日比野恭三

ノンフィクションライター。世の中にある物語を探しだし、作品に書き表したい。ジャンルに縛…

日比野恭三

ノンフィクションライター。世の中にある物語を探しだし、作品に書き表したい。ジャンルに縛られず、新たな世界を切り開きたい。2020年、はじめます。

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最近の記事

『BUTTER』を読んで。

知人の薦めで手に取る。 週刊誌の女性記者と、連続不審死事件の容疑で拘束中の女。両者の、アクリル板を挟んだ対話が物語の軸である。記者は取材対象への心理的な接近に成功するが、関わる者を死へと追いやる被疑者の念に侵され、その脅威はやがて記者の親友にまで及び始める。獄中から伸びる魔の手に抗いながら2人は事件の真相を探り、その過程で各々の人生、価値観、とりわけ女性観を更新していく。 作中でキーファクターとなっているのが、料理。あるいは、素材も含めた食べ物一般である。梶井真奈子という

    • 百年から始まる

      1月13日の夕方、吉祥寺の古書店「百年」に足を踏み入れた。 Twitterでも触れたとおり、写真家の高橋マナミさんが撮影した写真の展示を見るためだった。 高橋さんと一緒に仕事をしたのは、2012年の夏ごろ。当時亜細亜大学4年生で、ドラフトを控えていたころの東浜巨の取材だった。東浜は「1位指名じゃなかったらショック」なんて言っていたっけ。 高橋さんと行き帰りの長い電車移動の間にいろいろと話をしながら、波長が合うと感じた。その後、仕事で一緒になることはなかったが(いまに至る

      • もったいない

        「そんな、もったいないよ」 昔、よく言われた。 私は、17年前(だと思う)、東京大学を退学した。1浪して合格し、在籍していたのは3年間だったから、ストレートで入学して滞りなく卒業する人たちと同じ、22歳だった(と思う)。 大学を辞めると言いだしたときには父親が「話をしよう」と上京してきた。私の考えを知った誰もが、引き留めの姿勢だった。そのとき多くの人が口にしたのが、冒頭の言葉だった。 おぼろげになった記憶の中でも、私がその言葉に反発したことは覚えている。よく自問した。

        • 間違った方向には進んでない

          案の定、というべきだろう。 前回の記事を投稿した直後に、「女性をテーマになんて」と自分の着想を疑い、鼻で笑うような心持ちになった。 根っこにあるのは、「それを誰かが読みたいだろうか」という疑念だ。 この「note」に限らず、原稿を書くときにはいつも、同じ思いが頭をもたげる。 とにもかくにも誰かに話を聞いて、とにもかくにも書いてみる。それは、なんにせよ一歩を踏み出すことがすべての始まりになるという意味において大切なことだ。だから、確信とはほど遠くても、せっかくの着想を丸

        『BUTTER』を読んで。

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        • 思考の軌跡
          5本

        記事

          令和の時代の女性を書く?

          正月三が日、「note」をどう使うのがよいのか、何を書くべきなのか、比較的ゆっくりと時間を過ごしながらじりじり考えていた。 note公式は「名文や超大作を仕上げようとして手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう」と推奨するけれど、私は「書くために書く」ことはしたくない。 かといって、更新があまりにまばらでは読者が増えないだろうし、それはモチベーションにも直結するだろうから、やはり継続的に何らかのことを書く必要性はあるとも思う

          令和の時代の女性を書く?

          2020年を「世界を広げる」1年に

          突然ですが、2020年の個人的なテーマに、「世界を広げる」を掲げます。 ここでいう「世界」とは、「自分が生活や仕事の範囲としている領域」ぐらいの意味合いです。 なぜ「世界を広げる」を1年のテーマに選んだのか? その理由を年頭の、かつ私にとって「note」初投稿となる本記事の主題とすることにしました。 結論としてはポジティブだけれど、記事の大半を占める「そこに至るまでの経緯」はちょっと重めの内容です。自分の気持ちをできるだけ正確に書き表そうとするうち、過去について深く内省

          2020年を「世界を広げる」1年に