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文化や文明を築いたのはどんな人たちか?:欧州保守派事情(2)余談

昔、ある国の社会学者Aさんがこんな事を言ってました。

文化とは文明のもつ民族的な側面であり、一方、文明とは文化のもつ一般的側面である」
西欧の学者の主張は次のようなものである。それは、『文化という特別な現象を創り出すことができるのは優秀な民族に限られ、しかも、文化を創り出す民族には先天的に特別に進化した神経組織・頭脳・知性が備わっていなければならない。それゆえ,文化を創り出すのに適切なのは、ごく少数の民族だけなので、文化を創り出すことの出来ない民族にはそれを与えてやるしかないのだ』というものである。」


九兵衛の感想
⇨随分と傲慢な考え方ですね。確かに、18世紀ドイツの哲学者ヘーゲルまでも次のように主張しています。
「北部アーリア人やモンゴル民族は文化を創り出したが、両者には違いがある。前者は論理に基づいて技術を進展させ、自己意識を備えた文化といえるが、後者(モンゴル民族)は論理性に欠け自己意識に乏しい文化である。かくして、歴史をながめると、アーリア人は東洋の民族から文化を創り出す技術を採用してそれを改良し続けた。しかしやがて、東洋的思考のアーリア人は西洋的思考のアーリア人として変質を遂げた。宗教を基盤とする文化から哲学中心の文化へと変化したのだ。・・・(中略)・・・文化の覇権は、あらゆる民族の内で最も高貴で、最も知性に富んだ民族で、神聖な文化をもつゲルマン民族が担い、ゲルマン民族こそが自己意識の真の担い手となったのである。」

ヒトラーについて:ヒトラーは、ドイツ民族は「アーリア人」と呼ばれる卓越した人種であると信じていた。 ドイツ人は他のすべての人種に勝る才能に満ちた「アーリア」人種であり、生物学的な優位性で東ヨーロッパ全土にまたがる巨大な帝国を支配する運命にある、とヒトラーは確信していた。ヒトラーにとっての内的な脅威は「アーリア」ドイツ人と劣性民族との人種間の結婚に潜んでおり、これらの劣性民族は、 ユダヤ人、ロマ族(ジプシー)、アフリカ人、スラブ人であるとした。 これらの人種間結婚で生まれた子供はドイツ人の血統に見られる優秀な特徴が薄れ、他の人種との生存競争に必要な能力を弱めると見なされた。

ヘーゲルもヒトラーも、同様に白人(ゲルマン人やアーリア人)が人類最高という強烈な自惚があります。
欧州急進左派(グローバリスト)にも共通しています。
ただ欧州保守派のように、そんな自惚がキライな人たちもいますが・・・。


社会学者Aさんの話に戻ります。彼の趣旨はここに凝縮されています。

「 歴史をひもといてみよう。文化や文明の礎を築いてきたのは、アブラハム・モーゼ・ゾロアスター・ブッダ・孔子・老子、そしてムハンマドである。彼らは哲学者・芸術家・技術者のいずれでもなかった。彼らの果たした役割は、ただ新たな社会を築くことであった。その役割が新たな潮流となったことは言うまでもない。だからこそ、のちの時代になって、哲学者・科学者・技術者・社会学者・医者・芸術家が各々の分野を軸に活動の実を結ぶことが出来たのである。
西欧の文化や文明は、新たな形式を採用してきた。自己意識に乏しい国々は、西欧の文化や文明を自国の土壌にそのまま持ち込んで、小西欧文明へと変化するのである。
特に、A氏の国は、西欧の文化や文明に何ら手を加えることなく、そのまま採用し利用している。しかし、自己意識の顕著な国は、西欧とは異なった、新たな文化・新たな目標・新たな文明を創り出すことが出来るのだ。」

「ギリシアやインドでは、哲学・宗教・技術に加えてヴェーダという言葉がある。これは哲学や技術的な知識ではなく、「覚醒」・「見真(仏教用語で真理を見極める意味)」といった意味の特別な知のことである。ヴェーダの果たすべき役割は、法則を発見したり自動車を作ったり詩を作ったりすることではない。一種の自己意識のことであり、真実の道を見いだすために、現状に甘んじない姿勢のことである。
ペルシャ語のへクマトとは、科学・哲学・技術のいずれにも該当しない。歴史をひもとけば自明のことであるが、自己意識という超越的な精神の持ち主は哲学者・宗教家・技術者でもない。しかも、自己意識の担い手は、常に、大衆の中から生まれてくるのであって、科学者・技術者・医者の中から生まれてくるのではない。文化や文明を創り出したのは、先駆的な自己意識の持ち主であったが、彼らの身分は羊飼いであった。今日でさえ、新たな思考様式を生み出している人々は、経済的にも社会的な身分としても最下層に位置している者であり、ハーバード大学やソルボンヌ大学出身のエリートではないし、科学者・法学者・宗教家・哲学者でもないのだ。へクマトとは特別な教義のことで、階級や学歴の高くない「オムミ」と呼ばれる人々が、社会や新たな文化を創るために同胞たちに提示する内容である。突如として、一般大衆の「頭脳と生活」の真っただ中から自己意識(へクマト)を兼ね備えた逸材があらわれるのだリーダーシップを求められる存在は誰でも、大衆の中から誕生するのだ。そこで、このような逸材のことを「オムミ」という。


この社会学者Aさんとはアリ・シャリアティという方で1977年に没しています。シャリアティ氏は社会学者で、イランの革命家でした。1978年1月にシーア派のホメイニ師がパーレビ国王を追放したイラン革命においてはシャリアティ氏の考え方も精神的な支柱でした。
パーレビ国王は石油開発に際して米国の援助と干渉政策に頼っており、イラン国民のなかには、政府をアメリカの傀儡政権であると考える国民がほとんどでした。極東のどこかの国と似ていますね(汗)。パーレビ国王は反対する人々を秘密警察によって弾圧し、近代化革命の名の下、イスラム教勢力を弾圧し排除していました。

現在も米国とイランは対立関係にあり、「中東=テロ国家という洗脳のプロパガンダ」が毎日のように大手メディアのニュースにあふれています。
TVや新聞などの報道に頼るしかない一般国民や無知な政治家は、このシャリアティ氏の深い洞察に触れることもなく、プロパガンダを盲信してしまうのかと考えると、ため息が出ます。

前回のハンガリーのオルバン首相の深い考えに引き続き、今回はイランの社会学者の話でした。
いずれも小国ですし、世界の主役ではありません。しかし、いずれも深い洞察や固い信念で政治を行った人物であり、素直に頭が下がる思いです。
しかし、白人(ゲルマン民族やアーリア人)は、「頭が下がるという道徳感からの思い」がないのでしょうね。(苦笑)


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