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遅れてきたバブルを経験したときの話

今回は,教材編集の話からは少し離れるもしれませんが,教材編集者のキャリアをスタートする前後に経験した話についてです。

バブル崩壊後に社会人になる

私が就職したのはちょうどバブル崩壊後でした。大学の先輩たちはバブル世代で,就職活動で苦労しているのを見たことがなかったです。そんな先輩方を見て就職活動をしたせいか,いま思えば真剣さが足りなく,全然うまくいかなかったのを覚えています。

数年前,実家を建て替えるために整理したとき,大学の卒業証書が出てきて,成績表がはさまれていました。成績表を見て思ったのは,
「私が採用担当だったら,こんな成績の学生は採用しない」。
バブル時代なら大学の成績はそんなに関係なかったのかもしれませんが,バブル崩壊後はそうもいきません。

なお,バブル崩壊後であっても,真面目にコツコツ単位を取っていた同期たちは,名の通った大企業に就職していきました。ただし,名の通った大企業の中にはシャープや三洋電機もありました。

バブルは別世界の話と実感

最初に就職したのは,地元大阪の学習塾運営会社です。入社後は高校生部門の社員講師をしていて,校舎が複数あったため電車やバスで移動します。あるとき,交通費の精算の書類を書いて提出すると,部長から,
「これだと片道20円高い」
と注意を受けました。バブル世代の先輩からは,社用でタクシーを使ってもよく,領収書なしでも精算してもらえる話を聞いていたので,バブルは別世界の話だと実感したのでした。

また,本社勤務に異動になった後,文房具が必要なときは書類で申請しないといけませんでした。しかも,書類には上司の印鑑が必要でした。当時,課長が休職中で,部長は取締役本部長が兼任していたので,ボールペン1本の申請のために取締役の印鑑をもらっていました。

あと,私の入社前に転職してきていたバブル世代の先輩が,
「転職前の会社は,会社行事の宴会はタダ(会社負担)だったのに,この会社の宴会は自己負担だ」
と文句を言っていたのが記憶に残っています。会社の宴会がタダの会社もあるのかと,やはり別世界のように感じたものです。私が退職する数週間前には会社行事の宴会がありましたが,送別会ではなかったため,私もお金を払いました。

転職後に遅れてきたバブルを経験

その後,岡山の通信教育出版社の子会社に転職しました。当時は「失われた10年」と言われた不景気の真っただ中です。教育費をそんなにかけられなかったのでしょう。塾より安い通信教育(通教)は,会員数が年々増加していました。親会社は株式上場もあって,すごく景気がよかったです。

通教の教材を制作していた子会社も,つられて景気がよかったです。転職前に比べて給料は大幅に上がり,ボーナスは夏・冬あわせて7か月分でした。年収は転職前の2倍近くになりました。

会社行事の宴会はもちろんタダでしたし,入社してすぐにあった岡山と東京の編集部による全社行事は名古屋のホテルで行われ,ホテルの宴会場でなぜか社員全員がフランス料理を食べました。翌年の全社行事は社員全員で東京湾クルーズを行い,竹芝のシティホテルに泊まりました。

当時,大阪に帰省して知人に会ったときは,
「いま,岡山で遅れてきたバブルを満喫している」
と言っていました。ただ,転職前の会社の経験があったので,「どうせバブル」とさめていた気がします。

バブルはやっぱり崩壊する

通教の右肩上がりの成長はやがて止まり,遅れてきたバブルはやっぱり崩壊したのでした。私は遅れてきたバブルの崩壊に関係なく,前回書いた理由で子会社を退職しましたが,私の退職後,聞いた話だと子会社の高すぎる給料を適正にするため,基本給を約3割減らされたそうです。ボーナスも私が退職する1年前くらいから減っていました。

親会社はその後,ヘッドハンティングで来た社長が業績をV字回復させたらしいですが,この社長は不倫スキャンダルで失脚しました。ちなみに,失脚後も親会社の業績は下がらなかったそうで,V字回復は本当にこの社長の手腕なのか?との話も耳にしました。そういえば,失脚前にこの社長のインタビュー記事を読んだことがあります。少しは内情を知っていたこともあり,全部自分の手柄にするタイプの人かも?との印象でした。

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