグリをして緊張せしめるには十分だった。バンドどころか、人前で演奏したことすらない。貸してもらったプレビジョンベースを持つ手が震える。足も震える。
サナエ:(アグリに耳打ち)大丈夫だって。アンタの好きな昭和の曲しかやらないから。知ってる曲なら適当に合わせられるでしょ?
ナレ:適当に合わせるなんてプロみたいな芸当ができるはずがない。アグリは安請け合いしてしまったことを心底後悔した。

他のメンバーに目で合図するサナエ。頷くウツミ達。ギュイーンとギターの音が鳴る。アグリはその音に驚きつつも、自然と指が動く。

ナレ:その音を聞いてアグリは驚いた。自分の指が自然に動いている。彼の指は知っていた。どのような音を出せばいいかを。その曲は彼が好きな曲だった。「涙の太陽」だ

ギラギラ太陽が 燃えるように
激しく火を吹いて 恋する心
知っているのに知らんふり
いつもつめたいあの瞳
なぜ なぜなの
ゆらゆら太陽は 涙ににじむ

ギラギラ太陽は 燃えているのに
冷たく閉ざされた あなたの心
私のものと言ったじゃない
信じていいって言ったじゃない
なぜ なぜなの
みんなみんな嘘なのね 涙の太陽
涙の太陽
(作詞:湯川れい子、作曲:中島安敏、1973年安西マリア「涙の太陽」より引用)

楽しそうに演奏するメンバー達。大いに盛り上がる観客。

(場面6)
ナレ:ライブは成功に終わった。観客は大いに盛り上がり、アグリも特に大きなミスをすることがなかった。

ライブ後、近くの公園に集まるアグリ達。手には酒缶を持っている。

アグリ達:カンパイ!(缶を触れ合わせる)

酒を飲むアグリ達。

ナレ:どの缶もアルコールが入っている。それをサナエ、ツトム、ショウジがゴクゴクと飲み干す。成年しているとは言え、違和感がある。警官が見つけたら、絶対に補導されるだろう。ウツミもチューハイを飲んでいるが、まだ未成年らしい。これは完全に法律違反だ
ツトム:いやあ、アグリ君さ、よかったよ!最高だ!想像以上!
ウツミ:めちゃくちゃ上手いじゃないですか
ショウジ:(感心したようにウンウン頷く)
サナエ:でしょ?
アグリ:(気恥ずかしそうに)いやまあ、それほどでも…
ツトム:君、よかったらウチのバンドに入ってくれ。と言うか、ウチでバイトしてくれ
アグリ:えっ?
ツトム:君みたいな血気盛んな若者を探してたんだ。頼むよ。給料弾むから
ナレ:アグリは困惑した。「昭和の曲が好き」と言う点では共通しているが、それ以外は得体が知れない。そんな連中の下で働くのはとてもリスキーだ
サナエ:頑張れば月100万は稼げるよ
アグリ:100万?
ナレ:金額に魅力を感じたわけではない。むしろその高額報酬に怪しさを感じ取った。表立ってできるタイプではない仕事の匂いがした。
ツトム:どう?やってみる?
アグリ:あの、気になることがあるんですけど
ツトム:何だい?言ってごらん
アグリ:なんでみんな子供みたいにちっちゃいんスか?

その直後、ツトムから笑顔が消える。ショウジとサナエも真顔になる。

ショウジ:オイオイ、なんだ?差別かテメエ?
アグリ:いや、違います。差別っていうか、気になるっていうか…
サナエ:フフ、まあ、気になるのは仕方ないよね。でも、企業秘密
ウツミ:(不服そうに)オレにも教えてくれないんですよね
ナレ:背が縮んでいないと、「企業秘密」とやらにアクセスする権利がないらしい。
ツトム:働いたらわかるかもしれないぜ?
ナレ:秘密をエサにアグリをおびき寄せる作戦だ。アグリはその作戦にまんまと嵌まることにした。後年、アグリはその時の自分を振り返り、サナエ達の正体に関して実はそこまで関心がなかったことに気づいた。ただ生活に何の面白みがなかったから、知らない世界に入って刺激を得たいだけだった。純粋な興味本位だ。単なる暇潰しだ。しかし、その知らない世界に入ったことで、アグリの人生は大きく変動することになる。

