見出し画像

「自己犠牲」の美化について

漫画、アニメ、映画でキャラクターが自分を犠牲にして強敵を倒したり世界を救ったりするシーンがよくあるが、どうもそういうのが好きになれない。
そのキャラの犠牲で状況が大幅に改善されたとしよう。敵は滅び、世界は平和になったとしよう。
しかし、犠牲になった当人にはどうでもいいことだ。何故なら既に死んでいて、その恩恵に与れないからだ。自分が死ななければ世界が救われないとしても、死んだらそれで終わりだ。全体にとって良いことだろうが、当人にとっては最悪なことだ。

そんな最悪なことが「感動の名場面」とか「かっこいいシーン」とか言って持ち上げられているのが気持ち悪い。
「家族や仲間を助けるためなら死んで当然」、「ヒーローなら自分を犠牲にするのは当然」、それは本当か?家族よりも世界よりも自分を優先して生き延びようとするのは「悪」なのか?
腹を空かせた者に自分の顔をちぎって分け与えるのは「善」なのか?「さよなら天さん」とか言って自爆するのが「名シーン」なのか?

自己犠牲を美化するような描き方は昔から数多くの作品で用いられてきた。盛り上がるし感動できるからだ。
何故感動できるのか?「個」より「全体」を優先すべきという思想が我々の中で根付いているからだ。
人間は社会的動物だ。社会を適切に維持するため、友情、家族愛、愛国心、社会貢献といった、自分以外に対する気遣いを美徳する思想が古今東西を問わず形成されてきた。特に「自己犠牲」は気遣いの究極形だから、大多数の人間が感動するのは社会的動物として当然のことだ。
しかし繰り返しになるが、自己犠牲をした当人は感動できない。漫画ならドラゴンボールで蘇ることもできるだろうが、現実世界にドラゴンボールはない。

死んで二階級特進しようが英霊にされようが、それは当人のためではない。生きている者達が正当化しているに過ぎない。当人を死なせた罪悪感から目を逸らすために。もしくは他の者達に「自己犠牲は美徳だ」と教えるために。現実の世界では後者のパターンでの正当化が多いようだ。日本人の多くは心当たりがあると思う。
フィクションの自己犠牲はかっこいいし蘇ることもできる。一方、現実の自己犠牲はただの自殺に過ぎず、死んだら終わりだ。その上、死後も美談として利用され続ける。

自己犠牲は気持ち悪い。だから、漫画とかでそういうシーンを見ると、「あ、無理です」となっちゃうのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?