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【10分で学ぶ哲学】 自分を幸せにする方法、それは孤独になること 〜ショーペンハウアー『幸福について』〜

「今は本当に幸せだ!」とこれまで何回感じたことがありますか?もしかしたら、いつも不安でなんとなく満足できない日々を感じているのではないでしょうか?

「幸せになりたい」誰でもそう願っています。

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でも、その「幸せ」って何でしょうか?どうしたら幸せになれるのでしょうか?

ある歴史的なドイツの哲学者は、「孤独になること」こそ幸せになる方法だ!と考えました。

19世紀のドイツの哲学者ショーペンハウアーは、「孤独こそ幸せだ!」と考えました。なかなか理解が難しいですよね?

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今回の記事では、どうしたら「幸せ」になれるのか、ショーペンハウアーの哲学を知ることで、「幸せ」になるための一つの考えがわかるようになります。10分後に幸せの形をつかめるようになるべく、ショーペンハウアーの言葉と共に、その真実に迫っていきましょう。


0.ペシミスト 【ショーペンハウアー】

ショーペンハウアーは「ペシミスト」という立場の哲学者です。

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ペシミストとは、「世界をネガティブにとらえる人」ということです。ざっくりいうと、めちゃめちゃネガティブな人の哲学と思ってください。

「この世界には何の意味もない!」

ペシミストだったショーペンハウアーはそう言っています。

しかし、「この世界にはなんの意味もない!」と文句を言っているだけでは飲み屋にいるおじさんと何も変わりありません。彼は哲学者です。「何の意味もない!だからこそこう生きるべきだ」と言える答えを探し続けました。

「世界は苦しみに満ちている。その中で人はどう生きるべきだろうか。」
「私たちは苦悩の中で生きる存在だ、だけど幸せになろう。」

不思議な言葉ですが、そんな言葉がぴったりのショーペンハウアーの言葉から、
「幸せになるためのヒント」を捉えにいきましょう。

1.陽気さこそが幸福の実体

この言葉は彼の著書「幸福について」の序盤、「『その人は何者であるか』について」という章で語られます。この章の中でショーペンハウアーは、繰り返し「陽気である事」がどれだけ必要かを話していて、「陽気であるという事が一番に私たちを幸福にしてくれる」と言っています。

ここでは、一度みなさんが知っている「陽気さ」という意味をリセットして聞いてみてください。ショーペンハウアーが言う「陽気さ」とは、「心の安らぎを持っている事」「自分に満足をしている事」です。簡単にいうと、「陽気が幸せ」というのは、この世界の幸せは「自分を自分で認めること」です。

「あれ、ショーペンハウアーはペシミスト、つまりネガティブな人じゃなかったっけ。」と思ったあなた。センスがいいです。ペシミストだったショーペンハウアーが「陽気さ」というポジティブなワードを繰り返したのはなぜでしょうか。
それは、「陽気さを持つ人」と比較して描かれている「陽気さを持っていない人」にヒントがあります。

2.「陽気」ではない人はなぜダメなのか?

「陽気さを持っている人」に対して登場する「陽気さを持っていない人」の条件が「精神的な欲求をもたない者」。ショーペンハウアーはこのような人のことを「俗物」と言いました。

この「俗物」が求めるのは、肉体的な快楽だけで、これは幸せではないと言っています。

例えば、酒やタバコを習慣とすることや、刺激的なパーティー、カラフルに彩られたインスタ映えなど、これが陽気ではないと主張しているのです。さらに、「他人からの刺激」には終わりがありません。それでは、この刺激自体を「幸せ」だととらえると何が起こるでしょう?

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刺激にはいつか慣れて、さらに大きな刺激を求めます。より大きな刺激からしか、効果を感じられなくなるのです。「もっと、もっと」と求め続けて、気がつけば麻痺してしまいます。その麻痺は「心の安らぎと満足」と言えるでしょうか?

ですから、みなさんが思っているイメージの「陽気さ」と、ショーペンハウアーの言う「陽気さ」は全く逆なんじゃないでしょうか?