(場面7)
夕方。歌舞伎町の薄暗い路地裏に立つアグリとウツミ。ウツミはかぐや姫の「妹」を歌っている。

ナレ:アグリはツトムの下で働くことになった。仕事の流れはこうだ。新宿3丁目の路地裏に集合する。そこにはウツミとサナエがいる。サナエはアグリとウツミにグミが入った袋を渡して去る。アグリとウツミは歌舞伎町の路地裏に移動する。客が来る。グミを売る。しばらくしてサナエが来て、売上と余ったグミを回収する。売上の一部はアグリとウツミに渡される。その繰り返し。2015年7月10日(金)夕方。このバイトを始めて3週間ほどが経過した

妹よ
ふすま一枚 へだてて今
小さな寝息を たてている妹よ
お前は夜が 夜が明けると
雪のような 花嫁衣裳を着るのか

妹よ
お前は器量が 悪いのだから
俺はずい分 心配していたんだ
あいつは俺の友達だから
たまには三人で 酒でも飲もうや

妹よ
父が死に 母が死にお前ひとり
お前ひとりだけが 心のきがかり
明朝お前が 出ていく前に
あの味噌汁の 作り方を書いてゆけ

妹よ
あいつはとっても いい奴だから
どんなことがあっても 我慢しなさい
そしてどうしても どうしても
どうしても だめだったら
帰っておいで 妹よ
(作詞:喜多條忠、作曲:南こうせつ、1974年かぐや姫「妹」より引用)

ナレ:ウツミが歌うのはフォークグループ「かぐや姫」の「妹」だ。明日嫁ぎに行く、たった1人の肉親である妹に一抹の寂しさを感じつつも、彼女の新たな人生の旅立ちを祝福する兄の複雑な心情を抒情豊かに歌い上げた、心に沁みる名曲だ
アグリ:(拍手しながら)いいな。素晴らしい。ボーカルもできるじゃん
ウツミ:(照れ笑いして)いやいや、サナエさんには負けますよ
アグリ:ウッチーも昭和の歌が好きなんだな。てっきりゲスの極みなんちゃらみたいなのが好みと思ったが
ウツミ:(不快そうに)はあ?あんなものカスですよカス。あんなカメムシ以下の歌を聴くくらいなら、カメムシの臭いを嗅いだ方がマシだ
アグリ:(少しヒく)おお、そうか…

アグリ達の前に小太りの不潔な男が現れる。

小太り:あっ、その、グ…グミ3個ください
ウツミ:(手を差し出す)ハイ、15000円ね

小太りは5000円札3枚をウツミに渡す。ウツミは袋に手を突っ込み、グミを3個取り出し、小太りに渡す。小太りはソソクサと去る

ウツミ:(小太りの背中に向かって手を振る)毎度あり
アグリ:やっぱ1個5000円ってボッタクリすぎじゃねえか?
ナレ:味がしない数グラム程度のグミ1個を超高額で売りつけるとは悪徳商法の極みだ。にもかかわらず、それを買う人間が後を絶たないのは不思議でならない
ウツミ:ツトムさん的には適正な価格らしいですよ

今度は若いギャル風の女が現れる。頬は痩せこけ、目の焦点が合っておらず、挙動不審だ。

ギャル:すみません…グミ…グミください…
ウツミ:1個10000円ですね
ギャル:え?なんで?5000円じゃ…
ウツミ:アンタさ、中毒になってるでしょ?中毒者は値段が上がるんだよ
ギャル:(激昂)酷い!最低!死ねクソが!
ウツミ:(冷笑して)別に買わなくてもいいんだよ。他に客はたくさんいるんだし
ギャル:(絶句)
ウツミ:何個買うんですか?
ギャル:6…いや3個…
ウツミ:(手を差し出す)ハイ、3万円

