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『すずめの戸締まり』というタイトルは

ネタバレです。


すずめは「死ぬのが怖くないのか?」と聞かれて「怖くない」と即答できる人物だ。
さらに草太とは劇中で四日ほどしか行動を共にしていないのにも関わらず、彼のために自分の持てるすべて、借りられる力すべてを使って、草太を助けるために蛮勇とも見える行動をしていく。


すずめの生死観は「生きるか死ぬかは運」だった。これは特に死に強く裏付けられた生死観だ。
東日本大震災で母と家をいっぺんに失ってしまったすずめは、この思想に辿り着いた。
死にたいとか生きたいとか考える前に死んでしまった人たち。それをすずめに訴える前に死んでしまった人たちの存在が、すずめの中にある。

おそらく、草太は初めて面と向かってすずめに「死にたくない」と表明した人間なんだろう(同時に草太も初めて他人に「死にたくない」と言ったと思うのだが)。
それだけでもう、すずめがヒーロー的暴挙に及ぶには十分な動機だった。

なぜなら、すずめは初めて他人から「死にたくない」と言われたのだ。
初めて「助けられるかもしれない」と思ったのだ。

じゃあ助けるよね、と思う。
母を失った頃のすずめは未就学児で、自分の命もコントロールできない存在だった。
でも今は少ないながらも自分で使えるお金があり、五体満足で、我儘を通せる保護者がいる。つまり自由だ。

かつて助けられなかった存在、守れなかった場所のために、すずめはなりふり構わない。

裸足で東京の街を歩いて後ろ指をさされても、保護者の叔母に激情をぶつけられようと、20キロの道のりを走ることになろうと構わない。

「死にたくない」と言った人間に手が届くなら、すずめは何でもやる。
一方でタイトルが『すずめの戸締り』であるように、これは終わってしまった物語でもある。
かつて起きた出来事を丹念に確認し、なぞり、思い出し、そうして納得して扉を締めていく。

すずめの生は喪失の思い出とともにあり、普段は『すずめのだいじ』と書かれた空き缶のような入れ物にしまわれているのだろう。ときおり開いて覗き込んで、細いため息とともにそっと蓋をする。
生への激情とともに、そうした喪失へのやわらかで静かな手触りを感じる。
現実においても戸締りという作業には、繊細な確認が必要だ。

『すずめの戸締り』がタイトルである通り、この作品は喪失へまなざしを向けた物語だ。
さらっと流されてしまう設定だが、後ろ戸を閉めるときにも、その戸のあった場所と人が生きていた頃に思いを寄せる必要があるという説明がある。

すずめは草太を助け、九州に帰っていく様子がエンドロール中に流れる。

行って、帰ってくる物語。

生きているかぎりは、その繰り返しだということを表している。

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