陽気でない俗物の身近な例をここでひとつご紹介します。

私たちは、自分に必要なものをお金で購入して生活を送っています。必要最低限のものから、ちょっとした贅沢まで、あらゆるものをお金と交換します。それはあまりに当然なのでだんだん麻痺していきます。「必要なもの」と「不必要なもの」の区別がつかなくなるのです。

今の自分の収入なら別に何事もなく暮らせているはずなのに、年収1000万、2000万…とか総資産何百億、何千億…とかいう人が社会的にチヤホヤされているともっとお金がほしくなる…。

「必要なものを買うために必要な分稼ぐ」という判断がつかない時、私たちは「よくわからないけど、稼いでいる人が評価されるからとにかく稼ぐ」という判断をします。

人の欲求には終わりがありません。気が付けば「生活のために必要な分稼ぐ」のではなく、「稼ぐこと自体」を目的にしてしまいます。

これではどれだけあっても落ち着かなくなってしまいます。むしろあればあるだけ勝負したくなります。欲求は刺激を受けて、増やすこと自体が目的になっていきます。自分で満足できる収入のラインを設定すれば「陽気」になれるのに、他者と比較するせいでいつまでも「陽気」になれない。「刺激を求め、自分の心を見失ってしまう」。これではまさしく、ショーペンハウアーの言う「俗物」です。「陽気さ」とは無縁の存在と言えそうです。

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一心不乱に勝負を続けて、まわりの人々を蹴落とし、運よくお金を増やすことができたとします。ふと我にかえり立ち止まった時に、手元にのこるのは何でしょうか?それは、たくさんのお金と攻撃的になった自分自身だけです。

ショーパンハウアーの「陽気さ」のイメージが掴めましたか?

陽気さを持っていない人は、現実的にあるものから楽しみを作り、一瞬の幸せを手に入れる一方で、陽気さを持っている人は、現実的にないものから楽しみを作り、幸せを感じています。陽気な人は、現実的にないものを、何でつくるのでしょうか? それが自分自身の心です。自分自身が「満足」を感じる事が大切です。特別な場所や、特定の物がなくても、感じることさえできれば、「幸せ」になれます。

「それが難しいから困ってるんだよ!」という怒りの声が聞こえてきそうです。笑

大丈夫です。ここで終わりではありません。これを解決するヒントをこれからご紹介します。

3.虚栄心は人を饒舌(じょうぜつ)にし、誇りは寡黙にする

まず、質問です。
「あなたは、自分に誇りを感じていますか?」
謙虚さが大切だと言われる今の時代に、「私は自分を誇りに思う!」と言える人は少ないのではないでしょうか。

しかしショーペンハウアーは、この誇りこそが「陽気さ」を持つために必要な条件だと言います。

ではその「誇り」をどうしたら持つことができるのか?

ショーペンハウアーはこのように語っています。

誇りを持つ事。それは、虚栄心(みえ)を捨てて「自分の愚かさを愚かさとして受け入れること」からはじまる。

どうでしょうか。あなたは、あなた自身の愚かさを受け入れていますか?

常にたくさんの人と関わりながら生活を送っている私たちにとって、「自分を認めてもらいたい」という願望はごく当たり前のものです。誰でも、ここに自分が存在していてもいいという安心感を得たいですし、他人からの正当な評価が欲しいと感じます。

しかし、他人から受ける評価には、エスカレートしていく事があるという欠点があります。これはさっきのお金の例と似ていますね。ここでも、「俗物」の欠点である「刺激を求め続ける」というワードが関わってきそうです。

他人から良い評価を得た時の快感が忘れられず、「もっともっと」と繰り返していき、最終的には自分がもっている以上をほしがってしまう。これこそが「虚栄心(みえ)」だとショーペンハウアーは言います。

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虚栄心(みえ)というのは「自分が期待する自分」と「実際の自分」を埋めるために現れます。極端に言えば、自分を偽り、他人を欺きいて実際の評価より高い評価をしてもらおうと考える心です。

では、望み通り高い評価をもらった私たちに残るものは何でしょうか?

それは、現実にそぐわない偽りの姿です。

たしかに、周りからは評価されて一時的には良い気分になるかもしれません。しかし、「どう見られているかな」、「嘘ってバレてないかな」という不安が結局付きまとうことになるでしょうし、場合によってはほころびが見えてかえって評価が落ちてしまうかもしれません。

そこで私たちはやっと気づきます。
「他人からの評価」には終わりがない。ということを。

他人の思考が「実際に」どの程度自分自身に影響するのかを、冷静に判断することが大切です。そもそも、名誉に絶対と言えるような価値はありません。人それぞれが、自分の判断基準ですべての判断をするからです。さらに、人は自分と似ているものしか評価できません。すべての人に高い評価をもらうというのは不可能なのです。

では私たちは、何を基準にして生きていけばいいのでしょうか。

ここで、この不毛な「虚栄心(みえ)」のかわりに「誇り」を使います。

必要なのは、他人への期待という「みえ」(相対尺度)ではなく、自分の確信という「誇り」(絶対尺度)です。

「そうは言っても、誇りなんて誰でも簡単に持てるようなものじゃない!」そう感じる方も多いのではないでしょうか。
ショーペンハウアーは、これに簡単な糸口を示します。

誇りを持つ事。それは、「自分の愚かさを愚かさとして受け入れること」からはじまる。

「人の評価が気になる」「もっと認められたい」そういった気持ちを、いったんすべて引き受け、じっくり観察すること。まずはそれでいいのです。

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しっかり見つめていると、だんだんと客観視できるようになります。そして、客観視できると「他人としての自分」が現れ、長所にも気づくことができるようになるのです。