ギャルは財布から3万円を出して渡す。ウツミがグミ3個を渡すと、ギャルは嬉々とした表情になって、薄気味悪い笑い声を出しながら小走りで去っていく。

ウツミ:(女の背中に向かってウツミは軽く頭を下げる)ありがとうございました
アグリ:絶対麻薬だろコレ
ナレ:法外な金額。挙動不審な中毒者。麻薬のイメージとピッタリ一致する
ウツミ:いや、そういうのじゃなくて、マジで中毒になっちまうくらい美味なんですって
アグリ:こんなグミが?全然味がねえぞ。オレの味覚がおかしいのか?
ウツミ:そんなことないですよ。オレもそんなに好きじゃないし。ツトムさんが言ってたけど、なんか性欲が強いほど美味しく感じるんだって
アグリ:なるほど、そうなのか
ナレ:アグリは妙に納得した。性欲の強さとグミの美味しさが比例するのであれば、アグリが美味しくないと感じるのも十分首肯できる。アグリには性欲がなかった。異性の裸を見ても一切興奮しないし、AVや成人向け漫画を見る気も起きない。元カノのサナエとは性交渉どころかキスすらしたことがない。
ウツミ:アグリさん、自慰とかしたことないでしょ?」
アグリ:(ちょっと面食らいつつ)いやまあ、それはないけど
ウツミ:(嬉しそうに)オレもないです。ノー自慰コンビですね、オレ達
アグリ:嫌なコンビだな

向こうの曲がり角から少女が現れる。制服と体格からして中学生のようだ。その少女を見て、アグリは驚く。少女もアグリの存在に気付くと驚いて走り去る。

アグリ:あっ!待てコラ!
ウツミ:あの子知ってるんですか?
アグリ:妹だよ
ウツミ:え?マジで?
ナレ:少女は妹のサクラだった。サクラが怪しいグミを売るアグリ達の前に現れた。それはアグリに驚きだけでなく、大きな不安ももたらした。「偶然ここに来てしまっただけだ」とアグリは強く願った。
ウツミ:あの子、割と常連ですよ
アグリ:アイツ…
ウツミ:中毒になる前にやめさせた方がいいですね。グミを欲するあまり援交に走っちゃう子もいるし
ナレ:確かにその通りだ。最近仲が悪かろうが、妹の貞操を守る責務が兄にはある。

(場面8)
夜。松戸駅近くのマンション。

ナレ:松戸駅近くにあるマンション。そこにアグリの自宅がある。会社員の父と専業主婦の母、そしてアグリとサクラの4人家族だ。

帰宅するアグリ。パジャマ姿の母がリビングでニュース番組を見ている。その番組ではちょうど、近年増加している子供の行方不明者について報じている。

キャスター:昨今全国各地で子供の失踪が相次いでいますが、樫本弁護士はどのようにお考えですか?
コメンテーター:誤解を恐れずに言えば、一種の『家出ブーム』じゃないですかね?昔から青少年の家出はありました。僕だって家出したことありますよ。最近はその数がちょっと多めってだけ。まあ、しばらくしたら帰ってくるんじゃないですか?
母:おかえり
アグリ:サクラは?
母:自分の部屋にいるけど

アグリはサクラの部屋に行き、ノックもせずに入る。ヌイグルミや少女漫画が置かれた、一般的な少女の部屋だ。パジャマ姿のサクラがベッドの上で横になってスマホを弄っている。

サクラ:(睨みつける)何?
アグリ:お前、あのグミ食べるのやめろ。
サクラ:(目を泳がせる)た…食べてないし…
アグリ:ウソつけ。アレは危険な食べ物だ。やめとけ
サクラ:そんな危険な食べ物をなんでアンタは売ってるの?
アグリ:とにかくやめろよ。みんなにはお前に売るなと伝えてるから
サクラ:(激昂)はあ⁉︎ふざけんなよテメエ!

サクラはスマホをアグリの顔面目がけて投げつける。アグリは難なくキャッチする。母が慌てて入ってくる。

母:何してんのアンタ達⁉︎
アグリ:なんでもないよ、大丈夫

アグリはスマホをサクラに投げ返す。サクラは兄を憎々しげに睨みながらスマホをキャッチする。

(場面9)
ナレ:アグリはあれから妹とは会話していない。目が合っても舌打ちされるだけ。前よりもっと仲が悪くなった。しかし、妹が援助交際するのを避けられたのだから、良しとすべきだろう。2015年7月25日(土)昼。アグリは仕事に行く前に新宿のレコード店に立ち寄った。そこで、奇妙な2人組に遭遇した。

新宿のレコード店。アグリの目の前に、満面の笑みで立つオオグチとブリジット(髪もピンクで、服装もピンクのロリータで統一している。服装とは対照的に顔は地味)。

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