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里にある風景のような経営

京屋染物店の発祥

初代 蜂谷 松寿が少年(当時14才)の頃、一関にある大きな寺院の門前に座り、寺院の絵を描いていた時、住職に絵の才能と手先の器用さを見初められ、「この才能を生かさなければもったいない。染物を勉強して着物を作りなさい。」と言われたことが全ての始まりでした。

住職の声がけのもと、たくさんの方からの寄付によって京都までの片道切符を手にした松寿は、染物修行のため京都へ旅立ちます。
しかし、あてもないまま単身京都に降り立った松寿。どうするべきかと途方に暮れていたところ、偶然声をもらった染料問屋の社長に、修行先の染物店を紹介してもらうことができ、染物修行の日々が始まります。

約10年に及ぶ修行後、松寿は「京屋染物店」を創業。
当時とても華やかな街だった城下町一関で、料亭の女将や芸者が着る着物の染め〜縫製を行い、とても繁盛していたと言い伝えられています。

大正7年創業から変わらない志

京屋染物店は、岩手県南の城下町「一関(いちのせき)」で104年続く染物屋です。
世界遺産平泉の浄土思想や数多くの伝統工芸品や民俗芸能が生まれたこの地で、半纏、手拭、浴衣、芸能衣装を中心に、お客様だけのオーダー品を心を込めて大切に作り上げています。
私たちは、単なる「染物屋」ではありません。
100年積み上げた経験値のもと、チャレンジ精神溢れる想像力豊かな職人たちが、部署や年齢の隔たり無く、創意工夫を凝らし「感動できるものづくり」に取り組んでいます。

ご縁を大切に

初代から変わることなく受け継がれている”ご縁を大切に”という精神。
私たちは感謝の気持ちを忘れることなく、染物屋としての可能性を代々探求し続けてきました。
2010年、尊敬する父が他界し、私は4代目を継ぎました。これまで紡いできた歴史を引き継ぐ重責に押しつぶされそうな日々。共に引き継ぐことを決意してくれた弟の存在は、私にとって大きな心の支えとなりました。しかし、順風満帆な日々ではありません。代を継いですぐに東日本大震災で被災。岩手のみならず、日本中に甚大な被害をもたらしました。全国的にお祭りの開催を自粛する空気の中、半纏や浴衣などの注文が途絶え弊社も危機を迎えます。廃業という言葉も過る状況から染物屋に生まれた自分の人生を悲観し、亡き父との力の差に自信をなくしていた時期もありました。そんな時、私たちを応援してくれる沢山のお客様と仲間、地域の皆様のお陰で、染物屋の意義と価値に気づき、弊社を支えて頂いた方々に恩返しをしたいという気持ちへ次第に変化していきました。

伝統と革新

私たちは、縁ある人を幸せにするため、知識を深め、技術を磨き、心を高め、人として成長し続けると決めました。思いやり、尊敬、感謝に満ちた和の心を体現し続ける染物屋でありたい。それが私たちの企業理念「和の追求」です。
3代目が私に常に伝え続けてくれた言葉があります。

「伝統には変えてはいけないものと、変えなければならないものがある」

私たちらしい伝統を守り、新たな伝統を積み上げる。私たちらしい伝統とは、ご縁に感謝し、お客様、地域、仲間、一人一人に貢献することをどこまでも深く考え尽くし、やり切ることです。
商品や販売方法は時代と共に変化しても、ご縁を頂いた皆様への感謝の思いを思いを繋げていくことが私たちの仲間と家族、地域を豊かにすることに繋がり、その結果として歴史と伝統が紡がれると信じています。

郷土を愛し、誇りある伝統を守るという私たちの原点を大切にしたいからこそ、全てのことに感謝し、新たなチャレンジを続けます。
なぜ未経験のことに挑戦するのか。それは、私たちが踏みしめる一歩が道となり、その一歩が私たちの未来を創り、誰かの勇気や道しるべになるからです。

場づくり好きな長男の性分

私は3人兄弟の長男です。
現在、2才下の妹は幼稚園の先生。5才下の弟は、私と一緒に働いています。
通りに面している店の裏に自宅があり、そのすぐ裏に職人が汗をかきながら働く工場がありました。この光景は今でもかわりません。
店を構えている通りは、「錦町水天宮通り」と呼ばれていて、通りの突き当たりには「水天宮」のお宮があり、年に一度のお祭りの時には通りに提灯飾りや神社の奉納のぼりが立ち並びます。子供の頃から変わらず、今もこの風景を見ると心躍ります。8月のお祭りで一年が始まるような地域で、昔は商店街のお店もすごく元気で、子供たちもたくさんいました。

