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生活保護ケース②

以前書いた記事の続きです。
間が空いてしまいました。
以前の記事はこちらから↓↓↓

前回の記事ではOさんが刑務所から入院し一緒に生活保護を申請、担当ケースワーカーが決まったところまで紹介しました。

今回は生活保護の受給が決まってからのエピソードです。

生活保護のお金は誰が管理する?

無事に保護の受給が決まり、保護費も入ってくりことになったが銀行の口座もないOさん。基本的に保護費の受給は、口座振り込みか直接役所に行くことになるのだが、入院中なこともありケースワーカーが病院で手渡すことに。

この時驚いたのは、私にお金だけ渡して帰ろうとするケースワーカーの姿。「えっ?Oさんとお会いしなくてもいいんですか?」
お金も本来Oさんに直接渡すものであり、また入院中の様子を見守ることもケースワーカーの役割。
私に尋ねられたケースワーカーは、渋々Oさんの病室へ。
Oさんは生活保護を受給していた過去もありケースワーカーに会うなり役所の人間は信用しないと一掃。
ほら見たことかといった顔でほんの数分でケースワーカーは部屋を出ていった。

そんな流れで重い空気が漂ってはいたが、今日受給されたお金の管理について相談した。
「ご存じの通りOさんに頼れる親族はおらず、見舞いにくる友人もいません。入院費や日用品代などのやりくりを自分で行う必要があるんですが、金銭管理を一人で行える状況とは思えません。」
するとケースワーカーは、「こちらで管理することはできません。支給したお金を不用意に使うと保護受給がストップする可能性もあるので気を付けてください。あと、後見制度もあるので検討してみては。」とあからさまに相談されても困るというような表情で返答があった。
そこに悪びれた様子もなかったのが逆に怖かったのを今でも覚えている。

当時ソーシャルワーカー3年目の私は食い下がることもできず、分かりましたと受け入れた。今思うともっとケースワーカーを巻き込みながら方法を模索すれば良かったと反省する。

そして、後見制度利用も検討しながら本人と一緒に私が金銭管理を行っていくこととなった。ご想像の通り本人とは幾度もお金の使い道について話し合うことになり、暴言を吐かれることもあった。そんなやり取りの中でお金への執着や他人を信用するということができなくなっていることが分かってきた。

Oさんの家族は?

生活保護の申請をした人の親族に援助が可能かどうかを問い合わせる「扶養照会」という仕組みがある。「扶養照会」は、生活保護の申請をした人に親族の経済的な状況などを聞き、援助を受けられる可能性があると判断した場合に親族に問い合わせることで、Oさんの場合も家族状況をこの時調べられていた。
結論から言うと両親は亡くなっており、4兄弟の末っ子だったOさんではあったが、兄弟とは30年以上連絡を取ってはいなかった。
保護課から一人の兄弟に連絡を取った際、名前出すなり電話を切られたという。
Oさん自身にも家族の話を切り出したことがあったが、今さら会う顔もないし、向こうも兄弟だと思ってもいないだろうとあまり話したがらなかった。いつもの高圧的な言い方ではなく、なんとなくバツが悪そうな話し方であった。

Oさんの好物は・・・

偏食だったOさんは病院食に文句を言うことも少なくなかった。そんな日が続き、売店で買い物したいというOさん。
時間を作り、車いすに乗ったOさんと一緒に売店へ行くとあっちに連れていけと指示される。
そこはカップラーメンのコーナーでOさんはどん兵衛を3つ自分の膝の上に置いた。
次はあっちだと支持し、そこで何かを探しているOさん。するとあった!といった表情で「アレを取れ」と車いすからは届かない段にあったモノを指さす。
「これでいいんですか」と聞きながら手に取ったのはかっぱえびせんだった。
いつも悪態ついて暴言吐きまくりの爺さんがかっぱえびせんを探していたとは!っと少しにやけてしまった。
売店からの帰り道、「かっぱえびせん好きなんですね」と声をかけるとむっとした顔で「早く(車いすを)押せ」というOさん。
この時、Oさんのことを知っていくってこういうことなんだなと思ったのであった。

退院後の生活

その後、順調に回復し入院当初は30キロ台だった体重も40キロになっていた。
歩行練習も始まり歩行器で数歩歩くこともできるように。
この時期から病院内では退院先について検討していた。
主な退院先として挙げられたのは、①更生施設、②転院もしくは施設入所、③在宅復帰であった。

病院としては、①か②を進める流れにあったがそこに本人の意思確認はまだであった。そこで主治医から本人に希望を聞くため、私も同席することになった。私は、本人の選択は聞かなくても分かっていたが、本人の口から発言してもらうのが一番だと考えていた。

主治医から退院先の候補を伝え、希望を聞いたところ、迷うことなく家に帰りたいと言うOさん。
主治医:「帰る家はあるんですか」
Oさん:「今から探す」
主治医:「入院中ですが、探す方法は考えていますか」
Oさん:「何とかする」
と言いながら私の方に視線をむけるOさん。
こういう時だけ利用する気だな(笑)と思いつつ私はOさんへ「自宅探しに協力することはできますが体の状態やお金の問題などですぐに家が見つかるかは分かりませんしすぐに家に帰ることができないかもしれません。その時は一旦他の病院や施設に入ってもらう必要があるかもしれませんがいいですか」と問う。

すると「仕方ないが、一番は家に帰ることだ」とはっきりした声で意思を示したOさん。

主治医や担当看護師は少し困惑していた。
私もOさんの答えは想像通りだったが、すぐに解決できるプランは持ち合わせていなかったので希望に添えられるか不安もあった。
でもはっきり自分の意思を伝えるOさんの姿を見てどうにかするしかないと覚悟を決めたのであった。


今回はここまでです。
次回の記事でOさんのお話は完結する予定です。
Oさんは家に帰れるのか、自立するとはどういうことなのか、ソーシャルワーカーとして何ができたのかを最後の記事ではお伝えできればと思います。

(補足)
今回の担当ケースワーカーの場合、Oさんの自立への関与は最低限のものでした。当時の私もそんなもんかと深く考えていませんでしたが、もっと関りを促すこともできたなと振り返ると思います。また、これまで一緒に支援を共にしたケースワーカーの方々の中には尊敬すべき人もいましたし、他の記事でもお伝えしましたが、個々のケースワーカーを非難したいのではなく、ケースワーカーが働く環境や元々持っている専門性に問題があると考えています。






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