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心がもろい時ほど確実なものに引っ張られる

今回のトピックは「心のもろさ」についてです。

少し重いトピックですが、僕の体験も元にお話ししたいと思います。

何しろ、人は社会で生きている限り、プラスの感情(喜びや楽しみ)だけでなく、マイナスの感情(恥、恐怖、不安)と切っても切り離せない関係にあります。

だからこそ、このトピックについてお話ししたいと考えました。

あくまで1意見としてご覧ください。

心がもろい時

これは僕の体験談です。

僕が大学2年生のとき、将来に対する漠然な不安を持っていました。

なぜ漠然なのか

実際に経験していないために、自ら出てくる不安ではなく、

ニュースなどで「就職が難しい」とか、ネットの記事で「リクルートスーツを着て満員電車に揺られて夜遅くまで仕事をする。そういう毎日の繰り返し」

などというネガティブな話を耳に挟んだがために、無意識に将来に対する不安を持ったのでしょう。

そして「自分のやりたいことも見つからない」「今、何をすれば良いかもわからない」という思いに駆られ、その答えを探そうとしました。

今は、ネットがあるのでこういう話をしている人がいくらでもいます。

そこで僕が陥ったのが

「何が正解で、どれを信じれば良いかわからない」

という考えでした。

漠然な不安に確実な道標が欲しかったのです。

これは今思うと、「危険な考え方」だったと思います。

なぜでしょうか。

「不安、恐怖、恥をかきたくない」これらの感情により、「正しさ」を追求すると
「これが絶対に正しい」「あれは間違っている」「人はこうあるべきだ」

といった「人はそれぞれ違う考えがあり、みんな違うもの」という当たり前のことを容認できなくなります。

人の生き方に正解はないし、他人の生き方にとやかく言う権利は誰にもないと思います。

けれど、僕も含めて多くの人が「完璧な生き方」を望むがために、ジレンマに陥っている気がします。

誰もが、不安、恥、恐怖のない生き方を望む

誰しもが「不安、恥、恐怖」のない生活を望むでしょう。

でも、僕はそういった悩みのない人生は、生きてると言えるのか疑問に思います。

悩みや痛みがあるからこそ、それを克服しようと動き、成長できるのが人間です。

そして悩み、痛みを克服したときに「喜び」が生まれると思います。

「不安、恥、恐怖」は喜びをうむ「種」だと考えています。

重要なのは、「今の自分、だめだなぁ」と思うのではなく、「今の自分はこうだけれど、自分は変われる」という意識を持つことです。

つまり、完璧を目指すのではなく、「まず、自分は完璧ではない。けれど、変わることができる」と自分を認めることだと思います。

さいごに

今、何か悩みや苦しい思いをしている方も、その気持ちを大事にし「喜びに変わる種として必須なんだ」と認めることから始めてください!

悩みや痛みがある時こそ、「生きている!」証拠だと思います。

ずっと苦しい人生なんてないし、ずっと楽しい人生もない。

くれぐれも「答え」を探しに行かないように

「答え」は自分の中にあると思います。

ではこの辺で、読んでいただきありがとうございます。















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