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『おっさんずラブ』の沼に落ちた作家のひとり言

 2018年に放送されたドラマ『おっさんずラブ』に「ハマった」ことに、私自身が一番驚いた。こんなことになるとは思ってもいなかった。
このドラマは、男性同士のピュアな恋物語だ。天空不動産勤務の春田は上司の黒澤部長と同僚の牧に愛されて三角関係に。その三角関係に牧のかつての恋人武川が参戦し、四人の男達の切ない恋がからみ合い、もつれてしまう。

 劇場版は二回観に行って、もちろんDVDや公式本も買った。公式本に載ってる牧レシピを見ながら枝豆パスタも作ったし、牧の誕生日には「Happy birthday牧君」と書かれたホワイトチョコ付きのホールケーキを買い、ロウソクを立ててお祝いした。春田と牧が着ていたセーターやスーツを手作りしてぬいぐるみに着せたりもした。インスタでの二次創作は優に五十を超える。

https://www.instagram.com/kyrieasako/?hl=ja

漫画家の娘達(キリエ)に頼んで、ぬいぐるみの春牧の四コマ漫画やイラストを描いてもらった。ドラマ内で使われていたメモ帳やマグカップを探し求めて車であちこち走りまわり山道に迷い込んでしまったこともある。

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おっさんずラブ 独り言 表紙 春田

このドラマがなぜこんなにも私の心に刺さったのか、なぜこれほどまでに多くの人の心をつかんだのか、一度ちゃんと考察してみたいと考えていた。というわけで、この場を借りて、思いつくままに書いてみようと思う。
これは独断と偏見に基づいた私の単なる個人的意見なので、「そうじゃない!」と思う方もいらっしゃると思うけど、そこはお許し下さいね。

 まず第一に、もう誰もが分かっていることだが、脚本が素晴らしい!
「よくもまあこんなキュンキュンくるセリフを思いついたものだ!」とか「なんという面白い設定!」とか、そういうものがそれこそてんこ盛りだ。
ちょっとした一言でも、その言葉には厚みがあって、いろんな意味や想いがぎっしり詰まっていたりする。心に残る名言や思い出すたびにクスリと笑えるセリフが、あちこちに散らばっているのだ。
 だけど、おっさんずラブをあそこまで秀逸なドラマにしたのは、何と言っても俳優さん達の力だろう。個性的で魅力的な俳優さんが綺羅星のごとく集まって、作品をまばゆいばかりに輝かせたのだ。
中でも、田中圭さんと林遣都さんの「演技力」、いや、それさえも超えた「人間力」の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。あれほどの脚本だから、誰が演じたとしても、すごくいい作品にはなっただろう。しかしもうこれ以上はないという「てっぺん」レベルには届かなかったはずだと確信している。なぜなら、あの二人でなければ絶対に生まれなかったであろう「特別なもの」があるからだ。
春たんの、あの愛さずにいられない「可愛さ」は、田中さん自身から出るものだし、牧のあの「いじらしさ」は林さんの属性の中にしか存在しない。
ちずちゃんと抱き合っている春たんを、遠くから見ている牧の瞳を見て涙した人はたくさんいるはず。大げさな演技をしているわけでもなく、顔をしかめたり泣いたりしてもいないのに、あの瞳の中の悲しみの深さたるや!
混じり気のないあまりに純度の高い「愛」と「哀」は、林さん自身の中にあるもので、どこからか借りてくることもできないし、演技でどうにかできるものではない。春たんと牧は、いや田中圭さんと林遣都さんは本当に愛し合っていた。もちろん変な意味ではない。これは、OL民ならきっとわかってもらえると思う。
 ドラマというものがいかに俳優さんの「人間力」にかかっているかをおっさんずラブは証明している。
 実は私は、田中圭さんの「人間力」に救われたことがある。今年五月に出版された『僕は人を殺したかもしれないが、それでも君のために描く』を書き始めたばかりの頃だった。私はどうしても主役に命を吹き込むことができず、苦しんでいた。この主人公を愛せなかったのだ。ヒロインのまりあは最初から好きだったし、主役がこの人に恋心を抱くのは自然だった。だけど、この主人公をまりあが好きになるとは思えなかった。どこにも恋に落ちる要素が見つからなかったのだ。私がまりあなら、同僚の消防士の方を絶対好きになると思った。作者がこんな状態なのに、どうして読者がこの主人公を好きになるはずがあろうか。私は絶望して、完全に筆が止まってしまった。
鬱々と日を過ごす私に、ある日娘がこんなことを言った。
「この主人公、田中圭さんが演じたらどんな感じになるかなあ」
 私は、主人公が強迫性障害ゆえのおかしな行動を取る場面を想像してみた。
汚れた野良猫に怯えてテーブルに上り、パニックになっている主人公の姿を。それまで頭の中で何度思い浮かべても、それはただただ奇妙で情けない姿だった。大抵の人はひいてしまうだろう。
ところが、田中圭さんがテーブルの上でオロオロしている姿を想像したら、シーンそのものが全く違ったものになった。なんとも言えぬ「可愛げ」があるのだ。本人は真剣なのに、どこか「おかしみ」がある。
「顔無し」の主人公が田中圭さんになったとたん、私の筆が走り出した。主人公が命を持ち、私の目の前で生き生きと動きだしたのだ。私はそれを書き写すだけでよかった。やっと私はこの主人公を愛することができたのだ。
私は感謝を込めてこの主人公に田中圭さんのお名前の一文字をいただいて「圭司」とつけた。