自分が自分に下す評価は絶対的です。他の人に波風立てられることはありません。これはつまり心の安らぎと朗らかさを高められるということでしょう。これこそが、ショーペンハウアーのいう「陽気さ」です。

そして気づくと、他人の評価は気にならなくなります。

それでもやっぱり人の目が気になる、と言う人がいるかもしれません。ショーペンハウアーはこんな言葉を書いています。

人々は、目と耳はあるけど、それ以外は多くを持たず、とくに判断力はスズメの涙ほどしかなく、記憶力はほとんどない

考えてみても、自分のことは気にしても、それ以上に他人の何かなんて記憶に残ってないですよね?皆さんが気にしていることは他人から見たらなんとも思われていないのです。


4.なにごとも限定すると、幸福になれる

前の章で、自分を客観的に観察することが重要だと言うことをお話ししました。

では、どのようにしたら自分自身と向き合うことができるでしょうか?

現代社会に生きている私たちは、四六時中他人とつながりながら生活を送っています。家に一人でいる時にも、スマホを手にすれば、すぐにたくさんの人と一方的・相互的に関連を持っています。ショーペンハウアーは、そんな現代人にこそ必要であるかもしれないこんな言葉を残しています。

なにごとも限定すると、幸福になれる。視界、行動範囲を狭くすればするほど不安や苦悩は減る。

ここまで読み進めるとこの言葉の意味が少しわかるのではないでしょうか?

視野を広げると、他人などの周りから見える自分を「自分」と捉えてしまい、前に説明した、「俗物」に近くなってしまいます。幸福とは、自分自身でむきあって作るものである。そのため、視野をどんどん狭くしていけば、、、ということです。

幸福は、自分の尺度で決めるものです。そもそも、自分にとっての「幸福」を知っているのは自分だけです。その幸福を誰に与えてもらいますか?もちろん自分に他なりません。ショーペンハウアーはさらにこう言います。

「孤独の中で人はありのままの自分を感じることができる」

なにごとも限定し、視野、行動範囲を究極的に狭くしていけば、最後に残るのは自分だけです。それが「孤独」です。

常に他人の目を気にして生きている私たちが、「本来の自分自身」でいることが許されるのは、孤独の中でだけです。
常に孤独でいる必要はありません。「孤独な時間を大切にする」ことが必要なのです。

ショーペンハウアーは「幸福とは自分に満足できる人のもの」というアリストテレスの言葉を引用して、こう言います。

「自分自身でいるということは、自由でいられること。自分が持っているものが多ければ多いほど、その人にとって他人は重要ではなくなる。」

他人が重要ではなくなるというのは、必要でなくなるということではありません。
他人に求めることがなくなるため、人のために大きな犠牲をはらう必要や、自己否定をする必要がなくなるということです。

そして、その中でやっと私たちは、余分なものを取っ払い自分自身と向き合うことができます。ショーペンハウアーのいう「誇り」へのスタートです。

そして、「陽気」へと繋がり、幸福が訪れるのです。

つまり、陽気な人は孤独であり、幸せである。というのです。

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<まとめ>

「幸福について」で書かれたショーペンハウアーの言葉とともに、幸福についてお話ししました。

ペシミストであるショーペンハウアーは、「私たちの存在はそもそも、悲しくみじめな運命にある」と言います。だから、「苦悩を減らす努力をしよう」と言うのです。

必要なことは、「陽気さ」を持つ事。そのために「自分自身を知ること」。
そして、「私」にとって大切なのは「私自身であること」
いつ牙をむくかわからない世界と比較して、いつでも変わらないのは「私という存在」だけだからです。


世界がもし素晴らしいものだったとしたら、私たちはその世界に見合うよう、追いつくための努力をする必要があります。これは、世界に矢印の向いた努力です。究極の目標をつきつけられた、終わりのない努力とも言えます。

しかし、ショーペンハウアーの言うように、世界はそもそも苦悩にあふれているとしたら?

私たちは、それぞれの目標に向かって、少しでも良くするための努力ができます。これは、自分自身に矢印の向いた、心を豊かにさせる努力です。リアルな世界と、リアルな自分自身と、真摯に向き合うということです。


ペシミズムの本質が少しわかってきたでしょうか?
問題のあふれる現代社会をリアルに捉えようとする時、まさにペシミズムの考えがしっくりきます。

「わたしたちは幸せになるために生まれてきた」

そんな夢物語を“手放した時”、初めて私たちは自分自身の心と向き合うことができるのかもしれません。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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