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就活生がみんな黒リクスーを着てしまう理由の推測

就活時に誰も強制している人がいないのにみんな同じ黒いリクルートスーツを着るのはなぜか、という話が話題になっていた。

記事ではこれを同調圧力によるものとしている。

私はこれに反対である。みんな就活で失敗したくない、ゆえに「就活攻略法」の研究が進み、その結果としてみんなが同じ「最適形」にたどり着くというだけの話だと想定している。それを示唆する話も記事中にある。

企業の人事担当者に話を聞くと、皆が同じような服装で同じことばかり言うので、逆に点数を付けられなくて困るという発言すら出てきます。

人事担当者の悩みはさもありなんだろう。みんなそれなりの点数が取れるよう突き詰めてきて来ているということである。

このようなことを書くと、いや、ウチでは個性のある尖った人材を求めている、というような人事担当の方もいらっしゃるだろう。だが、学生から見ると、企業がどのような個性を求めているかは見えにくい。その情報の非対称性が、学生側に「とりあえずどこに行っても無難で一定の期待値が得られる方法」への収斂を促す。

こういった情報の非対称性がもたらす問題を回避するためには情報を透明するのが定石だが、この件に関しては、企業が求める個性を先に公開したところで、今度はその要求に見合った「個性的人物像」を競って演じることであろうし、それでは問題は解決しないし、企業もそれでは困るので「個性」の基準を公開したりはしないだろう。就活生側とってしても求める「個性」の数だけリクルートスーツの数が増えるだけで経済的にも負担である。



さて、これをツイッターに書いた際、正反対の2つの意見が寄せられた。

私の意見としては、これは両方正しい。それはオンラインゲーム業界に伝わる話である(これもツイッターで教えて頂いた)。

ゲームは創意工夫しながら勝ち負けを競うのが楽しい部分であるが、勝敗ルールの設定いかんでは勝率を最大化する方法が1つに定まってしまい、単調で退屈な作業をいかにこなせるか、という状態になり、全員が苦痛を被る。

ノーリスクローリターンのプレイスタイルがあると、プレイヤーがその戦略へと引かれて行くのは不可避である。……プレイヤーが全ての状況に対処できる効率的なビルドを追い求めた結果である……しかしながら、このプロセスは退屈だし全く頭を使わない。効率プレイの結果楽しみが失われてしまうのである。

ゲームの製作者も含めて、その退屈な作業を誰も強いていない。しかし、最適解のある場で勝負を競うという場の特性がそれを強いるのである。就活も同じことで、企業の担当者も含めて誰もそれを強いていないのだが、最適解のある場でより有利な就職先を競うという場の特性がそれを強いている。「なるべく良い給料を出すが、採る人数は上限がある」採用側の行動を「邪悪」とするかどうかはまた別の話であるが……

ゲームの場合にはプレーヤー全員が苦痛な状態を放置するとプレーヤーが減ってしまうので、バランス調整のためのルール変更が行われる。しかし、就職活動に際しては、ルールの変更(例えば最近基準の開示)も一筋縄ではいかないことは、すでに述べたとおりである。新卒一括採用をやめたところで雇用市場が競争的なのは変わらないだろう。かといって「統一就職試験」的なものもナンセンスなように思える。うまいアイデアは私にもちょっと思いつかない。



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