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四十代女性礼賛

 六十一歳で作家デビューした途端、編集者を始め、雑誌や新聞の記者、テレビのプロデューサー、カメラマン、書店員さんなど、三十代四十代の「キャリアウーマン」と呼ばれる人達と知り合う機会が一気に増えた。
生き生きと働く女性達に出逢うたびに、「時代は変わったなあ…」としみじみ思う。

 四十代というのは心身共にすごく豊かな時代なのだ。それまでにいろんな経験も積んでいるし、この世界の様子もある程度わかっている。青さが薄れて、いい感じに深みのある色に変化してくる時期だ。
何よりも自分という人間を、若い頃より客観的に見ることができるようになっている(もちろん、例外はあるけど)。それまでにいろんな失敗や挫折もしただろうし、人生はそれほど甘くないということも知っている。
 若さは永遠じゃないってことも、諸行無常の意味も、身にしみてわかってくるのがこのあたりだ。若い頃のように100%無謀な選択はしないけど、少しくらい無謀なことにでも挑戦できるくらいの体力気力も十分残っている。
 私は四十六歳で大学に入ったけど、十八、九の学生達に、勉強では負けなかった。必死で勉強して学科でトップになり、特待生にもなった(自慢)。若さ以上に強いものってあるのだ。

 集中力とか持続力とか、深く物事を考える力とか、十代二十代頃にはなかった「力」。

 もしかしたら「もったいない」とか「ありがたい」という気持ちがそういう力を生んだのかもしれない。座っているだけで、あらゆる知識を与えてもらえるありがたさ。授業料を考えると、もったいなくて休んだり遅刻したりできなかった。

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 朝は五時半くらいに起きて朝食、お弁当作り、掃除洗濯をして大学の授業へ。授業と授業の間が一コマでもあいていればスーパーに行き、大学から帰って夕食の支度。塾の送り迎え。

 大学と大学院に行っている間、家事と勉強以外のことはほとんど何もしていない。専門書以外の本も一冊も読まなかった。体調を崩して病院で点滴を受ける間もテキストを読んでいたし、元日も勉強していた。大学院を卒業するまで、一度も友人と会っていない。

 いつも時間に追われていたけど、人生で一番充実していた。
だけどあの頃の私は、まわりの若い学生に対して気後れしていた。「私はおばさんだから…」というような気持ちがどこかにあったのだ。

 今思えば、本当にもったいないことをした。タイムマシーンがあったらあの頃の私に言いたい。
「四十代なんて花の盛りなんだから、堂々としていなさい。顔のシワは勲章みたいなものよ。ただし、心にシワを作らないように頑張って!あと二十年もしたら、白内障にはなるし、耳は遠くなるし、すぐ骨折れるし、すぐ疲れるし、油断したら食べたものがみ〜んな下腹についちゃうし、固有名詞が出てこなくてアレとかソレとかが多くなるし、しょっちゅう『その話聞くの百回目』とか言われるし、病院に行くと『加齢によるナンタラカンタラ』って言われることが多くなるし…とにかく四十代の自分を楽しみなさい!」

 貝原益軒(かいばらえきけん)(江戸時代の儒学者)が書いた『女大学』という有名な本がある。
この本は、明治以降も高等女学校の修身教材として使われ、戦前戦中まではこの本に書かれた「女はこうあるべし」という考えが生きていたと思う。
この本の中にはこんな一文がある。
「女は、四十までは人の多く集まるところには行くべからず」
四十過ぎたら女はもう婆さんで、女として「現役」じゃないので色恋沙汰も起こさないだろうから好きに出歩いていいっていうことなのだろう。確かに人生五十年なら、四十代は晩年と言える。
 だけど、今は人生百年時代!二倍の長さだ。ということは、今の四十歳はまだ二十歳!今が見頃の八分咲きと言ったところで、まだ満開ですらない。まだピークにも達していないのだ。
貝原先生が、今の日本の女性達をご覧になったらさぞかし驚かれることだろう。
 私が二十代の頃、三十代半ば以上の女性はだいたい「おばさん」と呼ばれていた。確かに、私の母の三十代半ばとか四十代を思い浮かべると、おばさん以外の何ものでもなかった。だけど、今の女性達の若々しく瑞々しいこと!
 「四十代の女性をおばさんと呼ぶな」と言いたい。そもそも「おばさん」という言葉なんか、いらない。
昔、ある高齢の大富豪が「もし四十歳に戻れるなら、全財産を失ってもいい」と言った。四十歳というのは、数百億円の価値があるということだ。ということは、五十歳だって百億くらいの価値があるんじゃないだろうか。六十代だって、八十代からしたら、数千万くらいの価値があるかもしれない。

 人生百年なら、四十代は人生の正午より、もう少し前かも。十時から十時半?
つまり四十代は「青くない青春」の真っ最中なのだ。

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