ずっと、世界が楽しいなって
乳幼児を保育という、かなり原始や自然と共にある生活をしてわかるのは、学校でも会社も、どんな理由であれ嫌なのに毎朝行くことは異常極まりないこと。
それは自然の生き物で無くなってしまうこと。死に近いこと。
それと同時に、美しい鳥が進化した羽を誇示したくなるように、人間として進化した脳を使いたいという欲求もまた、強固な自然。そして、役に立つと思われたい欲求も自然。
要するに、毎日起きるのが楽しくなるくらい好きなことして、認め合って生きること、生かし合うこと、それが進化であること。
生命が進化のためにあるのなら、楽しく朝起きるために、常識を捨てなければならない。
2歳半を過ぎた娘は、毎朝、起きた途端に楽しそう。
私の手を引っ張って起こす。
世界の朝が楽しいものだと思っている。
朝起きが体に合わず、理性が目覚める前に起こされることを、私が何度でも呪った朝を。
私にとって朝は、気管支をこれでもかと締め上げる夜から解放されて、やっと眠れる貴重な時間であると、幼少からの喘息の恐怖と共に、発作をコントロールできている今となっても体に染み付いているし、そんな朝につまらないことで起こすものには本能的殺意を持たずにはいられないし、娘と一緒に早起きを続けても一向に私の体には合わないけれど、こんな幸福な目覚ましなら、呪いも解けて行く。
娘に、世界の朝がこのまま楽しいと思って生きて欲しい。
ずっと、世界が楽しいなと思って欲しい。
今後、保育園に通わせるのは、少し怖い。
朝が嫌いになったらどうしよう。
時間に合わせて無理やり着替えさせるのは、嫌がるだろうな。
でも私だけの相手で終わってしまういつもの朝は、朝が好きな君には、この世界を歩き出した君には、もったいないから。
人に関わりたいと思っている君だから。
賑やかで慌ただしい朝を試してみて欲しい。
嫌だったらいつでもやめていい。
世界の朝が楽しいと思って生きて欲しい。
世界の朝は楽しいと思って生きて欲しい。
ずっと、楽しいと思って生きて欲しい。
その為なら、腐った常識なんて、簡単に壊してみせるよ。
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