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 話がそれてしまったので、おっさんずラブに戻そう。あのドラマがもし、男女の恋愛物語だとしたら…、例えば春たんが女性だったとしたら、おそらくそこまでヒットしなかっただろう。
同性同士の恋愛は、男女の恋愛にはないものが存在し、逆に男女の恋愛にはあるものが存在しなかったりする。同性同士だと身内の反対だったり、世間の偏見だったりはどうしても避けられないだろう。そして、戸籍の問題もある。夫婦として戸籍に記載されることはない。男女の夫婦であれば当然付いてくるいろいろな権利も認められない。子供も生まれない。
例えば、私と「時々サイコパス」な夫は戸籍上の夫婦であるというだけで、いろいろな権利が守られる。夫が天寿を全うしたのちには、彼の財産の半分は自動的に私のものになる。夫が刑務所に入ったら、私は身分証明書さえ提示すれば、申請書を書いたりしなくても面会させてもらえる。場合によっては、仕切り板のない面会室で会うことだってできるらしい。
だけど、春たんがもし「可愛すぎる罪」で収監されたとしても、牧君は申請書を書いたり、色々質問されたりしてからでないと面会できないのだ。しかも絶対に仕切り板越しに。
私と夫と違い、春たんと牧を結びつけているものは「愛」だけだ。なんの利害も法律も介在しない。私たち夫婦と春牧夫婦、どっちが本物の夫婦かと言ったら、そりゃもう1000%春牧夫婦だ。愛の大きさを測ったら、ゴジラとヤモリくらい差がある。
人は、ピュアな愛に憧れる。本物の愛に心打たれるのだ。あの二人を見ていると、「どうか幸せでいてね!」と願わずにいられない。
あのドラマをあそこまで押し上げた要素の一つとして、「OL民」という存在を忘れてはならない。この民もまたピュアで優しいのだ。利他の心にあふれている。春たんと牧が仲良くしているのを見て、幸せになれるという「愛」に満ちた人達だ。ツイートを見ても、とにかく優しい。
私はOLファンというだけで友達になれそうな気がするくらいだ。実際、SNSを通じてOLファン達と出逢い、友情を育んできた。
OLファンの愛が、あの作品に王冠をかぶせたのだと、私は信じている。
 私はまだ当分、この「沼」から出るつもりはない。ものすごく居心地がいいからだ。インスタの二次創作も、読んでくださる方がいる限りは、続けようと思う。
まだ言いたいことは山ほどあるが、一旦ここでおしまいにする。
何はともあれ、素晴らしいドラマを本当にありがとう!OLファンに幸あれ!

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マジデリカシー2 (2)


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