その子供たちの中で私が年上だったため、事あるごとに子供たちが集まると、大人たちは「悠介、子供たちの面倒をみろよ!」「おーい。子供たち!悠介お兄ちゃんの言うことを聞いて、喧嘩しないで、楽しく遊ぶんだよ!」といいます。

私も子供心に、"みんなが笑って過ごせるばを作らなければ”と言う使命感があったと思います。
みんながやりたいことはなんだろうか。どんなことをしてみんなで楽しんだら良いだろうか。あの子は楽しそうにしているだろうか。誰かいじめられていないだろうか。

いつしか、みんなが楽しそうにしてイキイキしている姿を見ることが私の喜びになりました。

そのせいか、高校の時の体育祭の時もリーダーだったり、大学の時のプロジェクトの実行委員会でも委員長だったり。20代の頃、地域活性化事業を仲間たちと行っていた時もそうでした。
ぐいぐい引っ張るリーダーというよりは、みんなの「やりたい」をサポートしているようなタイプでした。

そんな性分は、社長として会社の経営に携わる今も変わりません。
社員たちのやりたいことはなんだろうか。みんながイキイキと活躍できる場を作りたい。みんなの笑顔を見ていたい。

小さい頃から変わらない私の望みは、"周りのみんなが笑顔になっている場に自分の身を置きたい"ということなのかもしれません。

モノづくりの家に生まれたから出来ること

私はモノづくりの家に生まれ、お客様対応しながら工場でモノづくりに励んでいるかっこいい父の背中を見て育ちました。
工芸や民芸などのモノづくりのカッコ良さや美しさが世の中から取り沙汰される一方で、決して華やかではないモノづくりの様子や苦労、事業継承の難しさや葛藤があることも体感しています。
だからこそ、伝統文化や技術を継承しようと日々試行錯誤している"モノづくり"や"民俗芸能""祭り”に携わっている人に強い関心があります。そして、その人たちが生み出すモノやコトへの敬意が人一倍あるのだと思います。
綺麗事だけでは済まされない営みの継続があるから、世の中に魅力に満ちた物事が届きます。
モノづくりを応援できる場所、工芸や民芸、食と出会える場所、職人の営みを知れる場所、その土地にある生活を感じられる場所をつくりたい。
自分も社員もお客様も地域も里も森も、みんなが笑顔になる場をつくりたいと本気で考えています。

縁が巡る場所

人が自然と集まり、心地よい風がそよぐ場所。
キーワードを連ねると
感謝、恩返し、お互い様、助け合い、支えあう、強みを生かす、集う、出会い、流れ、ルーツ、根源、歴史、未来、森、里、生きる、心地よさ、愛着、活かし合う、誰かのために、自分のために、ニュートラル、ゆるやか、自然、つながり、循環、あるがまま。
などなど。

まだまだ、言葉にできない感覚的な状態ですが、私が目指す経営は「発酵」や「森」に近いかもしれません。

余計な手を加えず、そこにある力に任せる。任せるといっても他力本願的なものではなく、信じる、託す、委ねるに近い感じです。

お酒、味噌、醤油、漬物、パン、色々なものが菌の力を借りています。それぞれの菌がいい仕事ができるように環境は整えるが余計な手出しはしない。余計なことをしすぎると雑菌が入り腐敗します。

山に植樹すると最初の2年くらいは、雑草を刈ったり、ある程度手間がかかるようですが、その後は勝手に育ち、木々の枝葉によって樹冠が形成され、地表に降り注いでいた日差しは木漏れ日に変わります。すると、地表に生い茂っていた雑草は枯れて、森の中に風通しの良い空間が広がり、森の生き物たちの暮らしの場ができるのです。そして森は水を貯え里を潤し、落ち葉の腐葉土を含む水は海を豊かにします。
人が手助けしたのは植樹してから最初の2年だけ。あとは、自然と生態系ができて循環が生まれます。

そういう無理のない心地よい経営を目指したいと考えています。

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