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市役所で「ギフト。」を展示していただきます。

というわけで、市内の先生方に届いてほしいなぁと
思いながらペンを執ってみました。


先日、教育委員会のN先生のお口添えで
市長より賞賛の盾を頂いた際に
卒展で描かせていただいた絵
「ギフト。」を
展示させていただくお願いを
したところ、
ご快諾いただき、
相模原市役所2階市長室前の壁面に
展示させていただくことになりました。

この絵を見て、
ありのままのこれまで
いろいろなものを抱えながら
子どもとして生きてきた美沙自身を
表現しきった気がして、
美沙は自分と向き合うことから逃げなかったんだなぁと
「かなわね」を描いた時と同様、
この絵をいろんな方に見ていただきたいなと思いました。



そして、小2の頃に
「美沙ってなんなんだろう・・・」と
一緒に向き合って下っさったK生と
その絵を一緒に見ることができ、
全てが完結された思いがして、
ようやく美沙の子育てが終了したなぁと思うと同時に、
1人の先生と、わが子を
一緒に育てていただいた気がして、
とても幸せな瞬間を味わえました。

14年という
それだけ長い時間がかかって
答が出せたこと。

それだけ長い時間を
かけなければ
出せない答だったことを
実感しました。

先生と保護者が織りなす世界は
こんなにも深いということを
知りました。

そして、確かに美沙は
学校でたくさん
傷ついたこともありました。

だけど、それ以上に
ありのままの美沙でいたからこそ
学校という場所が
幸せだったこともたくさんありました。

だからこそ、この「ギフト。」に
つながったのだと思っています。

小1の時にさりげなく
支えて下っさっていたN先生、
中学校の剣道部で
バリバリご指導いただいたN先生、
他にもリアルに子どもだった美沙を
知ってくださっている先生が
今も現場にいてくださること。

それが今の美沙にとって
本当にとても幸せなことだと
思っています。

これからは、皆様先生方と
場所は違うものの
「先生」と呼ばれる仕事が始まります。

まさかそんな「先生」になれると
思っていなかった私は、
それまでの美沙の歩いてきた軌跡が
すべて奇跡となっている
気がしています。

きっとこれからもいろいろと
悩むことがあると思いますが、
これまでの葛藤、経験、
学校で得たすべてが
美沙の糧となっている気がしています。

そしてそれが親として
何があっても大丈夫だと思える
絶対的な美沙の
信頼感へとつながっています。

子どもは可能性の塊です。

そして、間違えた答えを
いっぱい出す人です。

学校は正しい答えを
教えてくれる場所ですが、
あの当時どんなにがんばっても
正しい答えを出せなかった、
そんな美沙の答えが今
いろんな人に必要とされています。

だからこそ、先生方に
お願いしたいのは、
その子が出した答えが
たとえ間違っていたとしても、
まずはその答えを尊重して
あげてほしいのです。

いつかその答えが
その子の背中を押すことがある。

いつかその答えが
誰かの背中を押すことがある。

それが私にとってはその子の
軌跡であり奇跡につながる
気がしています。

もし、目の前にわが子の発達障害に
思い悩んでいらっしゃる
保護者の方がいたら、
どうかこの手紙をお渡しください。

そしてぜひ「かなわね」を
お貸しください。

一緒に読んでみてください。

また、美沙が描いた絵も、
よかったらいろいろ
ご活用いただけたらと思います。

いろんな子ども・保護者の方たちに
届けていただけたら幸いです。

本当にありがとうございます。
よろしくお願いいたします。

なお写真は撮っていただいても
構いませんので、
よかったら各学校でも
この絵の展示を
お知らせくださいませ。

大橋美沙 母 大橋美穂


ほんとね。
学校があったからこそ。
美沙はこの絵が描けたし、
この先の人生、いろいろあっても
乗り越えていくことができると信じている。

って、ダメならダメでそこから降りてもいい。
無理してそこにしがみつくこともないよ。

なんて思ってる。

さぁて、いよいよ社会人。

どうかたくましく、
自分の思うままに
自分の空を飛んだらいいよ。

母はニコニコしながら
応援しているからね。

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