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もったいない


「そんな、もったいないよ」

昔、よく言われた。

私は、17年前(だと思う)、東京大学を退学した。1浪して合格し、在籍していたのは3年間だったから、ストレートで入学して滞りなく卒業する人たちと同じ、22歳だった(と思う)。

大学を辞めると言いだしたときには父親が「話をしよう」と上京してきた。私の考えを知った誰もが、引き留めの姿勢だった。そのとき多くの人が口にしたのが、冒頭の言葉だった。

おぼろげになった記憶の中でも、私がその言葉に反発したことは覚えている。よく自問した。

本当に「もったいない」のだろうか。

「もったいない」ってどんな意味なのだろう。

当時の状況において「もったいない」が意味していたのは、東大を卒業すれば得られるはずの武器、つまりは将来にわたるいろいろなメリットあるいは特権的な何かをみすみす手放すことに対する「惜しむ気持ち」だったろう。バカげた行動に出ようとしている若者への批判めいたニュアンスがあり、いくばくかの呆れや嘲りも含まれていた。私はそう受け止めていた。

でも、私自身、そんな武器やらメリットやら特権的な何かを駆使した人生にそもそも興味がなかったから「もったいない」とは思わなかった。「おれの人生を勝手に決めるな」「その『もったいない』の価値観を押し付けるな」と思っていた。そうして「もったいない」は、しばらくの間、私の嫌いな言葉になった。

当時の私はむしろ、「東大卒」という肩書を背負った一生、その色付けをなされた一生しか歩めなくなることを恐れていた。少なくとも、そう理論づけることによって、自分が下そうとしている判断を正当化していた。

学歴が何の役にも立たないフリーライターという職業に将来就くことになることまでは、さすがに見通せていなかったが。


再び目の前に現れた「もったいない」

そんな過去の記憶がよみがえったのは、1月7日に開かれた、プロボクサー黒田雅之の会見の影響だった。いや、正直に書けば、ボクシングジムに設けられた即席の会見場でサンドバッグのすき間に立ちながら、黒田が発する「もったいない」の言葉を耳にしたときは聞き流していた。微かな引っかかりを逃していた。

その後、スポーツとも関係のない、まったく別の取材でまたしても「もったいない」という言葉が出てきて、それを文字起こしの作業中にイヤホンを通して再び聞いた。そしてそのフレーズを文字として視認したときにようやく、そういえば「もったいない」という言葉ひとつにあれこれ悩んだ過去があったなと思い当たった。

黒田は昨年5月、プロボクサーとしての集大成と言っていい2度目の世界挑戦に失敗し、進退を保留していた。客観的には、41戦を戦った33歳が引退を決断するには、その敗戦は最適なきっかけであるように思えた。世界王者と12ラウンドにわたり打ち合って、負けたとはいえそれを2度も経験した。プロボクサーとして十分に胸を張っていいキャリアであろうし、次にまた同じチャンスがあるとは限らない。潔く辞めたところで誰も反対しなかったはずだ。

だが黒田は、現役続行を決めた。2020年の元旦、所属ジムの新田渉世会長にその思いを告げた。

黒田は会見で、「単純にもったいないなと思った」と言った。

まだできるのに、自分ではそう信じているのに、プロボクサーであることを辞める。一度しかない自分の人生の一部を、後悔すると知りながら過ごす。

それは、東大を辞めるなんて、という文脈における「もったいない」とはまったく異なる意味を持っているように思える。


何を惜しむのか

「もったいない」は、何かを失うことを惜しむ思いを表す。

問題は、その何かだ。

多くの人にとって価値があると思われているけれども自分にとって価値があるとは感じられない何かなら、たとえ「もったいない」と他者から言われても響かない。

多くの人はもう失ったっていいじゃないかと思っているけれど自分はまだ絶対に失いたくないと思っている何かなら、誰が何と言おうと「もったいない」と思う。

新しい年を迎え、あれやこれやとこの「note」に書いたようなことを考えだしている私はきっと、「もったいない」と思い始めたのだろう。狭い世界で得意がって生きていき、どこまで進めるかわからないけど、どん詰まりに突き当たるいつかまで、「なんとかやってこれたよ」とうそぶく時間を過ごす。人生をそんなふうにしてしまうことこそが、もったいないと思い始めている。

自分の残りの時間をもったいないと思えるようになってきたことは、きっといいことだ。


「残る」感覚

ここからは前回の記事の続きになる。

いろいろなものが寄り集まってくる感覚がある、と書いた。2つあると書いたうちの残りの1つが、黒田の会見だった。

試合に負けてから復帰を決断するまで、およそ7カ月間を要した。その間、黒田は考え続けた。引退と現役続行を天秤にかけ続け、再起を決めた。

その熟考の過程に思いを馳せ、感じるものがあった。自らを勝手に重ねた。

言葉を当てはめるなら、ボクシングを続ける選択肢は、黒田に「残った」のだと思う。消しても消しても、また現れた。一方、引退という選択肢は、おそらくは消えたり現れたりしながら、最後には消えた。

私は、その「残る」感覚に共感した。

いま私がやろうとしているように、誰かから求められているわけでもなく、自由に書きたいことを探しだし、それによって読者を獲得したり読者を感嘆させたりしようとしているとき、あるいは自分のライフワークと呼べるようなフィールドを模索しているとき、そのテーマに対しての確信はなかなか持てない。

前回書いたとおり、信じることは必要だ。とはいえ、得た着想をすんなりと信じ切ることもまた難しい。逡巡がある。

その逡巡は、「残る」かどうかを見極める作業と言えないだろうか。

このテーマで取材を進め、書き進めてよいものか。「読者の引きがないだろう」「いや、おもしろいネタだ」と可能性を消したり復活させたりしながら、時間を重ねる。そして、「残ったもの」がきっと本当に追うべきテーマだ。

たとえば昨年の初めに須田幸太の記事を書いたのも、「取材したらおもしろいのではないか」との着想が逡巡のすえに「残った」からにほかならなかった。


ボクサーの物語を書く

そういう角度から自分の心を見つめ直す。

「引きがないだろう」「いや、おもしろい」

可能性を消したり復活させたりしながらも、いまの自分に「残った」テーマは何なのか。

行き当たったひとつの解が、ボクシングだった。

これまでも少しは触れてきたけれど、書き手として本気で取り組んでいいのかどうか、二の足を踏む思いがあった。

井上尚弥や村田諒太を追いかけようと思い立ったのなら、さほど悩むまい。

しかし私の場合、妖しい光沢を放つ日本刀ではなく、なんならちょっと錆のきた鉄くぎみたいな人間に惹かれてしまうから悩みは深くなる。黒田の記事を書いてみたいと考えていたときもそうだったように、「そっちを追いかけて大丈夫か?」と、誰に問われずとも思う。

いま、私は首を縦に振る。

前々から関心を寄せていたあるボクサーの話を、世界戦がからみもしない物語を、完成形も発表媒体も見えないままに取材し始めている。


そして引き続き、寄り集まってくる感覚がある。上に書き連ねたようなことを考えている私の目に、こんな言葉が飛び込んできたのは昨日のことだ。

「的はぼんやり見えていたらいい」

そのこころは――また次回。

その気持ちを、次作への励みとします。