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めちゃくちゃくだらない理由で不登校だった時の話
ここだけの話、僕は一時期不登校だった。
高1の4月。
これからキラキラドキドキの高校生活がはじまるぜ! というタイミングで僕は不登校になった。
さすがに一週間ぐらいは真面目に行っていた記憶はあるが、一回学校を休んでからずるずると、気付けば学校に行かないのが普通になっていた。
別にいじめがあったとかではない。
一応友人はすぐ出来たし、ヤンキーに絡まれるようなこともなかった。
本気で人間関係に悩んで不登校になった人達に対しては申し訳無いが、僕が高校に行かなくなったのは只管つまらなかったからだ。
中学時代をラノベ漬けで過ごした僕は、“高校”というものに過度な期待をしていた。
生徒会は強い権力を持ってると思ってたし、ハルヒみたいなクラスメイトがいると思ってたし、訳解んない部活が沢山あるんだろうなと思っていた。
勿論そんなことはなかった。
現実は校則でギチギチの何の面白みもない生活。
山の上の高校に汗をかきながら登校して、課題に追われて、こうして僕もつまらない人間になるんだなと危惧した。
僕は昔から、“特別であること”に執着していた。それは姉にばかり両親がかまけていてネグレクト気味だったからかもしれない。
自分を見てもらうには、兎に角特別でなければならない。普通の人間であることが怖かった。でも僕には何の才能もない。ただでさえ特別じゃない人間なのに、他人と同じことをしていたら更に凡夫へと成り下がってしまう。ちょうど反抗期が来たからってのもあるが、そんなのは嫌だという必死な抵抗から学校に行かなくなった。
振り返ってみると死ぬほどくだらない理由だけど、当時の僕には重大な問題だった。
だが不登校といっても、ずっと家に引きこもっていた訳では無い。
そんな理由で不登校になるのを認めるほど、うちの親は狂っていない。
なので、毎朝普通に家を出て、駅前のサテンや古本屋やゲーセンで時間を潰していた。
放課後になったら部活にだけ顔を出して帰っていた。
一応、毎日こんな調子じゃテストもヤベェなと思い、2限や3限から顔を出したり、お昼すぎや最後のコマだけ顔を出したりと、ちょくちょく出席する日もあった。
(つまり大部分はサボってたのだけど)
そんな日々が2ヶ月ほど続いたある日。
学校に保護者ごと呼び出された。
このままじゃ出席日数足らなくて留年するぞって。
親もここで初めて僕がサボりまくってることを知りブチギレた。
「いうてダイジョーブやろw」とナメていた僕も、さすがに留年は嫌やなぁ……と心を入れ替えた。
結果として、僕は真面目に学校に行くようになった。
1限目から出席するようになった僕にクラスメイトはビビってた。
僕の不登校ライフは呆気なく終わった。
これからは毎日ちゃんと学校に行き――ません。
サボっていたのが悪いのではなく、留年が危ぶまれるレベルでサボっていたのが悪いのだ。
なので、これからは出席日数がギリギリ足りるよう、ちゃんと教科ごとの出席も計算してサボろう。そう考えを改めたのである。
実際、教師としては以前よりかはまともに学校来るようなっただけマシだし、「こいつには何言っても無駄だな……」と思われてたので、程よいサボりライフは続いた。
特に1年の後期からは交友関係がぐんと広がって、サボり仲間や他校の友人も増えた。一人暮らししてるヤツの家に昼間から入り浸ったり、駅前のカラオケ店だったり、溜まり場のレパートリーも広がった。
溜まり場で何をしていたかはあまり公言できないが、兎に角高校自体がつまらなくても高校時代を楽しいと思えたのは、すべて友人達のお陰だ。
この話には特にオチらしいオチはない。
不登校に関連したお話には、大抵不登校の子へのメッセージみたいなのが綴られるけど、僕に兎や角いう権利は全然ねぇからな。
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