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シン・エヴァンゲリオン劇場版に向けられる賛辞と呪詛の断絶について

ネタバレを多分に含みます.

シン・エヴァをようやく観た.完全なるミュート体制(SNSアプリの削除)により,ネタバレを全く踏まずに観ることができたのは本当に幸運だったと思う.

観終わったときにまず思ったのは,本当に終わったな,というありきたりの感想.そして,「アイツラ大丈夫かな」であった.

大丈夫だったかどうかはいろいろなひとの感想を見ればわかる.賛辞9割,呪詛1割.大丈夫じゃないやつは大丈夫じゃない.

私は幸いなことに大丈夫な側の人間であった.純粋に楽しみ,終わったことを喜んだ.だが,同時に呪詛を吐く側の気持ちもわかってしまう.

自分の推しではないアイドルグループの解散やメンバーの脱退を前にしたときの気持ちに近いかもしれない.うわー・・・逝ったな,これは.死人が出るぞ.自分の推しも永遠ではない.終わるというのはそういうことだ.あなたは成長して次のステップに行くかもしれないけれど,あなたに救われていたこの心の裡はどうすればいいの?どうすればいい?

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シン・エヴァは徹頭徹尾エヴァという物語の終わりに向けて動いていた.ずっと丁寧にさよならを言われている感覚があった.

人間は変わる.物語をつくるのにはテーマが必要だが,人間が変わる以上,テーマもそのひとにとって普遍的なものではない.人間の核には変わるものと変わらないものがあって,庵野監督にとって旧エバで描いたテーマは「変わらないもの」ではなかった.それだけのことだ.

今作からは本当に絶対にエヴァを終わらせるという強い想いを感じた.第三村での終わりに向けての緩やかな助走,差し込まれる過去作のタイトル,かつて撮影したスタジオ,キャラひとりひとりへのさよなら,ひとつひとつ幕を引いていく,そしてダメ押しの「終劇」,無い次回予告.

そもそもが新劇が既に自分の意志と離れているエヴァを今の自分によって書き換えるプロジェクトだったのだろう.劇中の言葉で言えば「落とし前をつける」か.過去の自分が思ったことを素直に出した作品が自身の手を離れ,いろいろなひとの想いを吸って肥大化してしまった.そこに既に自分の想いはなく,終えられるのは自分だけ.庵野監督から最後に示される今のテーマは,「おれたちの日常はいまここだ」

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ただ,旧エバに描かれたテーマに自身の核「変わらないもの」を見出した人たちはどうだ?アスカに「気持ち悪い」と言われたときに結晶する,これは私のために描かれた物語だという感覚.

そんなひとたちにとってシン・エヴァは間違いなく裏切りであろう.私の物語に土足で踏み込むな.私の思いを過去にするな.私の痛みは実在する.拒否してでも(拒否こそが)おれを認めてくれ.

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最後に選ばれたのがマリだったのも納得がいく.マリが庵野監督にとっての安野モヨコだというのは様々なところで言及されているが,庵野は旧エバをつくったときの思いを救われたのだろう.なぜ内面をほとんど描写されないマリが?というのも,マリだけ圧倒的に他人だからである.

レイもアスカも庵野監督の一部分である(本作ではそれがシリーズと言う形で示される).自身のうちからの存在であるアスカやレイと違って,他人であるマリのことを庵野監督は描写できない.マリはシンジも救うし,アスカも救う.過去の思いは出会いから得た解釈により昇華していく.

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だが,同様にやはり旧エバで救われた魂も確かにあるのだ.あなたが昇華した想いを大事に抱え続けているものもいる.これはどちらが人生のステージとして後先だという話ではなく,人によって変わらないものが異なるというだけの話.そういう意味では,不幸な事故に近いのかもしれない.ただ,やはり自分のための物語と出会えることは幸せでしかないので,幸せな事故なのかもしれないな.

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