見出し画像

毎日noteから、ほぼ日、気まぐれ更新へ。

noteはじめて、50日経過。

書けば書くほど。思念は次々にあふれ出して、忘れていた記憶が、こぼれ出して。いくらアウトプットしても、追いつかないのだけれど。
目下の悩みは、自分の文章力の無さ。表現力や構成力の乏しさだ。

昨日「ふたりのScratcher」のことを書いたのは。
わたしのnoteも、こどもたちのScratchみたいなものだなぁと思ったから。

自分の作りたい作品を作る長男と、他者に見せることを意識した作品を作る長女。

自分のために、自分が書きたいことを書く。
ひとに見せることを意識した「作品」を書く。
両者は全く違って。今のわたしは前者なのだと思う。

ひとに見せるための「作品」を書こうと思うと。とたんに筆(タイプ)がすすまなくなるのは、いつものこと。
(noteに限らず、仕事や勉強でも、文章やレポート、記録や発表など、なんでも。書かなきゃいけないものは多いのに、読めないメモ書きばかりが、溜まっていき、いっこうに完成させられない。)

わたしの日本語力の無さや、全体を見渡す構成力の無さは絶望的なほどで。
読み返すたびに、日本語としての構文や文法の誤りが気になってしまったり。されども、適当な言葉や文章はいっこうに見つからず。(そもそも文章を完成させられないという致命的な欠陥もあって。)
迷宮に迷い込んでしまったような気分になる。

noteを眺めていて思うのは。
本当にみんな文章がうまい!
ひとつひとつの言葉が洗練されていて、構成も練られていて、完成度も高い。ともかく、皆、クオリティーが高いのだ。
プロのライターさんが、多いというのもあるけれど。それだけじゃなくって、そこここに散らばっている、どの作品を読んでも、みんなおもしろい。

もしかして。わたしは場違いなのではないか。…と、いう気分にさせられてしまう。
今のように、ただ雑文を書き流すだけなのであれば、noteでなくとも良かったのではないか?twitterやブログなど、いろいろな媒体があって。もっと気軽に(文章力など気にせずに)投稿できる、いろいろなSNSもあるのに。と。

『noteの楽しみ方-創作活動でもっとも大事なこと』より抜粋
・創作を楽しみ続けること
・ずっと発表し続けること
~中略~
名文や超大作を仕上げようとして手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう。

そう。たぶん。こんな雰囲気に惹かれたのかな。
文章を乱読するように。乱筆したい。
文章を完成させられないわたしの、未完の文章の一時置き場として。


note50日(今日で51日)
連続投稿が続けば続くほど。それを途切れさせたくない気分が高まってきて。なんだか自由じゃなくなった気がするので。

明日の投稿はお休みすることにした。

毎日投稿の呪縛から解き放たれて。自由に書くために。
(あと。年内に2つ、大きな試験が控えているので。ぼちぼち勉強をはじめないといけないので。^^;)

毎日noteは静かにフェードアウトして。
書きたい時に、書きたいことを。
気まぐれに。

気まぐれに更新しています。