私が経験したアカハラとセクハラ

  私は家庭の事情で、高校卒業してすぐには、大学に行けなかった。その無念の想いが、ずっと胸の中にあって「いつか必ず大学に入って思いっきり勉強する!」と思い続けていた。
その望みが叶ったのは四十六歳の時。結婚して子供が二人いる状況での大学入学だった。
学業と家事に追われ、朝は五時半か六時起きで、日曜も祭日もなく、クリスマスもお正月もなかった。授業はいつも最前列で受け、車の中では第二外国語のCDを聞き、過労でダウンした時にも、点滴を受けながらテキストを読んでいた。旅行や、友人とのランチどころか、楽しみのための本を読む時間さえなく、四年間一冊も小説や雑誌を買わなかった。
その努力の甲斐あって、私は学科でトップになり、特待生として奨学金をいただいた。ある教授は「あなたの背中を見て、学生達は多くを学んでいます」とおっしゃって下さった。勉強は本当に楽しくて、人生で一番幸せな日々だった。ある一つのことをのぞいて……。
それは、ゼミのX教授から受けた陰湿なアカハラacademic harassmentとセクハラだ。
無遅刻無欠席で、誰よりも多く研究発表をしていたのに、評価は驚くほど低く、ゼミの時間には、いつもネチネチと意地の悪いことを言われた。卒業後の進路に関するアンケート用紙を配りながら「あなたは、就職できないから、『就職しない』というところに丸をつけて」と学生の前で言われたりもした。
私はどうしてそんなに嫌われるのかわからなかった。
ある日、X教授と親しいZ教授に呼び止められた。
「あなた、Xさんにイジメられているでしょう?」
「嫌われているみたいです」
「あの人、オバサン嫌いだから」
 Z教授の言葉に私はショックを受けた。
「じゃあ、私がもう少し若ければ、嫌われなかったんですね」
「少しじゃダメ。うんと若くないと。あの人、若い子専門だから。ゼミにAさんって子、いるでしょう。その子、可愛い?Xさんがえらく気に入ってるみたいだけど」
 私は言葉を失った。確かにX教授は、Aさんをあからさまにえこひいきしていたし、Aさん自身がそのことで悩んでもいた。
私はX教授からは卒論指導を全くしてもらえず、文献なども貸してもらえなかった。
Z教授がこんなことも言っていた。
「Xさんが、あなたが見たがってる文献をたくさん持ってて、あなたには貸してやらないんだって言ってたよ」
 私はX教授の力を一切借りずに、卒論を書き上げた。だけど、提出はしなかった。X教授に採点されるのが嫌だったし、見せたくもなかったのだ。
 卒業直前の最後のゼミの後、エレベーターの前で、X教授と一緒になった。私は悔しい気持ちをぐっと胸に押し込んで「今までありがとうございました。お世話になりました」と頭を下げた。けれど、彼は不愉快そうに顔をそむけて「ああ」とだけ言った。
 最後の最後までひどい態度だったが、私はむしろ清々しい気持ちにさえなった。
「礼は尽くした……」
私は心の中でつぶやいた。
本当は卒業後そのまま大学院に進もうと思っていたのだが、もうX教授とは顔を合わせるのも嫌だった。どうしても学問は続けたかったので、思い悩んだ末、九州大学の大学院に進んだ。
 大学院の入学式で、ある教授がおっしゃった言葉を今も覚えている。
「あなた達は全員、今日から研究者の卵です」  
 私は研究者としての一歩を踏み出すことができたのだ。
「オバサン」であるがゆえにX教授から不当なアカハラとセクハラを受けたが、大学院ではオバサンであることなんか、なんの関係もなかった。そして素晴らしい先生達と出逢い、思う存分学問をすることができた。大学生の娘を持つ院生と親しくなり、今では大切な親友だ。
 X教授に対して、今はもう憎しみも恨みもない。負け惜しみではなく、彼のおかげで、素晴らしい出逢いに恵まれ、ステップアップできたと感謝している。
 X教授のゼミに入ったことを、不運だと思っていたが、結果はむしろ幸運だった。彼は、私の人生をより良いものにするために遣わされたのだ。今、心の底からそう思える。
人生で起きた出来事の多くは、幸不幸も善悪もなく、ニュートラルなのかもしれない。幸不幸、善悪を決めるのは、その出来事に自分自身がどう立ち向かうかなんじゃないだろうか。

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